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アートは現実の模倣ではない

もう長いこと、「真・善・美」の統合された人間の経験を理想として追い求めてきた。

僕自身の傾向としては「美」の領域の探究に強く惹かれるところがあり、その方面に関して一番熱心に学んできたつもりであるのに、未だに「美」について語ることが最も難しく、あえてそれを語るとしても自分の未熟さを痛感するばかりである。

「美」を語ることの難しさに比べれば、「真」や「善」について、それなりに納得の行く形でその価値を共有することは容易く感じられる。

「真」についていえば、我々は「事実」や「真実」というものの持つ価値について再考すべき状況に立たされていることを指摘することができるだろう。ポストトゥルース(post-truth)という言葉が人々の口の端にのぼるようになったのは、我々が「真実」に到達することの困難が誰の目にも明らかなほどに明確な形で存在しているからであるのだし、「事実」そのものを把握することさえも、そう簡単なことではないということに我々はすでに気が付き始めている。あるいは、たとえ「事実」をつかむことができたとしても、その事実は取るに足らない「真実」の生産に奉仕するだけであり、そんなものには何の価値もないといえるだろう。要するに、我々の世界は、物を作って売るのみであり、しかもその物の実在感はどんどん稀薄になっている。「真」の領域において起きていることは、「真実」というものを我々がうまく運用することができていないという問題である。「真」の領域の価値がそれ単独で追求されるとき、「真」の実践は無限の拡大を志向して、一部の人々のみを利することで「世界」を破壊するほかない。

そこで人々に強く認識されるのが「善」の領域の価値である。我々は単に真実の存在でいるだけでは生きてゆくことができない。我々の社会の至るところで起きている分断を癒し、共に生きていくことができるためには、「善」の領域からの積極的な判断を行う必要がある。異なる利害を持つ人々の間にいかなる共通の土台をつくることができるか?このことは、現実的な問いとして人々に衝きつけられている。

「真」や「善」の領域で起きていることは、非常に実際的な問題であり、その価値を云々することにそれほどの苦労はいらない。ただ目の前にある苛酷な現実を指し示せば良いのだから。それに対して、「美」の領域の価値を語ることはひどく難しい。「真」や「善」における価値のようには眼に見える具体的な対応物を持っていないように思えるからだ。

「美」に惹かれながらも、その価値をつかむまでに大変な苦労をした人物を僕は知っている。辻邦生だ。彼は20歳の時に『遠い園生』という小説を書いてから、30代後半に至るまでの約15年間、小説を書くことができなかった。なぜ、彼はそれほど長い間、書くことができなかったのか?あるいは、何が彼に再び筆を取らせたのか?この問いは、ここ数年僕が取り組んできた問いのなかでも、最も重要なものの一つとなっている。

辻が書けなくなった背景には、戦争の経験がある。彼は戦争の焼け野原を経験して、書くことの意味を見い出せなくなったのだ。彼の眼前に広がる焼け野原において必要とされていたことは、生き延びることであり、そこに再び現実的な生活を築くことであった。そこに生きる人々にとって、橋を架けたり、ビルを建てたりすることによって、一つ一つ着実に「物」を積み上げていくことこそが、そしてそれにより<人間の空間>を切り開いていくことこそが、最も現実的な価値を持つように思われたのである。

辻はこうした時代の状況の中で、この「黒く重い現実」に対抗し得るほどの価値を芸術によって創造できるとは思えなくなっていたのである。彼が何か書こうとしたとき、必ずそうした虚しさが彼を捉えることになった。

この<虚しさ>は客体としての抵抗のなさとも言えたし、想像的世界がたえず主観の恣意性に依存しているためとも思えた。ともあれこの<虚しさ>のなかにとどまって小説を書き続けることは不可能であった。・・・私はこの<小説の不可能性>を乗りこえるためには、それが由来すると思われた想像力の恣意性が、何らかの客観的な拘束(現実の事態が持つ苛酷な事実的拘束のごときもの)によって支えられる必要があると思えた。

