場面緘黙症。話せない理由は「自分を見失う恐怖」

クラスメイトの話す姿を傍観者として見聞きする。
相手を気遣う声かけ。リアクション。わざと外して笑いを誘うテクニック。

幼児期に場面緘黙症を経験し、小学校低学年で声だけは出せるようになった私は、小学校高学年頃から気付いたらコミュニケーションのパターンを「勉強」するようになっていた。

いざ自分が誰かと話す時になると、
その場に合いそうなパターンをストックから取り出す。誰かの「話し方や身振りの型」を装備する。

なぜそんな面倒な手順を踏まないといけなかったかというと、そうしないと相手と話すことが「怖くて」出来なかったからだ。

コミュニケーションをとる時の「演技」、(勝手な想像ながら)多数派と呼ばれる人達は、本来の自分というものを「自身で意識しながら」「演技している自分を客観的に見ながら」演技しているのではと感じる。

苦手な先生や上司と話す時。自分とタイプが真逆の友達に、表面上だけ話を合わせる時。

内心、この人のこういうところ嫌だな、自分ならこうするんだけど、などと考えながらも、空気を壊さないように笑顔を作りにこやかにしているのでは?と。

(ASD傾向が後ほど発覚した)私自身は、演技する時は「相手と同一化したかごとく」、相手のイメージ通りの人間に「なり切って」しまう。(そのためか、モノマネが上手いとよく言われた)
頭の中で意識している「私という自分」は、大変ちっぽけな存在か、ボンヤリしているか、自信がこれっぽっちもないか…というような、大変希薄で不安定で他人の意見に流されてフラフラしてしまう存在だった。

(家庭を持ちいい歳になった現在は少し違う形になっているが、それはまたの機会に)

他人といる時に「自分」を意見を持った人間だと意識出来ないため、つい相手の話にうんうんと同意しでしまったり、相手によって演技するキャラがコロコロ変わってしまったりする。

わざとではない。そうしないとコミュニケーションができなかったのだ。

本来の自分を出すことは「絶対に不可能」で「辿り着けない状態」であり、「自分を出していない」と他者に言われることは最も辛いことだった。自分でも分かっているのにどうしようもなかったから。

黙って他人を眺めていた場面緘黙症時代は、「本来の自分」を守っていたとも言えるかもしれない。
他人と会話し関わることで、自分の心に他人が侵入し、バラバラにされるかのような恐怖を感じていた。少し大袈裟だけれど、他人と話すことで「自分が見えなくなる」のは恐怖だった。

「自分が見えないから話せない、声を発することが出来ない」というのが、私にとっての場面緘黙だったのかもしれない。

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