記事一覧
宣伝会議賞プレーヤーの2月 私の場合
私、53歳。宣伝会議賞プレーヤーになって10年になる。
宣伝会議賞プレーヤー?
まあ、「クイズプレーヤー」なる肩書もあるのだ。
この場に限って、こんなふうに名乗ってもいいだろう。
ただ、記事を通してこの単語だと鬱陶しくなるので、以下応募者と書く。
毎年2月、宣伝会議賞応募者にとっての1大イベント、一次審査通過者発表が「宣伝会議3月号」誌面でなされる。
このnoteや、Ⅹ(エックス)なんかでも一
8/31 「あまちゃん」
鈴鹿ひろ美のせりふ
「天野アキをやらせたらあなたの右に出る女優はいません」
天野アキにも、能年玲奈にも言っている。
宣伝会議賞SKAT21 私的プチ騒動記
第59回宣伝会議賞1次通過以上の作品集「SKAT21」が9/27日、「デジタル版で」発売された。
発売の発表が焦らされたうえでの、初めてのデジタル版での発売。
困惑、諦め、それでも期待。
3、4年前の発売日からすっかり遅くなった発売日を健気にも待ち続ける。
まずは自分の作品を見るために。
1次通過3本。
3年ぶりの1次通過、4年ぶりの複数通過。
課題はコプロ・事業構想大学院大学・そしてパナソニ
第59回宣伝会議賞応募を終えて。
「もう辞めようか」と思いつつも、結局今回も参加した宣伝会議賞。 締め切り日が仕事の公休日だったことも手伝い、締め切り5分前の駆け込み応募や、サイトのカウントダウン時計終了の瞬間を体験することができ、例年とは違う感慨を今、味わっている。
今年の応募総数は136本。昨年の53本というふがいない数から比べたら2・5倍に増えた。常連さんからみれば「それでも少ない」と思われるのだろうが、本業、副業
嗚呼、悩ましき宣伝会議賞
日本一の公募広告賞と言われる「宣伝会議賞」。昨年、第58回の一般部門(これとは別に中高生部門がある)応募数は617203点を記録した。
それらの作品において一次・二次・三次と審査を重ねていき、最後に残ったファイナリストの中からグランプリ、ゴールド、シルバーなどの賞が発表されるという流れだ。
私は昨年まで7年連続でこの賞に応募している。
2月発売の「宣伝会議」3月号でまず一次審査の通過者の発表
1979年 NST新潟総合テレビ 日曜オールゴールデンタイム。
今から約40年前、私がまだ小学5年生だった1981年3月までは、わが新潟にはテレビの民放チャンネルが2局しかなかった。一つは県内最古の民放局、BSN・新潟放送。そしてもう一つはNST・新潟総合テレビ。当時におけるキー局からのネット状況はというと、BSNがTBS単独だったのに対してNSTは日テレ・フジ・テレ朝の3局をネットしていた。
このころは大都市圏や札幌・仙台・広島・福岡といった地方の中心
遠藤麻理さん、BSNラジオに参上!
一昨日まで2日間行われた「BSN夏ラジオ」。 「番組内で重大発表」の言葉に嘘はなかった。
6月に閉局した新潟県民エフエム放送・FM PORTのナビゲーター(パーソナリティ)だった立石勇生さん、遠藤麻理さんが8月からBSNラジオで番組を持つことが発表された。
特に、スタジオゲストで登場と破格の扱いであった遠藤さん。最初のあいさつ代わりの「BSN初鳴き」からスタジオでのB