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福永武彦を想う集いで語り切れなかったことなど

福永武彦を想う集い」というtwitterのスペースで「私と福永武彦」という題で話をする機会をいただいた。

僕は自分の好きなものについて語ることが苦手だ。それは自分が最も大切にしている価値観に近接していくことでもあるからだ。それを自分自身と切り離して語ることはできないが、かといって自分語りになってしまってもいけない。「作品そのもの」と「私」が呼応するところ、「客観」と「主観」が交わるところを正確に言い当てるためには、「冷静な頭」と「温かい心」を同時に作動させなければならない。

そういうわけで、慎重になり過ぎてかえって漠然とした物言いになってしまった部分が多々あったように思う。そこで改めて、福永武彦という作家について僕が感じていること、「福永武彦を想う集い」で語り切れなかったことなどをここに書いておこうと思う。

福永作品との出会い


スペースでも話をさせていただいたように、僕が福永武彦の作品に出会ったのは20代の後半の頃だったと記憶している。

当時の僕は、同時代の人たちが語る言葉のなかに、自分が心から共感を寄せられる対象を見出すことができないということに長く苦しんでいた。当時自分が真剣に問いかけていたのは、どうしたら生きるに値する生き方ができるかということであり、その切実な問いに答えてくれるような考え方や生き方を同時代の人々のなかに見出すことがどうしてもできなかったのである。

震災のような大きなイベントが起きても何事もなかったように日常を続ける人々の姿や、社会を変革するといいながら、結局はすべてが数字を上げたかどうかに収斂していく組織のあり方などを見て当時の僕が感じていたのは、そこには生きることへの真剣さのようなものが欠けているのではないかということだった。

シモーヌ・ヴェイユは「自身の全霊を挙げて賞讃できるもののみを賞讃せよ」と語っているが、そうした賞賛の対象を僕はこの現実の世界のなかに見い出せずにいたのである。今振り返ればだいぶ自意識過剰で病的な考え方であったと思うが、僕はそうして長らく自分一人が世界から締め出されたような感覚に陥っていた。

そんな時に出会ったのが福永武彦の小説だった。

生きることへの真剣さと世界への愛


福永の作品で最初に読んだのは、『忘却の河』と『草の花』だった。読んでみて、その言葉の濃密さに驚いた。こんなに密度の濃い言葉を書くことができる人がいるのかと思った。

ここで言葉の「密度」という表現を使って僕が言いたいことは、福永の言葉には、生きることへの真剣な想いが込められているということだ。そこには僕がこれまで読んできたような、うわべだけの、紋切り型でその人の体感がまるで伝わってこないような言葉とはまるで異質の表現があった。言葉がまるで現実の質量を伴って、重みとして感じられるような、あるいは心地よい音楽となって、身体のなかに響き渡るような、そんな感覚を福永の小説は与えてくれた。

福永と同時代の作家である辻邦生は、作家として成熟して行く過程で、この苛酷な現実が持つ「重さ」に対抗しうるだけの質量を伴った「言葉」を書くことを目指していたと語っているが、福永の言葉にはまさにそのような現実的な力があるように感じられたのである。

そして、そのような重みのある言葉で構成された物語は、他者を愛するひたむきさや、絶望の内にあってもなお尊厳を失わない人間の高貴さを見事に描き出していた。

僕はそこに描かれている人間のあり方に触れて、こんなにも生きることに真剣に向き合っていた人がかつていたということに感銘を受けた。ああ、自分もこの真剣さで生きていいんだと思った。こちらが一方的に作品を読んでいるだけなのに、作品の側から自分のことを理解してもらっているような気持になった。

この生きることへの「真剣さ」は、たとえば福永の「愛すること」への向き合い方によく表れている。福永は作品のなかでいくつもの愛の試みとその挫折を書いている。福永にとって愛の試みとは、どうあっても挫折に至るほかないものであり、彼の作中の登場人物たちはこの愛の不可能性に悉く直面しているように僕には思える。しかし、そもそもそれだけの痛切な挫折に至ることができるほど僕たちは人を愛すことはできないのではないだろうか。否、今の時代を生きる僕たちは、愛を試みることすら、ほとんど不可能になってしまっているのではないだろうか。なぜなら僕たちは最もリスクの低い愛の選択をするように習慣づけられてしまっているからである。