「美」が客観的な対応物を持たず、何らの現実的な価値をも代表していないように思えること。それがあくまでも、主観に閉じた、単に「私」にだけ重要と思えることの表現でしかないのではないかという疑い。この疑いをやや乱暴な言葉で言いかえれば、彼の書く言葉は、現実の劣化コピーに過ぎないのではないか、ということである。苛酷な現実において行為され、生み出されている物の実在感に比べれば、作家の生み出す言葉は、偶然的に生み出された言葉の連なりに過ぎない。辻に書くことを躊躇わせたのは、芸術の意味に対するこの不信からであった。

辻がこの問題をどのように乗り越えたのかということはまた改めて述べるとして、ここで少し個人的な体験について語りたい。先日、ふと思い立って、知人が出演している舞台を観に行くことにした。僕自身「美」の擁護を続けることに少し自信をなくしていたところがあるかもしれない。ここのところ実際的な問題に追い回されていて感性が鈍っていたこともあるし、「美」を語るにはまず作品そのものを観なければならない。

結論からいうと、舞台はすばらしく、全く退屈さを感じさせないものであった。『滝の白糸』という、すでに評価の定着した古典的な作品を扱っていることも手伝っていたかもしれない。人物造形がはっきりしているので、一人一人の俳優のポテンシャルが遺憾なく発揮されているように見えた。言いかえれば、そこには現代の我々の日常では経験することのできない「感情」があった。

そこで僕が感じたことは、演じるということは、自分以外のリアリティの単なる模倣ではないということだった。そこには、俳優の内部から生起する直接的な感情の表現があり、その人にしか表現することのできない味があった。『管理される心』のなかでアーリー・ホックシールドが指摘しているように、深い演技において、俳優の表現する感情は、自分自身の内側から引き出されるものでなければならない。優れた俳優は、感情の源泉を自分自身のなかに見い出すことによって、その感情を現実的なものとして表現することができるのだ。

この舞台のなかで俳優が表現しているのびのびとした感情に比べれば、僕らが日常のなかで経験している感情の状態は、平板で、管理されており、非現実的なものでしかない。その感情は習慣的に経験されているに過ぎないからだ。

僕たちは子どもの頃、学校で劇をしたり歌ったりという活動を一応経験してはいる。しかし、そこで僕たちが経験することは、多くの場合、表現することの歓びというよりは、ある種の恥の感覚のようなものであるのではないだろうか。それは、大人たちがそうした活動の意義を心の底から信じてはいなかったからだ。あくまでもそうした活動は日本の教育においては二義的な、特に役に立たないものであって、申し訳程度に行われるものでしかないがゆえに、そして、我々が経験している日常においてはあらかじめ定義された感情の状態をなぞることが奨励されているがゆえに、こうした「表現」は、どこかばつの悪いものとして感じられてしまうのである。

それは、本当の意味では感情を表現することが許されていないのに、あなたの感情を表現せよ、と言われているようなものである。結局のところ、それは許容された狭い感情の幅のなかにおいて、自分を表現することの練習にしかならない。そこから少しでも外れれば、日常の学校生活において白い目で見られることはわかり切ったことである。こうして僕たちは、表現活動を行う過程で表現することは恥であるという意識を堆積させていく。日常が我々に要求する「役割」の重さに比べれば、ハムレットを演じることで見い出される私自身の表現など、なんの現実味もない、取るに足らぬものであるように感じられる。こうして人々は、感情を習慣化することによって芸術を遠ざけてしまう。芸術とは単なる現実の劣化コピーであり、演じることは何か非現実的なものの模倣に過ぎないとすれば、そこに一体何の意味があろう。

しかし、このことは、逆にいえば、真の感情とは表現のなかにしか存在しないということの裏付けでもあるのだ。劇中で、もはや我々の日常には存在し得ない怒りや、哀しみや、歓びといった様々な感情を表現している俳優たちを見て、演劇の意味とは、演じることにあるのではなく、その俳優本来の感情のポテンシャルを最大限に引き出すことにあるのではないかと思った。習慣のなかにいるとき、人はあえてこのような感情を経験しようとはしないものだ。しかし、ここでは一切の感情が許されているのである。演劇は、かつてあり得た感情を、今もあり得るものとして現前させる機能を持つのであり、それによって僕たちに新たな可能性を開示する。それを観る者に感情の深さと幅を与えてくれるという意味において、演劇はより濃密な現実をそこに作り出す。

