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乳がんにまつわるエピソード

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私の乳がんに関する記事を集めています。
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#がん

仕事復帰2ヶ月目

仕事復帰2ヶ月目

12月に病理検査の結果を聞き、
治療方針も決まり3ヶ月に一度のリュープリン注射とレトロゾールを飲み続ける治療に変わった。

先生曰くいつでも仕事復帰できるとのことだが、
コロナ第三波と繁忙期だったので体力も落ちてるし2月から復帰することとなった。

復帰前、前に飲んでたタモキシフェンよりも副作用が強いやないかい!ホットフラッシュ!ヤバ!
平衡感覚がおかしいぞ!

身体が大騒ぎだったので約2ヶ月休ん

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○○メソット、○○式健康法

○○メソット、○○式健康法

すごく好きな染めから鞄を作る女性作家さんがいらして私も何年か前に購入して経年変化を楽しんでいた。

一度お逢いしたこともあって

SNSで相互フォローの関係で作品を見たりするのが
とても楽しかったのだけれど、最近の雲行きが若干怪しくなってきた。

私が二度目の乳がんが出て入院することになった時に某精神科医の書いた栄養メソッド本を勧められた。「自分はコレをやってからとても健康だ」…と。

私はその時

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リュープリン+レトロゾールの1ヶ月

リュープリン+レトロゾールの1ヶ月

本来なら、年明けから抗がん剤治療を始めるはずで
私もそのつもりだったのですが、

奇跡的確率で内分泌療法になり、
お正月を迎えました。

これがまあ、
その時のことなんですけどね。

2年前に左にルミナルA
その経過観察中にタイプ違うヤツ右から出す
…っていうミラクル起こしてしまって

2年前子宮頸も取ったらそこからもガン出てきたんで私、たった2年で3ヶ所からタイプ違うガン出しました…。

もう腹

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ちょっと意味わかんない(サンドイッチマン風に…)

ちょっと意味わかんない(サンドイッチマン風に…)

昨日、2020/12/08火曜日は
先日受けた右乳房全摘手術の病理結果を聞きに行ってきました。

10/27(火)の告知の時は
ルミナルB抗がん剤もあり…と聞いていたので、
年明けから抗がん剤治療を始めるための気合と準備をして臨んだ結果発表

まあ、2年前には左に8センチに及ぶルミナルAという
進行度が遅く悪性度も低いタイプのガンが見つかったわけなんだけど、乳房内には米粒ばら撒いたみたいな白いMR

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リテラシー&リテラシー

リテラシー&リテラシー

2020年5月某日。

コロナ禍の中にあり、
避けたい場所のひとつは「病院」であろう。

しかしね2018年秋の訪れとともに
ある日突然「ガン患者」になり「ガンサバイバー」というスーパーヒーローの持つ武器みたいな
ナニソレ強そう!な称号をもらったので今も病院通いは避けられない。

ガンで死ぬもコロナで死ぬも
「死ぬ」に変わりはない。
仏教高校出身の自分。
たぶん普通の主婦より
「人間死亡率100%

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手術から9ヶ月。

手術から9ヶ月。

夏だ!
先日、誕生日を迎えた。

もうすっかり時が経った感があるのだが、
乳がんの手術をしてから9ヶ月しか経っていない。

去年の今頃は会社の健康診断を受け、
48歳にしてはものすごい健康値を叩き出していて、
夏のデザート作りに勤しみ、自分は健康と信じて疑わず日々をめちゃくちゃ楽しんでいた。
自作のコンポートで自分の誕生日に自分でケーキを作ったくらいである。

