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何かを手にしたくて渡ったアメリカで、私が求めていることが少しだけ見えてきた。
「……今、家?」
2日前だったか3日前だったか、NYで滞在している家で自分の独り言(寝言?)で目が覚めた。朝の5時、初めての感覚。ぼーっとまどろんでいる中で、急に様々な想いや感覚が溢れてきて、ベッドから飛び起きる。
パソコンを立ち上げている間に大切なことが消えて行ってしまいそうで、そばにあったメモ帳を開いて、真っ白なページに殴り書きしていく。
私が大事にしたいこと。私がありたい姿。私が何ヶ月
69歳の母が一人でメキシコへ。
2020年の夏に私が日本へ一時帰国して以来、約3年ぶりに母に会った。コロナ明けで動きやすくなったこのタイミングで、LAにいる親友宅に訪問しつつ私のいるメキシコにも来てくれるという。一人暮らしで犬を飼っていて長期で家を空けられない私にとっては、とても有難い再会の形であった。
福岡発、仁川経由でLAへ。その1週間後にメキシコシティへ来て10日間滞在。またLAへ戻って2週間を過ごして福岡へ帰るという旅
天国へ旅立ったオメちゃんへの手紙
これまでに数回書いた、愛犬オメガのnote。今日はひとつの区切りとして先日9月30日に天国へ旅立ったオメガへ手紙を書こうと思います。
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オメガへ。
最初にうちに来た日のこと、覚えてる?
2.9キロで片手でも抱きかかえられるサイズ。少し不安気でまだ耳も折れた状態だったね。11月23日生まれで、うちに来たのが2月4日。犬を飼うのも初めてだった私は、可愛くて可愛くて仕方なかったのをはっき
16年前死のうとした同期に、連絡しようかリアルに迷っている話
24歳のときのお話。
私は19歳で就職したあと、23歳で転職して営業として働いていた。死ぬほど忙しくて精神的にも体力的にも限界ギリギリで毎週を走り抜けていた。
3ヶ月したら辞めよう、とりあえず1年続けてみて辞めよう、そんなことを日常的に思いながらも何とかやっていけていたのは、職場に変な上下関係がなく、割と本音で好きなことを言い合えていたからだと思う。
そこで知り合ったのが、今回の主役であるM
日本だったら、たぶんやらない
私は昔からわりと、他人との距離が無駄に近くなるのが苦手だ。近所付き合い、商店街でのやり取り、友達の友達。
30歳をだいぶ過ぎてから、ようやく人並みにコミュニケーションがとれるようになったが、自分からすすんでやるか、と言われたら今でもやらない。
別に人が苦手とか自分に自信がないとか、ましてや人見知りとかではないと思ってはいるけれど、ただ単に億劫なのだ。愛想笑いが死ぬほど苦手だった若かりし頃をちょ
日本を出たから感じられること。メキシコにいるから分かってきたこと。
近所のスーパーへ歩いて向かっていた2月もまもなく終わる今日。ふとこんな事を思った。
「メキシコに来てからもう1年以上経つのか。相変わらずスペイン語はボロボロだし、お腹はこわすし、こっちで見つけた仕事も休業状態。何となく生きてるだけでも、時間は過ぎるもんだなぁ。」
標高2300mのメキシコシティの容赦ない日差しを浴びながら通りを渡って、道の両側にそびえる木々に目をやり歩みを進める。
もうスーパ
メキシコで、トルティーヤを食べてメスカルを飲みながら
また1年が終わる。それ自体は特に嬉しくも悲しくもないけれど、なんとなくSNSから漂う師走感に乗っかってみようとしたりして。
私の実家は、正直あんまり文化的なものを大切にしない類で。「毎年1月2日は、いとこ家族と佐賀競馬に行く」という謎の恒例行事以外は結構グダグダだった。
料理の苦手な母は2品(ローストビーフと黒豆)だけを作るし、その反面掃除に命をかけるタイプなので、大掃除の際は「5時間以上外に
1週間40万円チャレンジを終えて
7/9~7/16に急きょ開催したチャレンジが今日終わりを迎えた。最終的な結果は以下の通り。
46万円、応援者65名。
有名人でも何でもない、ごく普通に生きているだけの私にとって、この数字が与えるインパクトはとても大きい。
そもそもの始まりは「非常事態が起きて、航空券で大金がぶっ飛んだ!日本に帰っても誰にも会えないよー、助けて!涙」という、誰にでも起こりうる、いやきっとこれまでも誰かが遭遇した
1週間40万円チャレンジの真っ只中
今日はスタートして6日目の夜。
ついに、明日7/16のお昼12時にこのチャレンジが終了する。目標金額まであと2.9万円。しびれるような展開である。あと数時間後には「達成したよー!」と協力してくれた友人知人に報告できれば最高なのだが、それは現時点では何とも言えない。
8年間も営業会社にいたので、もちろん決めた目標数字はやり切りたいという想いはあるものの、実は毎晩パソコンの前で「うそ……」とか「え