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読書記録:志賀直哉『和解』
素朴な話だが、まっすぐに感情が伝わってくるところがあって、読んでいて何だか泣きそうになった。
志賀直哉という人は、自分の感情にとても誠実な人なのだと思った。
自分自身への誠実さは、作家にとって最も重要な資質の一つである。
志賀のこの誠実さは、たとえば、以下のような描写に明確に表れている。順吉が父との和解に臨む前に、母から自分が悪かったと父に謝るように懇願される場面である。
志賀のこうした信
新年早々、地元のヤンキーのコミュ力に感動した話
新年早々、地元のヤンキーのコミュ力に感動したので書き留めておきたい。
僕の地元のスターバックスには、いつも隅っこの席でギターの練習をしているおじさんがいる。
これまでも度々見かけていたが、サイレントギターだから音が迷惑ということもないし、まあそういう人もいるか、というくらいに思って特に気にも留めていなかった。しかし、このおじさんが今回の話の重要な登場人物の一人となる。
この日、僕とおじさんの
ヴァージニア・ウルフの言語の次元:言葉になる前の言葉
ヴァージニア・ウルフの「池の魅力」(The Fascination of the Pool)という短い作品を読んだ。
僕のなかでウルフの文学は水のイメージと強く結びついている。意識の「流れ」というメタファー自体が水のイメージを前提としていることはもちろんだが、それは『波』や『灯台へ』といった作品を構成する重要なエレメントでもある。彼女が生涯を閉じたのも水の中だった。
これはウルフの作品の魅力そ
偉大な文学はどのように生まれるのか
僕はこれまで、マルセル・プルースト、ヴァージニア・ウルフ、辻邦生、福永武彦などの作家たちを愛読してきた。
僕が彼らの作品を読む度に痛感するのは、このような偉大な文学が今の時代に生まれてくることの不可能性についてである。彼らの言葉は高い密度で満たされており、その密度の濃さを可能にしている時代的な条件がある。僕が彼らの作品を読むとき、僕たちの世界からその条件がすっかり失われてしまったという思いに囚わ
公教育の目的と教師の権威について
公教育の目的と教師の権威が果たす役割
公教育の主たる目的は子どもたちの公的な領域へのアクセシビリティを育むことである。
公的な領域とは、①人間の複数性に支えられて成立する②諸々の実践の体系である。この領域の豊かさは個人の生と社会の豊かさに直結するものであり、教育が公的な性格を帯びるとすればそれはこの豊かさをつくり出し、享受する主体の育成を目指すものであるといえるだろう。
公的な領域へのアクセ
君たちはどう生きるか。そして、私たちはどう生きるのか。
ほとんど何の前情報もないまま映画を観ることになるというのは興味深い経験だった。開演と同時に、私は全く予期していなかった空間に唐突に投げ出される。ここはどこで、いつの時代なのだろう?自分が没入しているこの物語世界の実態を、あるいは、その世界に対する観察者としての私自身の立ち位置を、はじめのうちはなかなかうまく掴むことができない。
それはかつてプルーストが書いた「眠りから徐々に目覚めつつある時の意識
鬼滅の刃「刀鍛冶の里編」に見る公共哲学とエリートたちの捻じ曲がった性根
原作を読んだときには、「刀鍛冶の里編」はあまり印象には残らなかった。出てくる鬼もあまり深みがないように思われたし、登場する二人の柱も、玄弥の存在も、そう描かれることにどのような必然性があるのかがいまいち掴めなかったのである。
ただ、今回アニメで改めて見直してみて、僕のなかでその評価は覆ることになった。アニメの制作陣の原作に対する深い解釈が、より効果的に作品の主題を浮き彫りにするような物語の再構成
ガーディアンズ・オブ・ギャラクシーにおける能力主義との対決―ハイ・エボリューショナリーをぶっとばせ
ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー VOLUME 3は、MARVEL作品の中でも傑作の部類に入るのではないかと思う。僕の青春であるレディオヘッドがもはやノスタルジーを誘う古典として扱われていたことは感慨深いとともに少しショックではあったけれども、まあそれはいい。問題は、今回のヴィランであるハイ・エボリューショナリーがロケットに言い放った「お前は生物が完璧な進化に至るまでの通過点に過ぎない」という言
もっとみるプルーストの描く内的時間について
プルーストは話が長々と脱線していく自らの癖について読者に弁明しているが、この脱線がなく、目標に向けて一直線に突き進むだけだったら、プルーストが『失われた時を求めて』のなかで描く「時間」は随分貧困なものになっていただろう。このうねうねした性質こそが、内的時間の本質だからである。
実際、この弁明のすぐ前で、プルーストは人の名前を思い出そうとする時の現象について次のように述べている。
このプルースト
これまで書いてきたものについて
これまでジュゲムブログとnoteを併用してきたが、いくつかの事情によりnoteに重心を移そうと考えている。
これまではジュゲムに多く文章を投稿してきたので、過去に書いたものについてはこちらをご覧いただければと思う。
http://logos425.jugem.jp/
とはいえ、僕は繰り返し同じ主題を書くことで小さな進歩を積み重ねていくタイプの書き手であるため、過去に書いたものをnoteの方にリ
アートは現実の模倣ではない
もう長いこと、「真・善・美」の統合された人間の経験を理想として追い求めてきた。
僕自身の傾向としては「美」の領域の探究に強く惹かれるところがあり、その方面に関して一番熱心に学んできたつもりであるのに、未だに「美」について語ることが最も難しく、あえてそれを語るとしても自分の未熟さを痛感するばかりである。
「美」を語ることの難しさに比べれば、「真」や「善」について、それなりに納得の行く形でその価値
早稲田のじゃんけんの問題について
早稲田の次の小論文の問題が話題になっている。
「じゃんけんの選択肢『グー』『チョキ』『パー』に、『キュー』という選択肢も加えた新しいゲームを考案しなさい。解答は、新ゲームの目的およびルールを説明するとともに、その新ゲームの魅力あるいは観点も含めて、601字以上1000字以内で論じなさい」
問いとしてはおもしろい。実際、僕もこの問いを読んでさてどうしようかと自然に思考が働いた。でもやっぱ