それゆえ、僕にはこの福永の書く愛の挫折の物語に、かえって人間に可能な愛の深さを教えてもらっているような気がするのである。

これに関連してもう一つ、僕が福永作品に感じるのは、福永の言葉のなかにはつねに過去が生きているということだ。福永の作品には、忘却に抗おうとする人間の精神が明確に息づいている。

たとえば『忘却の河』の次の一節。

僕は決して忘れないよ、と彼は言った。
僕は決して忘れないよ、と私は言った。

福永武彦『忘却の河』

こうした表現にはフロイトの精神分析の影響があることが予想されはする。しかし、このように過去を新たに生き直すことで現在の生を肯定していこうとする姿勢は、福永武彦の生き方そのものであったのではないだろうか。

今回のスペースでスピーカーとしてご一緒させていただいた大沢啓徳さんが仰っていたように、福永の作品で描かれているのは、過去と共に生きる人間が過去を受容し、かつて愛し愛されていたという経験に支えられることによって自らの生を肯定していく過程である。そしておそらく、福永にとって書くということは、過去を言葉によって定着し、それを愛するということだった。

一方、今の時代は過去があまりにも軽んじられているように思う。「済んだことは気にすんな、次行こう、次!」というのが僕らの合言葉である。我々の意識はいつも薄っぺらな未来予測のなかに囚われていて、現在はその未来という虚構のなかに閉じ込められている。過去と共に生きるなどということは女々しいことであるとされ、喪失を嘆く時間は我々に許されていない。

そこには、何というか、生きることの必死さのようなものが欠けているのではないだろうか?

僕はそうした時代の傾向に抗いたいと感じている。福永の文学のように、もっと過去とともに生きる生き方があってもよいと僕は思う。

福永武彦が生きた時代に対する共感


僕が福永の作品に生きることへの真剣さや世界への愛を感じ取るのは、以上の理由からである。そして、このことは、福永と同時代の作家にも共通する美徳であるように僕には思える。

たとえば中村真一郎の『夏』には、以下のような記述がある。

私、生きることの目的はよく生きることだと思っているんですの。・・・そうしてよく生きるということは生きる喜びをよく経験するということでしょう?

中村真一郎『夏』

こうした「生きることの喜び」、あるいは「世界に対する愛」を強く実感し、表現していったのが、この世代の作家たちだったのではないかと僕は考えている。(少し時代を遡ると、戦前の文学にはまだ近代的な自我の形成途上にある人間の絶望的な気分が漂っている。しかし、福永の世代の作家たちは日本語を普遍的な言語としてまるで自らの手足のように用いて、この世界に存在する豊かな「価値」を探索し、それを深く味わっているように思う。この幸福な時代は長くは続かず、僕たちの時代ではすでにポストモダン的な価値への不信へと移行してしまうのであるが)

福永武彦、辻邦生、中村真一郎といった作家たちに僕が強く惹かれる理由はおそらくここにある。彼らはその表現において強烈な個性を発揮しているが、この「生きることの喜び」や「世界に対する愛」をもって作品を書いていたという点において、他の世代に見られないほどの共通した特徴がある。

たとえば辻邦生の以下の文章を見てみよう。

人が二十五歳に戻るだけの気力を持つとすると、このスペイン広場は果てしない快楽を喚び起してくれる。その時ぜひぼくらは広場の花屋で花を買うべきだろう。そうすれば広場に佇むだけでも、噴水のそばにわけもなく坐っているだけでも、百三十七段の石段を上ってまた下りるだけでも、何か歓喜に近い気持が溢れてくるはずだ。人は永遠にここにとどまりたいと思うだろう。
それは今この時自分が生きているという限りない自覚を呼び醒ましてくれるからだ。……ぼくらは”今”のなかにのめりこむ。すると、”今”は恍惚とした浄福感に包まれたアルトの声となって『お前は生きている。お前は今こそ生の本当の輝きに触っている。この前にも後にも生というものはない。今こそお前は永遠に通じている生の瞬間を全身で生きているのだ』と歌いながら、深深と響き返ってくるのである。

