読書記録:志賀直哉『和解』
素朴な話だが、まっすぐに感情が伝わってくるところがあって、読んでいて何だか泣きそうになった。
志賀直哉という人は、自分の感情にとても誠実な人なのだと思った。
自分自身への誠実さは、作家にとって最も重要な資質の一つである。
志賀のこの誠実さは、たとえば、以下のような描写に明確に表れている。順吉が父との和解に臨む前に、母から自分が悪かったと父に謝るように懇願される場面である。
志賀のこうした信念は物を書く際の基本的な姿勢でもあったらしい。
こうした自分のなかの感情をごまかさずに、まっすぐ向き合うこと。
このことが志賀の筆を遅らせ、しばしば執筆を挫折させるが、その挫折を乗り越えた先の志賀の表現はそれだけに一層真に迫ったものとして読者に届けられることになる。
書くべき材料に「心がシッカリと抱き付く」ことができた時こそが、作品を書くべき時なのだと志賀は言う。
実際、この作品は、志賀直哉が父親と和解をした直後に、かつてないペースで書かれたものだということだ。
一方、この時代は、自らの感情をそのまま表現することが躊躇われる時代でもあった(特に家族関係においてはそうだろう)ことが、同時にこの作品の以下の表現から読み取ることができる。
ここには、言葉にして想いを伝えることへの当時の人々の不器用さもあれば、言葉にしなくとも心が通じ合っているという感じを暗黙に共有することの喜びもある。
しかし、いずれにしても、このような時代において志賀が自らの感情を率直に表現しえたことは、当時の読者に新しい内面の経験を提供したことだろう。
個人の内面という領域が公的な光に照らされることによって、検討可能なものになり、かつ、共感可能なものとして丁寧に扱われることになったであろうことが推察されるからである。
今の時代の読者にはこのことの価値は理解しにくいところがあるが、これはきっと近代文学がもたらした画期的な出来事だったに違いない。
人々の素朴な感情に言葉を与えて、その人生を慈しむこと。
もしかしたらそれは、虚飾の言葉であふれた今の時代に今一度必要とされることなのかもしれない。
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