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第59回宣伝会議賞応募を終えて。

「もう辞めようか」と思いつつも、結局今回も参加した宣伝会議賞。     締め切り日が仕事の公休日だったことも手伝い、締め切り5分前の駆け込み応募や、サイトのカウントダウン時計終了の瞬間を体験することができ、例年とは違う感慨を今、味わっている。

今年の応募総数は136本。昨年の53本というふがいない数から比べたら2・5倍に増えた。常連さんからみれば「それでも少ない」と思われるのだろうが、本業、副業を抱え、なおかつ応募期間がかつてより2週間ほど短いことを考えると、過去の自己最高160本(くらい)に並ぶ健闘だったのではと自負している。                              (私の住んでいる地域は今年(かな?)から運送業者の「働き方改革」とやらで首都圏で金曜に発売する雑誌が月曜発売になってしまう。この3日のロスは痛かった。Webでも課題は見られるのだが、やはり実際に雑誌を手にして応募課題に付箋を貼るといった作業をしないとやる気が起きない。)

考えた作品自体の数は昨年とそんなに変わらなかったりするのだが、応募数がなぜこんなに違うのかというと、今年は、いわゆる「0次審査」というのを止めたからだ。

何年か前にSKATで、ある審査員の方が「応募数にこだわるのではなく、自分の考えた作品をまず自分で審査、選別して出す『0次審査』をしたらどうか」とおっしゃっていたのがずっと頭の中にあり、それ以来、まず応募する前に作品を半分以下に絞って応募・送信することを実践してきた。

だが今年参加するにあたって初めて「0次審査」をしていいものなのかと思うようになった。

「果たして自分は審査員足りえるのか?」

何十本、何百本1次審査を通過してきた応募者がそうするならまだしも、7年間応募して1次審査通過数6本の私がそれ相応の審美?眼を持っているのか、はなはだ疑問だ。私の数少ない1次審査通過作品の中には、「え、これが」と思うものもあったし、グランプリを取った方のコメントにも「思いついた瞬間テンションの上がったコピーは全部1次で消えた」というのがあった。

そんなものなのかもしれない。

なので今年は、よほど「これはちょっと・・・」と思った作品以外は応募をした。決して多くはない数の作品の審査はやはり審査員に一任しようと考えた。

それにしても、ここ数年強く感じているのだが、自分の限界がどうしてもあるのだと痛感せざるを得ない。

作品を応募する以上、やはり「ファイナリスト」を夢見るものなのだが、その「ファイナリスト」感のある作品をどうしても生み出すことができない。歴代のファイナリストの作品を見るにつけ、「どうしてこんな発想が」と感嘆ぜずにはおれない上に、どれだけ考えてもそういった「ファイナリスト的発想ゾーン」にどうしてもたどり着くことができない。

ただ、私ももう齢51である。                       職業的な夢を追っていい時期はもうとうの昔に過ぎている。         いろいろな意味で自分というものがいやでもわかってくる年齢である。   なので、「悔しい」というのはない。ただただ感嘆するのみである。     昨年の上位入賞者が割と年配の人が多かったので「若い人がもう少しがんばるといいのかな」と考える気持ちもある(とはいえ、私を含めいくつになってもこういったものにチャレンジをするといった姿勢は人生を豊かにするものだと思う)。

来年以降も私はおそらく宣伝会議賞に応募し続けるのだろう。      このコンテストにおいて私は自分を「トップアスリートの背中を見る(追うことはしない)市民ランナー」でありたいと思っている。でも・・・。 

まずは1次通過、なってくれ!!      

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