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鬱病虐待サバイバーが自家焙煎コーヒーショップを開業するまで④

中学時代

入学してすぐわたしは友達に誘われて吹奏楽部に入った。部活紹介で、壇上で力強くドラムを叩く女性の部長さんがカッコ良くて、わたしはパーカッションかトランペットがやりたいなぁと思い入部申請書を出した。いろんな楽器を一通り試し吹きする適性テストの結果、顧問によってトランペットに割り振られることが決まり、とても嬉しかった。

トランペットは音が大きいので部室の一番後ろ側、指揮者から離れた位置にすわる。そうすると他のパートの部員たちのずらりと並ぶ背中を眺めることができる。
合奏が始まる前はまずクラリネットがドイツ音階のベーの音を出し、一拍置いてから他の楽器たちも一斉にその音に合わせてベーの音を吹いてチューニングする。そうしてみんなが同じ音を吹いていても様々な周波数が重なり合って倍音と言われる別の音が聞聴こえてくるのだ。部屋いっぱいに複雑な音が膨らみ、わたしは厚みのある音に身体中が包まれているような感じがして、これが合奏なのかと感動したのを覚えている。決して一人では生み出すことのできない美しいハーモニー。音楽もスポーツと同じチームで作り上げるものなのだと実感した。

音楽の美しさや楽しさに魅了されたものの、残念ながら思春期の子供が群をなす吹奏楽部の中では先輩からの陰湿な後輩いじめがあり、一年生はゴロゴロと退部していった。わたしはそこまでターゲットにされてなかったものの、部内はピリピリした雰囲気や暗い雰囲気になることもしばしばで、相変わらずよくない家庭環境に重ねて、部活からのストレスもありわたしの鬱病はどんどん悪化していった。

結局わたしも2年生の途中から朝ほとんど起き上がることもできなくなり、3年になる頃には吹奏楽部を退部して学校にあまり通えない日々が続いた。体が鉛のように重く動くことができない。何もせず日が暮れていくことや、授業についていけなくなる自分に焦りや不安を感じながらも、やはり体が言うことを聞かない。夜になると暗闇に紛れて足先からひたひたと、苦しい、死にたい、と希死念慮が忍び寄ってくる。私の全身は真っ黒い闇に覆われてしまう。

わたしはどこで覚えたのかリストカットを繰り返すようになった。
夜、誰もいない部屋で机に向かう。どうしようもない胸の痛みに耐えられない。痛くて苦しくて、意識がある限り付き纏ってくるこの感覚に耐え続けるより死んだ方がマシなんじゃないかとすら思う。

勉強机の上に置いたテーブルライトの下で、カッターの刃を手首に押し当てて思い切り横に引く。一瞬の痛みと共に手首に赤い筋が走り、切り口からぷくりと血の玉が滲むと頭がぐにゃりと溶けるような、ぼんやりとした心地になる。不思議なくらいスッと胸の苦しさが解ける。ふっと息をついて、白い肌と赤い血のコントラストが綺麗だなぁなんて思い、だが束の間の快感はすぐに遠ざかりまたどうしようもなく深く重い不安感が押し寄せる。そうすると再びカッターを握り直す。希死念慮にせき立てられるようにわたしは何度も何度も刃を横に滑らせた。

リストカットに依存していたわたしの左手首には常に赤い生傷があったため、学校では夏でも長袖の制服を着ていたのだが、困ったことに吹奏楽部の野外演奏会で部員勢員がお揃いのTシャツを着ることになった。わたしは祖母にそのことを相談し、手首の傷を隠せるようシュシュを買ってもらった。トランペットのベルをぐいと真っ直ぐに持ち上げる。視界の端、左手首のカラフルなシュシュが見える。かわいいね、と友人に褒めらると、わたしは自慢するようにそうでしょう、と戯けていた。




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