知らない間は「がん」など存在しないも

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婦人科は男性医師か女性医師か…患者力も大事。

婦人科は男性医師か女性医師か…患者力も大事。

乳がん検診と一緒に受けてた子宮がん検診で引っかかり、乳がん宣告されてからコルポスコープ診という精密検査を受けた。

乳がんは全摘が決まっていたため、
入院手術は決まっていて、入院説明と麻酔科医の説明の日が婦人科での結果発表でサラリと

「子宮頚がんの恐れがある『高度異形成』だったんですよ。ちょうど全身麻酔で手術するから子宮頚も取って調べた方がいいですね」と言われた。
手術1週間前のことである。

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GO!フラットで生きる。

GO!フラットで生きる。

私は片乳である。

乳がんを発見した時には乳房内に米粒ほどのがんが
広がっていてMRI画像を一目見て
「全摘ですね」と自分から言ってしまったくらいに散らばっていた。

現在保険適用になり、
乳房再建する人が多い中、

即答で「再建要らないです!」
と答えたので先生は豆鉄砲をくらった顔をしていた。

「がん宣告」を受けた時に、
特に感情的にならなかった。
もともとプティなサイズのお胸、なくなったとて

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観に行きたかったけど叶わなかった映画



「がんになる前に知っておくこと」という
ドキュメンタリー映画が上映されていた。
ちょうど韓国へ旅に出たり、その分の穴埋めで仕事をせっせと入れてしまったので観にいくことが叶わなかった。

厳密にいうと、もう「がん」になってしまったんだけどなってしまっていろいろ調べるうちに、イメージと現実の解離の甚しさはなかなかのもので、
「そういえば痩せたと思った」とか、
今にも死にそうな扱いを受けて「すぐ死な

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平成最後の日

平成最後の日

「新しい元号は『平成であります』」

小渕官房長官が額ババーン!の瞬間、私は高3だった。

あの日は今回の元号改正と違って天皇陛下の病状が年末から次第に悪化していた。長かった「昭和」という時代が終わろうとしていた。

世の中はバブルに湧きたち、
唯我独尊状態だったのだが、
今で言う「忖度」「自粛」でバラエティやドラマなど娯楽が日本から消えた期間でもあった。

テレビは白黒画像の過去映像を流し、

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サラバ、マイブラジャー

サラバ、マイブラジャー

4月も後半なり、夏日かよ!という日が増えてきたので
衣替えをする。

タイツやヒートテック、セーターなど衣装ケースに入れるものをどんどん畳んで積んでゆく。

そんな中、私の頭を悩ませるものにブラジャーがある。

昨年8月の健康診断の結果で健康値の高さに「ヒャッハー」状態で
ピラティスにハマっていることもありエクササイズ用のスポブラと呼ばれるものを4枚ほど新調した…。それなりのお値段だったが背筋も伸

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乳癌になった話  その10

乳癌になった話  その10

手術が終わった日の夜は長かった。

たくさんの管につながれ
ずっと靴下状のエアポンプが足をぎゅーっと
絞ったり、緩めたりするのだ。

一晩中、「ブオオオオオー、プッシュー」
という音が繰り返される上に向かいのベットのご老人のイビキがすごかった。
翌朝姿を見るに上品な老婦人だったので、
太ってなくても見事なイビキかけるんやなぁ…と思った。

「手術の夜は眠れませんよ…」
とことごとく看護師さんや先生

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乳癌になった話  その9

乳癌になった話  その9

手術の当日の朝は絶食だった。
水も7:00までと決められていた。

あんなに「トンデモ医学」に関して拒否したが
直前の旅行で汲んだらしいフランスのルルドの聖水を
父親が夫の職場に持ってきた。
「手術の前に飲むように言って」と伝言があったらしい。トンデモ医学!母親じゃなくて父親かよ!

藁にもすがる想い……やだ怖い。
医師でも非科学にも頼ってしまうのか。

父と母は夫に「乳癌見つけてくれてありがとう

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乳癌になった話  その8

乳癌になった話  その8

手術日は10月24日(水)に決まった。

癌発覚からうつ伏せに寝て胸潰れたら
癌が乳腺からはみ出したりしないのかな?圧で…
とか今まで落ち込みゼロで休職をエンジョイしてるけど手術の後、急にテンション下がって落ち込むのかな?…とかよくわからない事に頭を悩ませていた。

乳癌の5年生存率は私の1期では100%。
しかし直前に味わった台風21号のせいで
「癌宣告されても癌で死ぬとは限らない…」
という想

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