実はこれこそが、辻邦生が再び小説を書くことによってつかんでいったものなのではないだろうか。つまり、芸術とは、現実の対極にある仮象なのでは決してなく、現実を意味づける力を持つのだという実感に満たされたとき、辻は書くことの契機をつかんだのではないだろうか。そして、そのとき、彼の書く言葉は、着実に「物」を一つ一つ積み上げていくことにも似た、確かな手応えを感じさせてくれるものへと変容していくことになる。辻が見い出したこの芸術の意味は、彼の初期の作品の随所に明確に息衝いている。そのときの経験を辻はこう述懐している。

初めて<虚しさ>を感じることなく、作品を書き終えることのできたとき、私は、そこで、従来感じられなかった、ある確かな手ごたえ――ある物質に触っているごとき抵抗感――を覚えていたのに気づいた。それはちょうど一つ一つの語句が、積み木のごときものであって、それを書くのは、その積み木を一つ一つ積んでゆくのにも似た、実体のある、確実な感触を、私は、そこで味わっていたのであった。
こうして感触された<書く>作業は、その積み木のごとき一個一個の<もの>を置くという、ある美的な快感のためにも、もはや<虚しい>と言われるべきものではなかった・・・そこでは認識活動は睡り、ひたすら情感的な心的作用が働きつづけ、語句はただこの情感的なものに呼び起されて、そこに並べられていた。そこには、書くべき客観物(対象)は存在していなかった。少くとも、そういうものへそそがれた認識の視線は切りすてられていたのだった。

こうして辿り着いた純粋言語の地平において、辻はもはや言葉が現実に対応物を見い出すことにこだわってはいない。言葉自体がある質量を伴った客観的な実在として感じられたからである。

辻を作家の道へ進ませたのは、パルテノン神殿における「啓示」であったと言われている。しかし、そうであったとしても、そこで彼が経験した深い情感は、決して彼個人の内に閉じた、偶発的な経験ではなかったはずである。そこで彼が感じたことは、人間のこの表現への意志こそが、この世界に<人間の空間>を切り開き、豊かな現実をそこに生み出していくことになるのだという確信であったはずだから。この<人間の空間>においてのみ、人は自分自身として生きることができるし、それなしに人間を人間たらしめる根拠は存在しない。このことに思い当たった時、辻は彼の言語表現を、それだけで自立した、他の何ものにも依存しない価値を持ったものとして抱擁することができたのだろう。

おそらく、自分自身の表現を探求する者はみな、そうした信念を根底に持っているのではないだろうか。舞台を観ながら、そこにある俳優の感情に触れて、僕はそのようなことを考えていた。

『情緒論の試み』のなかで、辻はプルーストの次の言葉を引いている。孫引きになるが、ここで僕が言わんとしていることを完璧に表現しているように思われるので、ぜひ紹介したい。

普通われわれは自己の存在を最小限にして生きている。われわれの能力の大部分は習慣の上によりかかって眠っている。習慣は、ただ自分のなすべきことだけを知っていて、われわれの他の能力の助けを必要としない。ところが、この旅行の朝は、私の生活の慣例の中断や、場所と時間との変化などが、他の能力の助けを欠くべからざるものにしてしまった。いつも部屋にとじこもって生活し、朝早く起きることのなかった私の習慣は、欠陥をあらわし、その欠陥を補うために、私の他のあらゆる能力が馳せ参じ、互に熱心をあらそい――すべてが波のように一様に常よりも水準を高め――最も低級なものから最も高尚なものへ、即ち呼吸、食欲、血液循環から感受性、空想へと高まったのあった。

芸術は、この旅行の朝のような目覚めをそれに触れるものに与えてくれる。こうした生の濃密さを与えてくれることにこそ、芸術の意味があるのだということ。そして、そこには確かな「現実」が現前しているのだということを、忘れないでいようと思う。

(引用)辻邦生『情緒論の試み』


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