辻邦生『美しい夏の行方―イタリア、シチリアの旅』

あなたは不意に、こう叫びたいような気持にならなくて?<ああ、もうそんな他人じみた顔をして暮らすのはやめましょう。どうしてそんなに他の人たちを無視して暮らせるんでしょう。お互に、ひとりぼっちで、闇のなかへと死んでゆかなければならないのに、どうして生きているというこの素晴しい瞬間に、お互に眼を見かわし、心のなかのやさしさで相手をかばい、慰めて、心からのくつろぎを得ようとしないのでしょう。>って。私は思うのよ、誰にでも、生涯に一度は、こういう一瞬があるのだって。……この一瞬は、生涯のあいだに閃くただ一回の啓示の瞬間にちがいないのよ。<愛>という人間には実体をつかむことのできなくなったものの正体が、その瞬間、実に、いきいきと私たちの心に、よみがえっているのよ。

辻邦生『廻廊にて』

辻邦生は、こんなにも喜びに満ち溢れた文章を書く人なのである。ここに引用した文章がそうであるように、辻の文章には、生きることの喜びがどうしようもなく湧き上がってきてしまっているようなところがある。もっとも、こうした啓示に打たれたような文章を彼が書くことができるようになるまでには、青年期における長い精神の暗黒時代を通り抜けなければならなかったわけなのだが。

辻の文章と比べると、福永のそれは必ずしも生きることの喜びを全身で表現しているとはいえないように思えるかもしれない。しかし、福永の場合は、絶望を描くことを通して人生への愛を表現しているように僕には思える。先に述べたように、福永の書く愛の挫折や生きることへの絶望は、福永が人生を深く愛していたからこそ直面することのできた挫折や絶望であるように僕には思えるからである。

その点で、彼らの世代というのは、今を生きる僕たちには到底不可能なくらいに深い感情の経験を持っていたのではないかと僕は思う。僕たちの時代とは全く質の異なる精神性を生きていた、といってもいい。それゆえ、同じような水準の文学作品が今後日本から出てくる可能性について、僕はとても悲観的な気持になってしまうのである。

良き読者であること


そうだとすれば、福永の世代の作家たちが書いているような深い生の経験を僕たちは取り戻すことができるのだろうか?これは、20代の頃に僕が考えていた「どうしたら生きるに値する生き方ができるか?」という問いに関わってくる問題でもある。

僕は教育の仕事に携わっているが、現在の教育は、子どもたちに損得勘定で動く功利主義的な生き方を推奨しがちである。このような教育から「生きることの喜び」や「世界への愛」が立ち上がることは極めて難しいのではないかと僕は考えている。教育はもっと人生を愛することを教えるものでなければならない。これが僕の教育に対する基本的な姿勢となっている。

そして、このことは、国語教育において言葉の実用的な側面のみが強調され、文学の位置づけが日々低下しつつあることと決して無縁ではない。文学を軽視することは、生きることの質を問題にしないということとほとんど同義であるからである。

このような状況において僕にできることは、福永作品をはじめとする優れた文学を読み継いでいくことであり、そのことによって、人間には私たちが現在考えている以上に豊かな感情のポテンシャルがあるということを忘れずにいることだろうと思う。僕は福永武彦や、辻邦生や、中村真一郎といった偉大な作家たちのように書くことはできないが、彼らの良き読者であろうとすることはできるのだから。そして、同じように良き読者でありたいと願いながら日々孤独に本と向かい合う人たちと共に、文学という松明を手に豊かな生のあり方を探求していきたいと思う。

そうして彼らの作品がいつまでも読まれていくことで、彼らの言葉がいつまでも我々の文化のなかに記念碑のように輝き続けることができるように。その輝きが強ければ強いほどに、あるいはその社会における人間の到達点が高みを示せば示すほどに、その社会に生きる人々により深い生の可能性が開示されることになるのだから。


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