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経験者が考える場面緘黙症アレコレ⑤「外で自己が消える」体感について
場面緘黙症って結局何なのだろう。何故発症するのだろう。
「話せない」状態から30年以上経った今、ここを解き明かしたい思いが冷めるどころか益々強くなっている。(執念深いので、とカウンセリングで話したら笑われた)
(※こちらに記載している話はあくまで私個人の体験です。場面緘黙症と言っても、その人の背景も発症年齢も罹患期間も、人から受けた傷つきも多様のため、こんな人もいるんだな、程度でお読み頂けると幸
経験者が考える場面緘黙症アレコレ④よく聞くお悩み「作文が書けない」「自分のことが分からない」&SNSの利用について
場面緘黙症経験者で、ASD・ADHD傾向ありの自分、アラフォーという年齢ながら、SNSが使える時代に辛うじて生きていられて本当良かったし、ギリギリセーフだったなと思う。
自己実現と言う視点だと、セーフでなく後の祭り感もあるが、その分気楽さもある。
SNSどころか、ネットのない時代は悩みを出す場がほぼ皆無だった。今思うとゾッとする。
受動型だと、自分の悩みを外に出したくない、出し方が分からない。
経験者が考える場面緘黙症アレコレ③話せない理由。「他人が怖い」の裏に潜む、「他人と対峙した時に自分を見失う」ことの恐怖について
「場面緘黙症は緊張が強いから話せない」という言葉を聞くと、一般の人は、自分に取って苦手な上司や、目上の人と会った時の緊張感などを思い出すかも知れない。
だが、元場面緘黙症(&薄ASD)の私に取っては、目上の人などへの緊張感と、クラスメイト、身近な友人などと会った時に感じる緊張感や違和感などは、別物という感じがする。
緊張を強く感じる性質、というより、大勢の人の前でのスピーチや、偉い人に会った時
経験者が考える場面緘黙アレコレ② 「ありがとう」を思い付かなかった子が、好きを嫌い、嫌いを好きと言ってしまう子になった話。人の気配は怖いよ、という話とか。
シリーズで書きたいと思っている場面緘黙症話、パート②です。また今回も、当初のテーマから暴走気味ですm(_ _)m
私は、小1で「とりあえず声を出す」ことが出来るようになった場面緘黙症経験者です。
年少で幼稚園に入園したその日から、家とあまりに違う環境に私はカルチャーショックを受け飲み込まれてしまい、声の出し方が全くわからなくなっていました。
視覚優位のためか、入園式で着ていた服の柄や、紙で作
経験者が考える場面緘黙アレコレ①[話しやすい人数とは&発達障害について]
場面緘黙症についてシリーズで書けたらいいな、と思い立ったものの、順を追って書くのが苦手なタイプなので、思いついたことを勝手に呟く形となるかと思います。
1回目は、「元場面緘黙症が話しやすい人数とは?」からの「発達障害との関係」。
(本当は、話しやすい人数で終わらせるつもりでしたが気付いたら深入りしちゃった…)
私は、幼稚園年少〜小1までは「話せない子」、小1で友達に一言返せたことをきっかけに「
手芸にハマっていたら言葉が出辛くなった話(元場面緘黙)と、言語化するということについて。
(はじめに説明しておくと、話さない趣味ばかりしていると場面緘黙症が悪化するよ、というわけでは決してありません。一人時間を好むように出来ている人間が、コミュニケーションを取るために使い分けする話です)
最近しばらく、娘の服作りにハマり文字や聞き言葉に触れない生活をしていたのだが、他人と話す時に言葉が出なくプチ緘黙になりかけて参った。
しかし、一日無言で縫い物をしている時の精神状態の方が落ち着いて
場面緘黙症。話せない理由は「自分を見失う恐怖」
クラスメイトの話す姿を傍観者として見聞きする。
相手を気遣う声かけ。リアクション。わざと外して笑いを誘うテクニック。
幼児期に場面緘黙症を経験し、小学校低学年で声だけは出せるようになった私は、小学校高学年頃から気付いたらコミュニケーションのパターンを「勉強」するようになっていた。
いざ自分が誰かと話す時になると、
その場に合いそうなパターンをストックから取り出す。誰かの「話し方や身振りの型」を
受動型ASDは、「ぼんやり」なのか?
ASD傾向ありの人間は、好きなものや心を落ち着けるための手段を捨てると生きている実感がなくなり壊れてしまう。思春期の頃を思い出してあらためて感じる。
幼少期から、(昭和生まれなので情報源はTVという時代だったけれど)周りの子供達が次々と情報を更新していくことが、自分には理解できなかった。
流行りの歌、タレント、TV番組。社会ニュースにもアンテナが伸びなかった私は、自分の世界を守りつつも狭い世界か