受動型ASD女子のやらかし(やる気がないわけではないのです)

「ここで、こんなこと言ったらKYだろうな、かと言って話すべきことも分からないんだけど」という、受動型良い子ちゃんASDだった私は、内面で盛大な間違いをしていたことが多々あった。

それを他人に見られたくない思いも強くあり、ここだけは器用に隠すもので、バレないことが多かったけれど。

幼少期から、周りの子供たちの中に入るタイミングが分からなく、更に場面緘黙症でもあった私は、「大人しいこと=悪」という定義が自分の中で非常に強固なものとなってしまっていた。


大学生の頃のバイト先でのこと。(よせば良いのに接客ばかりしていた)

何を思ったのか、休憩時間に数分遅れたら「細かいことに気にしない堂々とした人間」を演じられるかもしれないと考え、休憩時間を3分ほど(わざと)ずらして帰って来た私は男性社員の逆鱗に触れた。

(こうしてバカバカし過ぎて戸惑うぐらいだけど、ここで成仏させたい)


バイトの先輩や男性社員から風当たりが強く、それは「自分が要領が悪く、大人しく真面目で面白味がない人間だからだ」と思い込んだ私は、「少し抜けたところのある人間を演じたら良いのでは。わざと余裕があるフリをしたら良いのでは」と考えてしまったらしい。


「大人しい=悪」の思い込みは、話せなかった場面緘黙症の幼稚園時代から自分に馴染み過ぎ、自分にとっては疑いようがない事実だったので、この時も大真面目に信じ込んでやらかしているのだ。

この時、ちゃんと言語化して考えて行動に移したのか、衝動的にやったのかというと、どちらかと言うと後者だった気がする。

お金をもらって働いているのだから、そこのルールに従わなければいけないということは、言葉としては理解していたはず。それなのに、逸脱した行為をふとしてしまう自分が恐ろしくも感じた。


バイト先の上司から叱責を受けた私は、自分のしでかした間違いに気付いたものの、「お金をもらって働いているのだから」ということは実感としては曖昧にしか分からず、怒られたショックで頭が真っ白になった。

「大人しくてダメな自分を治すためにやったことで叱られるなら、もう自分には生きる術が何もないな」とぼんやり思ったことを覚えている。

自分で考えてやることは悉く間違いなら、何もせずに一人でこもるしか、長い人生・長い時間をやり過ごす方法はない。

20代の頃はこんなことばかり考えていた気がする。

(「やりたいことが分からない」ともがいていつつも、自己否定しているうちはそれは見えるはずもない)



「就業時間は守らなければいけない」というルールは理屈では分かっていたのに、身体に浸透していない自分が歯痒かった。

今改めて考えてみると、理屈では分かっていても行動に中々繋がらなかったり、怒られるという体験をしたとしても、「そこから学ぶ」以上に、他人から否定されたショックだけが頭の全てを占めてしまい、中々学びには繋がらない。

(地方ではまあまあ名前が通った大学出身だったりもすることで、周りからの風当たりはより強いものとなったし、自分自身でも「学校の勉強は何とかなったのに、何故当たり前のことが出来ないのか」は、自分と常に隣り合わせの感情だった)

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話が飛ぶが、幼い頃なので記憶は曖昧だけれど…例えば周りの子供たちがやっている駄菓子屋での買い食いとか、知らない遊びとか、、そのような自分が未経験のものに出会った時、「何をすべきか分からなくて」「やりたいのにフリーズしていた」自分というものをよく覚えている。

幼い頃から、「動きたくても動けない」自分なのだ。


(例えば、買い食いしてみたいなら親にそのことを伝えたらいい。それすら思い付かないか、言うのが恥ずかしいのか…とにかく「体験」を手に入れることは自分にとって不可能であることが多かった)


細部に注目してしまい、その刺激に飲まれてしまって「木を見て森を見ず」なASD的な部分はあったかと思うし、そのせいでとある一つの体験を異常に高いハードルだと考えていたフシもある。

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仕事についての責任感というものは、私の場合は集団で身につけることが難しかったのかも知れないと少し感じる。

私は独身の頃から子供を持った今まで、ちまちまとしたハンドメイド品を長年ネットで販売している。

「身勝手な行動は相手を苦しませるんだな」ということは、オンライン上でメッセージのやり取りをするだけの取引でも十分勉強になった。


たいていはとても丁寧なお客さんだが、たまに、オーダー品を製作し終わった時点で「やっぱりキャンセルします」という人が現れ、自分が明確に説明しなかったのも悪かったな…と甘さに気付かされたこともあったし、いつまでも連絡が来なくなり、最終手段の電話連絡をしたら「忘れていた」とアッサリ言われたりしたこともあった。

ただ、こういうアレコレのトラブルを、一人で解決するということはさほど苦では無かった。

前述したように、こういう場面で上司がいて、怒られたり注意を受けたりすると、自分の場合は怒られたことにばかり頭が行きショック→フリーズ、肝心なところを学んでいないパターンが多かったので、対面でのやり取りなしのネット販売は向いているな…と実感できた。

また、沢山のバリエーションから選べるようにした方が喜ばれるだろうなとか、サイズや裏面・内部の作りなども分かりやすく掲載した方が見やすいだろうなとか、試行錯誤するのも楽しいし、

沢山の注文が入っていると、仕事から帰宅後何時間もかけて作業することも厭わなかった。

一人で作業することで、ゆっくり相手のことを考える余裕が出来た。

元場面緘黙症とか、ASD傾向があったりとか、対人場面で強い緊張や不安を感じる人は、なるべく一人で時間をかけて対処できるような、簡単な経験を積み重ねていくのが良いのかもしれない。


毎度ながらまとまりのない話でした。

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