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スタンド

高校生の夏、炎天下のスタンドで、野球を観ながらトランペットを吹いていた。高校の吹奏楽部の夏休みといえば、野球応援とコンクールというのが定番である。

いかんせん野球に疎く、スポーツにも興味がなかった僕は、中学から吹奏楽部にいた。希望しなかったけれどトランペットを担当することになった。そんな僕が高校に入ったとき、わずかに上達したトランペットはひそかに自慢できる存在に成長していた。

手前味噌な話だが、県内でも有数の吹奏楽部の上手い学校だった。
吹奏楽部が上手だと、不思議なことに野球部も結構強い(とおもう)。

県内・・というのも、高校野球の世界では、日本一予選が厳しいとされる神奈川県である。
たとえ野球に疎くても、その過酷さは推して知るべしであった。同級生を通じて野球部員の多さと、その厳しさを肌で感じていた。

外で楽器を吹くのは、中学生の時にも経験はしていたが、野球応援は格が違った。真夏の太陽が照り付けるスタンドは暑くて熱く、声援はときに地鳴りのように全身に響いた。選手を鼓舞するための曲目は、どれも華やかで力強く、直線的。トランペットの独壇場とも言えるような、キラッキラのかっこいいメロディーが随所に出てくるものばかりだった。

吹き手としたら、そりゃあ燃える。あなたが、男子高校生だったころを思い出してほしい。大学の付属高校として、男子校と女子高に分かれていたのだが、野球応援の時には、女子高からチアリーダーが派遣されるのだ。吹き手としたら、そりゃあ燃える。

野球のルールなんて全然知らなかったのに、めいっぱい吹いて叫んで、日に焼けた。テレビでぼーっと眺めていただけの高校野球が、目の前で繰り広げられていることが、夢のようだった。自分の音が、選手を奮い立たせているのだと信じて吹いていると、勝ってほしくなるのが人情である。幸いなことに(前に述べたとおり)結構強くて、毎年数回の応援ができた。勝っても負けても、スタンドがひとつになって「我らが母校!」という一体感を味わうことが爽快でもあった。

そんな夏の経験を経て大学生になり、普通の大学生らしく就活を経て、ある企業に職を得た。

入社して初めての夏を迎えるころ、上司から「靴のサイズを教えて」と呼ばれた。聞けば、都市対抗野球に自社の野球部が出場するので、新入社員で応援団を結成するのだという。そのユニフォームのひとつとして、靴のサイズを確認したいということであった。

くどいようだが、僕は野球全般に疎い。「都市対抗野球」は聞いたことがあったが、真面目に「都市が対抗する」のだと思っていたので、まさか企業の野球部が参戦しているとは知らなかった。しかも企業の本社の所在地とは関係ない土地なのだから、奥が深い。

面接のとき、トランペットの話をしたから選ばれたのか・・いやでも、ほかの同期は楽器吹けるなんて聞いたことがない。そういうやつは太鼓でもいいのかも、と勝手に楽器編成のことまで心配しながら、応援練習初日を迎えた。トランペットを持って来いという指示はなく、淡々と練習日程や試合日程の説明を聞き、練習が始まった。

なんと、というかやはり、楽器を吹く必要はなかった。スタンドの最前列に並び、身振り手振りと声でリードしていく、リーダーという役割だったのだ。しかも練習は「合宿」まであり、確か4日間くらいだったと思う。本気のオトナって怖いなと、文科系応援団の僕は緊張したのが懐かしい。

都市対抗野球の会場は、東京ドーム。野球に疎い僕でも、東京ドームは知っている。
高校野球なら甲子園、吹奏楽なら普門館(当時)、都市対抗野球なら東京ドームといったところだろう。社会人になって、またも野球応援をするとは。しかも夏なのに、会場には屋根があって冷房も完備されているとは、さすがオトナの大会である。

結果として、楽器を吹かない応援であっても、存分に楽しめた。ちなみに、楽器隊は大学から吹奏楽部が派遣されていた。スタンドの声量は高校野球には及ばないが、一喜一憂するたびに空気が揺らぐのを感じることができた。それまでの練習の日々を思うと、成果を発表し、さらに選手の力になったという達成感を共有するのは、感慨深い体験であった。仕事も忘れ、何度も東京ドームに通いたいと願った。

夏が来るたびに、あのスタンドの興奮がよみがえり、胸が熱くなる。ただ、相変わらず野球には疎いままだ。

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