鬱病虐待サバイバーが自家焙煎コーヒーショップを開業するまで⑦

高校時代は部活もせずにバイトに明け暮れた。地元のイオンにあるケンタッキーフライドチキンのバイトは高校を卒業するまで長くつづいた。
マナーの悪い人や、店員をストレスの捌け口にして怒鳴り散らすような人、正直ろくでもない色んなお客さんが来たが,、従業員同士は仲が良かったため愚痴を吐きあいながらも店長を中心に結束し一生懸命働いていた。
わたしも学校をサボった日でもバイトにはきちんと行って、夕方から夜まで働いた。自分で稼いだお金で食べ物やノートや文房具、本などを買うことができたのが嬉しかった。

いまになって思い返すととても多様性に富んだ職場だったように思う。
カラコンにつけまつげバサバサのギャルの先輩や、メイド喫茶に通いすぎて「お帰りなさいませ」と言って貰えなくなったオタクの先輩、バリバリ働くボス的存在の主婦、カラオケでキレキレのダンスを披露するハロプロ好きの先輩。みんな個性がバラバラだが、互いを物珍しがるでもなく、排除し合うでもなく、ただあるがままに受け入れていて、とても居心地がよかった。


私が高校3年生の進路を決める時期、父は再婚相手の女性と夜逃げならぬ昼逃げをした。学校から帰ってくると家財道具が一式なくなっていて残されたのはコピー用紙一枚。離れて暮らそうとのことだった。あまりにも呆気ない幕切れに唖然とし、リビング扉の前の廊下で、だらりと肩の力が抜けて垂れ下がった腕からスクールバックがの床に落ちたのを覚えている。学び。人は驚くと本当に漫画のように力が抜けるのだ。

後日実家に誰もいない間を見計らって家に忍び込んで、固定電話さえも盗んで行った父の姑息さには笑うしかなかった。急いで玄関の鍵を変えた。

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