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感情は、消えない。鈍感なふりを続けないで。

 どこかで感じた感情は、いつかそれを消化する必要がある。例えそれが職場であげたかったはずの怒声だったとしても、恋人の前で流したかったはずの涙だったとしても。私たちはいつでも、強固に顔面に張り付けた社会的な仮面を守るために、その場や状況に応じた感情以外見せないよう無意識のうちに努力している。だれもが、上司の前でいきなり起こり出したり泣き出したりしないよう普段は気をつかっているし、恋人の前でも常に甘え100パーセントとはいかないものかもしれない。人と関わると、多少なりとも相手への思いやりや自分の感情の我慢が生まれてくる。

では、そうやって押し殺した小さな感情たちはどこに行くのだろうか。結論、どこにもいかない。あなたの心の中で一度生まれた感情は、自分でそれを認識しているかどうかに関わらず、心の中にあり続ける。特に、人前で出しにくい負の感情ほど、残りやすいだろう。

でも、大人になってしまった私たちは、感情をそのままに出してあげることができない。それで、どこかで重荷や責任を背負い込みすぎた、本当は泣きたいはずの男の人が誰かを怒鳴ってその涙を発散しようとしたり、本当は涙を流して縋りたいはずの女の人が恋人の小さな行動にイライラしたりするようになる。本当の感情に向き合うのは、こわいし、勇気のいることだ。私たちはそうやって、生まれた感情を何か別のものに置き換えることでそれを片付けようとしてしまう。

それでも感情を消化しきれなかった場合、手っ取り早く社会はそれらに逃げ場所を与える。そもそも、資本主義社会に存在する目に見えないサービスのほとんどが、消化されない感情のためのサービスであるともいえるかもしれない。例えば、マッチングアプリもそうだし、風俗やゲームもそうだ。映画やドラマももちろんそうだ。それらを使えば、自分の記憶に基づいた感情に向き合わないまま、新しい何かに感情移入することができる。だが、それでは本当に感情を消化できたといえるだろうか。

感情を消化できなければできないほど、他人からしたら理解不能なほどに何かにお金をつぎ込むことになってしまう人もいる。人によってその対象は違う。そうして、ぽっかりと空いた心に、さらに空白を投じ続けるかもしれない。海水と同じで、求めるものが水に似ていれば似ているほど、喉の渇きが絶妙に潤わないようになっている。

勿論、それでいいという人もいるかもしれない。人の生き方は人それぞれといってしまえばそれまでで、私にも、誰にも、誰かに生き方を強制することはできない。それに、本当は自分の感情をきちんと消化して生きていきたいけれど、そんな時間も余裕もなくて必死になって生きている人に、自分のことを癒せるのは自分だけだと伝えるのは酷だ。どうしたって、二次的に浮かんでくる感情を重視したり、何かに逃避したりする方がいいときも、人生には多々あるだろう。

でも、これは確かだ。感情は、消えない。唯一無二のあなた自身が、あなたじゃないものばかりで溢れてしまう前に、どうか、自分の感情に向き合ってみてほしい。鈍感なふりをしていた、あの日のあの瞬間のあなたの感情に。

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