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今あるものを最大限に活かす その3.1 未来のためにできること 当たり前過ぎて意識しなくなっていること

 常に最先端に身を置くというのが私の信条です。

 だからこそ今あるものを最大限に活かすということを常に意識しています。新しいものに貪欲であるからこそ、新しいものを喰い散らかさないという感じでしょうか。

経緯
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 義父母が残した鉄骨住宅。東京から鉄道でも車でも1時間程の通勤圏ですが、海と丘陵が美しい街に有る鉄骨住宅。次世代の未来のために別荘気分でアップデートしておこうかと。

 その鉄骨住宅は、大手鉄鋼会社の関連会社が建てたものでした。昭和50年代初め(1970年代中頃)その鉄鋼会社のプレハブ建築の部門から一般住宅部門が独立してできた会社だったそうです。業務用のノウハウを民生用に活かす典型でした。その鉄骨住宅は義父母が選んたもので、私はその選定には全く関わっていませんでした。しかし偶然ですが私は業務用ノウハウを民生用に活かす会社が大好きです。

 その辺りはこちらをご覧になって下さい。連作の最終回です。ソニーさん、日立さん、三菱グループさん、川崎重工業さん、セイコーグループさん、ロンジンさんなどのご紹介もこちらからお楽しみ頂けます。

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 その鉄骨住宅は、鉄鋼会社のお作法通り構造設計はオーバースペック、堅牢そのもの。鉄骨という素材を活かして免震ではなく剛体として十二分な強度を持っている耐震構造。設備は新築当時の最高級品で、ステンレス製キッチンに3口のガスコンロとその下には電気オーブンまで有るシステムキッチン、元々は楽器会社で車のエンジンまで作る会社の造ったヤマハさんのユニット型洗面台、モーターから発電所や工場設備、鉄道、そして家電としても一流の日立さんの浴槽、YKKさんの金属製雨戸付きアルミサッシ、門扉もステンレス製、ベランダや外柵は全て濃いめのブラウンに仕上げてあるアルミ製でデザインも統一などなどという全部盛り状態でした。

 中古住宅としてかなり高めの価格で売り出したものの買い手がつかず元のオーナーが困っていたのを町内会の役員をやっていた義父が聞きつけ、値切って買うことを嫌う義父が、言い値で買ったという曰く付きの物件でした。私は最高のものをなるべく安く買うという生き方なので、義父のスタンスは、尊敬していまいます。

 義父母は取り敢えず住む必要が無いものの、マンション眼下の老後住むための一戸建てという割り切りで、内装を全て新調し上品な織りの入った真っ白に統一、ガス給湯器とバランス釜用の屋外ガス追い炊き機のコントローラーも新調しました。

 そしてマンションからたまに降りてきて庭いじりをしたり、のんびり庭を見ながらコーヒーを楽しんだり、教育テレビを見たり、書斎にデスクトップの本格的なパソコンを入れて町内会の事務をこなしたりと、自分の時間を楽しんでいました。

 特に庭には拘りが有ったようで、庭師を入れて先ずはアルミ製の外柵を活かしつつ生け垣を整備、庭木も既存のものを活かしつつ増やし、マンション暮らしでは叶わなかった庭木の手入れを楽しめる環境にしていました。
 勿論、芝生部分も残し、高麗芝を足していつも庭には芝が映え揃っている感じでした。当時飼っていたヨークシャテリアを庭で遊ばせるのも楽しみの1つだった様です。

 そう言えばその時の面白いエピソードが。義父は理系なので、何事も論理的でしたし有言実行。熱湯の使い方も面白く例えば芝に雑草が生えていると除草剤を散くのではなく、コーヒーを飲むために沸かした熱湯の余りを使って、雑草に真上から慎重に垂らして除草していました。余った熱湯はこうやって活かすんだとのこと。そうすれば犬が草と遊んでも問題ない。

 流石です。

 庭木が茂る表の庭とは異なり目の届かない裏庭は全く別の景色でした。防犯用の歩くと音が出る玉砂利を敷き詰めてセキュリティも万全でした。この割切りも義父らしい。
 庭の手入れをする道具等を入れるためのスチール製の倉庫も用意するほど本格的に庭いじりを楽しんでいました。

 義父の最大手石油会社の主力製油所の施設管理全てを担っていた業務ノウハウがこの家の随所に活きている感じでした。

 その義父母も老いと病には勝てず、娘たる吾妹の仕事を辞めての献身的同居介護(と言っても義父母はマンションで私達は一戸建てに住むという感じ、正にスープの(全く)冷めない距離)を受けつつ他界され、結果吾妹がこの家を相続することとなったのです。

つづく 

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