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嗚呼、悩ましき宣伝会議賞

日本一の公募広告賞と言われる「宣伝会議賞」。昨年、第58回の一般部門(これとは別に中高生部門がある)応募数は617203点を記録した。

それらの作品において一次・二次・三次と審査を重ねていき、最後に残ったファイナリストの中からグランプリ、ゴールド、シルバーなどの賞が発表されるという流れだ。

私は昨年まで7年連続でこの賞に応募している。

2月発売の「宣伝会議」3月号でまず一次審査の通過者の発表があり、4月号で二次審査以上の通過者、そしてファイナリスト作品の発表があるのだが・・・(ちなみに私は後述の理由で贈答式はグランプリ以外の結果は見ないようにしている)。

私は、2年連続で一次審査にも通らなかった。

「2年」というのは、一次審査を通過した年があったということだ。2017年の第55回に5本、翌2018年の第56回に1本、それぞれ通過している。通過した年があっただけに今年の結果には少なからずショックを受けている。スマホに「株式会社宣伝会議」の電話番号が表示されるという夢は今年も夢想で終わった(そうは言ってもファイナリストになったことは当然ないのでそのように連絡が来るのかどうかはわからない)。

かつてわが新潟県の高校野球強豪校、中越高校の鈴木春祥前監督が夏の甲子園で初出場から4度目の初戦敗退を喫した後、「どうしたら甲子園で勝てるのかわからなくなってきた。私の野球は甘いのか」とインタビューで話している。この言葉を借りるなら「どうしたら上位通過できるのかわからなくなってきた。私のコピーは甘いのか」と言いたくなる。

ただ、私の今回の応募作品数・・・。 

53本

「は?何、その数」「そら甘いよ!」この記事を読んでいる宣伝会議賞の猛者たちから総ツッコミを受けそうである。それはそうであろう。1000本を超える投稿数なんて言っている人もいる中で桁違いに少ない。「もっと頑張れよ」と言われてもしかたがない数である。ちなみに今までで最多の5本が通過した2017年は、詳しい数は忘れたが160本ほど応募しており応募数も今までで一番多かった。

本来ならこの2017年の結果をばねに「もっと頑張って応募して、もっと上位を」と発奮するところなのだが、この翌年、私の宣伝会議賞への情熱を減退させる人生の転機が訪れる。

とある紙媒体で、フリーの立場で記者をする仕事を始めたのだ。

収入はわずかであり副業の域を出ていないのだが、それでも「いつかは物を書くこと、ライターになることで収入が得られたら」との思いを抱いていたので小さいながらも念願をかなえたというわけだ。

もともとコピーを考えるきっかけとなったのがクラウドソーシングでのキャッチコピー応募からだった。、クラウドソーシングも最初はライターをやれたらと思い登録をしたのだが、取材対象が都会にいないとできないものが多かったのであきらめ、こういっては悪いが「誰でもできる」と軽く考え、キャッチコピーの応募を始めたのだった。宣伝会議賞の存在を知ったのもこのころだった。

軽く始めたつもりが徐々にキャッチコピーの深淵なる魅力にはまっていき、指南書やグラフィックス、さらには名コピーライターの作品集などを片っ端から買いあさっていった。もちろん宣伝会議賞作品集「SKAT」も昨年まで7年分買っている。クラウドソーシング上での応募がコピーと言うよりはキャッチフレーズ的なオーソドックスなものが好まれる傾向にあったため、だんだんと宣伝会議賞にコピーづくりの重点を置くようになり、本応募の半年前から準備をするのが恒例になっていった。「こんな素晴らしいものがあるなんて」40過ぎのおじさんがそこにあらん限りの情熱を注ぎこんだ。

だが「いつかは物書きで・・・」の想いはずっとずっと前からのものであり、コピーに傾倒し始めてからもその想いが途切れることはなかった。

そして念願成就。

本業以外の空いた時間を取材の下調べなどに費やすようになり、今まで通り宣伝会議賞に時間を割けなくなったのだが、それ以上に私は宣伝会議賞に対して斜に構えるようになってしまった。               「今からコピーライターになれるわけではない」            「やはり若い時に『コピーライター養成講座』に行っておかないとだめなのだろう」

とはいえ気持ちが全く冷めたわけではなく、今でも応募期間中はそれなりに時間を使って宣伝会議賞に取り組んでいる。だが応募数が2017年の160本を超えることはなくなった。

ここで私は変な理屈をこねるようになる。

「恋愛だって、がつがつ行くよりは少ない手数でもスマートに行った方がモテるじゃないか」

作品への手ごたえはむしろここ2・3年の方が感じている。かつての自分の1次審査通過作品よりこっちの方がいいと何度思ったことか。スマートでセンスのあるコピーが書けているという根拠のない自信があった。

だがそれはきっと、よく「SKAT」で審査員の方が講評で言っている「ほとんどの作品は多くの人が考えている」その多くの人が考えるコピーがうまくなっただけなのだろう。結局恋愛もやはり真剣で誠実な人が最後は「結婚」できるものだ。

「SKAT」で上位受賞者のコメントを見てみると、熱い想いをたぎらせている人もいれば自然体で軽やかに取り組んだ(ように思える)人もいる。前者には少々引き、後者には少々嫉妬する(このコンテストには広告代理店に勤めているいわゆるプロも多く参加する。熱くなるのは当たり前なのだが)。

「才能がないのだったら、がむしゃらに努力をせんかい!!」       内なるもう一人の自分が叱咤する。だが・・・。

ライターとしての充実感。                     「もっとライターの仕事を増やしたい」との野望感。          宣伝会議賞7年やってこの成績という限界感。               それでも土屋耕一、小野田隆雄が好きというコピーオタク感。       天秤は揺れ動く。

毎年今頃からは、昨年トライしなかった課題に取り組み、その課題の協賛企業賞やファイナリストの作品を見て(だからそれまで自分が応募した課題以外の上位作品をあえて見ないようにしている)「答え合わせ」をするという準備をしているのだが、今年はまだやっていない。           

もう、辞めてもいいのかな・・・。

「・・・、『SKAT』の発売はやっぱり5月ごろになるのだろうか。『答え』はいっぱいあったほうがいいだろう。よし、今年は短期集中型で行こうか」

嗚呼、悩ましき宣伝会議賞!





            




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