経験者が考える場面緘黙症アレコレ⑤「外で自己が消える」体感について

場面緘黙症って結局何なのだろう。何故発症するのだろう。
「話せない」状態から30年以上経った今、ここを解き明かしたい思いが冷めるどころか益々強くなっている。(執念深いので、とカウンセリングで話したら笑われた)

(※こちらに記載している話はあくまで私個人の体験です。場面緘黙症と言っても、その人の背景も発症年齢も罹患期間も、人から受けた傷つきも多様のため、こんな人もいるんだな、程度でお読み頂けると幸いです)


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あくまで自分にとっては、だが、子供の頃は特に、他人と向き合うと普段の自分が消えるかのような体感があった。

(これは後々考えて言語化出来たが、当時は「嫌な気持ち」としか理解できていなかった。足元が見えず、どう振る舞えばよいか分からないとても不安定な状態。)

私は、ASD特性が薄くあると大人になってから判明したが、幼い頃は「大人の考えていることも分かっているしっかりした子」だったらしい。(祖母や両親などの発言から)
(今回は場面緘黙症がメインテーマのため深入りは避けておくが、「自分が傍観者として見ていたら、ある程度周りの状況が分かるものの、他者と面と向き合うと「色々とやらかす」ことは割とよくあったように思う。どうやら言ってはいけないことであるらしい相手の弱み部分をズバリ言ってしまったり、自分の好き嫌いを絶対に妥協しなかったり、大人になってからは『人に騙され』たり…)

自分の身体の感覚が分からないといったこともおそらく無かったと思うし、他人が自分とは違うことを考えているらしいことも分かっていた。ただ、どうしても他者と「繋がる」方法がわからなかった。

「家の中での私、家族と一緒の時の私」(以降、「わたし」とする)が、家の外に出たり、家族と離れたりすると消えてしまうのだ。

慣れ親しんだ家族と話す時は、しっかりと「わたし」がいる。「わたし」が相手の発言の意味を考え、自分なりの答えを出す。「それは違うと思う」などと考えながら、相手への伝え方も考えたり出来る。

ところが、「外」(家族以外の人、学校などの環境全てを含む)に出た途端、「わたし」が見え辛くなる。

「わたし」を感じるより前に、「慣れ親しんだもの」(これは人だけでなく、持ち物や幼稚園・学校の備品などの環境すべてを含む)とは異なるあらゆる情報が流れ混んできて、「全く分からないもの・親和性がないもの」に対しては対処不能となる。ただ圧倒されているだけなので、「対処不能」ということすら理解できておらず、「分からないと自覚し、誰かに頼る・質問する」ことすら意識に上らない。感じるのは不安感のみ、という感じ。(そもそも、「自分」が何かをすべきというところまで自覚していない)

(『自閉症の現象学』(村上靖彦著)、『自閉症のスペクトラムの精神病理』(内海健著)で「視線触発」という言葉に出会い、そこから「話せるようになってからも感じていた苦痛」についての答えに一歩近づいたように感じた。
私の頭では、これを言語化することはまだ出来ないが、視線触発には気付いているものの積極的な他者との関わりに一歩進めていない、「他者が怖い」のまま社会生活に入ってしまったため、「自己を守るための『防衛反応』として」場面緘黙症になったのではと感じている。Twitterのフォロワーさんがピッタリな言葉で表してくださったが、「ヤマアラシのジレンマ」で、自己を守る反面、他者からの圧力で傷つくのだけど。

一般の人は、視線触発→「他者の存在に気付き、その瞬間ドキッとする」ことがトラウマにはならず、次の段階へ進め、「他者とコミュニケーションすることは楽しい」へと至れるらしい。私はここで躓いていたように思う。)


「自分とは違う異質な物」を受け入れる方法を知らないし、受け入れると「わたし」が消えるという恐怖感があるので、そこから進めない→他者とコミュニケーションできない→緘黙、となる。

私の場合は、話せる以前の非言語コミュニケーション(バイバイするなど)もひどく緊張したし、自分がやることに違和感があったし、「うれしいけれど嫌」という体感があった。

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(特に幼少期)安心できる親がそばにいると話しやすかったのは、自己(「わたし」)を感じながら話せる」からだった。

それは場所などにも似た影響を与える。例えば慣れ親しんだ家なら、他人を呼んでも比較的話しやすいなど。未就学児だった当時でも、そのことはよく理解していた。

親がいると、いつもの「わたし」になれる。友達はなぜ、親がいないのに、「家と一緒の自分」になれるのだろう。不思議で仕方なかった。

年齢が上がるに従い、「親がいると逆に話せなくなる」。それは「社会での自己(仮面)」が出来上がるから。家での自分と乖離があるほど、「外での仮面」を慣れ親しんだ人に見られるのは耐えがたい恥ずかしさとなる。

自閉傾向があるとしても、他者認識も他者との違いも気づいた上でカモフラージュしている場合、「仮面」が「他者のマネとして」ペラペラ話せる自己を演じる場合がある。

側から見たら、「話して」「笑って」いたら、「場面緘黙症を克服した」「全く問題ない」と見えるかもしれないが、本来の自己との乖離に悩んでいることもあり得るかと思う。

私が場面緘黙症を形だけ克服した段階では、学校という場で話している自分は、私にとっては「本来の自分」ではなかった。
いつも内側に本来の「わたし」がいて、声に出す、表情に出すほんの一瞬の前に「言うべきセリフを作り、出すべき笑顔等をイメージする」仕事をしている。
表面上の自分は、それを演じるだけの「作り物」。
この感じは、20代ごろまでは強いものだったが、年齢とともに変化はして来ている。

自分なりの解釈だが、「わたし」が感じたことを「セリフ」にする前に話し出していることがあるが、それが出来るようになったのは、このようにアウトプットを始めてからだ。

薄ASDらしい自分は、言語に強いタイプでは元々なく(今もこの通り)、子供の頃は「本を読まない子」で、イメージで物語を捉える・捉えたいほうだった。

思春期頃から、(文系進学校だったのもあるのか)読書家の子が多く、自分も焦って本を読むようになった。はじめは小説家などから。

そのうち、あらゆる分野の本を広く浅く読むうちに、その物事の関連などに気づくようになり、拙いながらも「頭の中で、言葉で考える」習慣がついてきた。

これが、話すことへの緊張感を緩和していると思う(こともある)。

ただ、今でも雑談はとても苦手で、「真面目な話をしているほうか楽」というASDらしいところもある。
(お相手が雑談を仕掛けてくれると、乗っかれるようにはなった)

場面緘黙症克服後の困難については、外見からは分からず理解され難いかと思われるので、大雑把ですが最後に書かせていただきました。

毎度ながらまとまりのない思いつき文章で失礼しましたm(_ _)m

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