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鬱病虐待サバイバーが自家焙煎コーヒーショップを開業するまで⑦
高校時代は部活もせずにバイトに明け暮れた。地元のイオンにあるケンタッキーフライドチキンのバイトは高校を卒業するまで長くつづいた。
マナーの悪い人や、店員をストレスの捌け口にして怒鳴り散らすような人、正直ろくでもない色んなお客さんが来たが,、従業員同士は仲が良かったため愚痴を吐きあいながらも店長を中心に結束し一生懸命働いていた。
わたしも学校をサボった日でもバイトにはきちんと行って、夕方から夜まで働
2024年3月の日記
別に僕の一生懸命書いた文章より綺麗なラテとかスイーツの写真とかの方がバンバンいいねくるけどそんなんしかいいねしない人と関わりたくないので僕が一生懸命書いた文章はいいねしなくていいのです。文学読む人やアートがわかる人としか友達にならないと決めた春先。感受性が死んでる人と関わるととても傷つきます。消費社会においてモノだけでなく人やコミュニケーションや自分自身すらも消費しつくされる時代が始まっている。う
もっとみる古井由吉『杳子』読書感想文
よく晴れた春の日暮れはどうしてか泣きたいような気持ちになります。暖かい空気が日没とともに、含んだ水分をそっと染み出させるような。肩に触れた涙が洋服にじわりと染み込むような。優しくて温かな悲しみの膜に体が撫でられているような感覚になります。
春の雨は好きです。何もかもをゆるしてくれているような、そんな緩やかなリズムで不確定な実存を包み込んでくれます。
さて、コーヒーのペアリングにと久々に古井由吉の
鬱病虐待サバイバーが自家焙煎コーヒーショップを開業するまで⑤
高校生活
わたしはなんとか地元の高校に進学したものの、相変わらず授業はサボりがちで、最初こそ努力したもののあまりに家庭環境が掛け離れた同級生たちともなんだか何を話していいか分からなくなり、わたしはいつも休み時間を廊下の傘立てで本を読んで過ごしていた。
わたしのクラスの一つ隣の部屋が図書室であった事もあり、高校の司書の先生には近代文学を読み込む今時珍しい子供だと気に入られ、たまに図書室で授業をサ
鬱病虐待サバイバーが自家焙煎コーヒーショップを開業するまで④
中学時代
入学してすぐわたしは友達に誘われて吹奏楽部に入った。部活紹介で、壇上で力強くドラムを叩く女性の部長さんがカッコ良くて、わたしはパーカッションかトランペットがやりたいなぁと思い入部申請書を出した。いろんな楽器を一通り試し吹きする適性テストの結果、顧問によってトランペットに割り振られることが決まり、とても嬉しかった。
トランペットは音が大きいので部室の一番後ろ側、指揮者から離れた位置にす
鬱病の虐待サバイバーが自家焙煎コーヒーショップを開業するまで③
幼少期
3歳からは母の意向で仏教系の私立の幼稚園に入学した。毎朝ブラウスと吊りスカートをはいて、鏡の前に座る。母は三人の子供たちを代わる代わるにかわいいぼんぼりのついた可愛いヘアゴムで髪をセットしてくれた。
母は私の髪をヘアブラシでときながら、あんまり強い力で引っ張るもんだから、私の頭は引っ張られるままに傾く。そうすると母に頭をピシ、とまっすぐに戻される。その繰り返しである。思い返すと、すこし
鬱病虐待サバイバーが自家焙煎コーヒーショップを開業するまで②
私が生まれた古都京都
私は夏の終わりに京都に生まれた。2300グラムほどの低出生体重時児だったらしい。私の誕生を楽しみにしていた祖父は、私が生まれる前にトラックに轢かれ亡くなってしまったのだが、そんな祖父が生前に市内のはずれに買った一軒家でわたしは両親と祖母、姉と妹に囲まれて育った。
京都は四方を山に囲まれた盆地で、夏は猛烈な湿気に苦しめられる。その湿度は何か見えない膜が体にまとわりついている
鬱病虐待サバイバーが自家焙煎コーヒーショップを開業するまで①
私は東京で小さな自家焙煎のカフェを経営している。余裕がある生活とは言えないが、街に根差し、私の焼いたコーヒーを美味しいと通ってくださる温かいお客様に囲まれながらもうすぐ31歳の誕生日を迎えようとしている。
正直自分が30年も生きるなんて思っても見なかった。今までの30年の人生は、ほとんどをうつ病と共に生き、数えきれないくらい自殺を試みた。
ドアノブ、スチールラック、窓枠、ベットフレーム、カウン