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【雑記集】※いたって個人の感想です。

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雑記・随筆も、書くのが楽しいですね。いや、雑記や随筆こそ、書くのが一番楽しいかもしれません。 そしてこの誰に宛てているわけでもない文章が、漂流して、まったく見知らぬ(かもしれない…
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#社会

「どうにもならないこと」はあって然るべきなのだ

「どうにもならないこと」はあって然るべきなのだ

『私は努力したのだから、人より多くもらって当然であるはずなのに。』

少し前までの私は、このような「傲慢な考え方」が、どこかにあった気がする。

いや、こういう考えを態度に出して「あからさま」にしていたわけではない。――これまでこれが露骨に表面に出ていたことは(あるいは時期は)、なかったと思う。

でも、心のどこかに、こういう考え方があったし、物事への向き合い方に、こういう姿勢がちょいちょい入って

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人間とは唯一の「狂った生物」である

人間とは唯一の「狂った生物」である

例えば日の光。
暑い季節は鬱陶しいくらいなのに、 寒い季節になると、 そのありがたみがわかる。
「あー、これは必要なものなのだ。」 と思い出せる。
十分足りている時は、 その「必要性」「重要性」に気づけないんだよな。
不足してはじめて気づけるところがある。

だから「足りない」ことも、悪いことばかりではない。
(…と、 何とか思おうとしています。笑)

日の光も、 透明な雨も、自分の真上にい

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どんな正当な理由で殴られたとしても殴り返したくなるのが人というものだから

どんな正当な理由で殴られたとしても殴り返したくなるのが人というものだから

※タイトルについて、誤解を生むと行けないので、まず先に。
私個人は「いかなる理由があろうとも、暴力に正しいものはない」という考え方です。
その「大前提」をもってして、これを書いています。

(では本文へ。)

自分の不満の原因が、100%他人にあり自分に非が全くなかった場合だとしても。
それを解消するには、やっぱ「自分には」または「自分で」何ができるのかを考えないと、どうにも「具体的」にならない。

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「謎の集団的モヤモヤ」どうにかならないものか

「謎の集団的モヤモヤ」どうにかならないものか

無用な遠慮を、しかも誰もがして、 その結果、 誰も得してない、 むしろ皆が少しずつ損した。
……みたいなことって、それぞれの人が感じている以上に、つまり「皆が気づかぬうちに」、 実は多い気がする。

――そういう人生のエネルギーの無駄遣い、 もったいないので、いいがげんどうにか減らせないものだろうか??

あるいは、無意識下だが、でも無駄になっている事には本当は気づいている、ってのも、またよくある

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人間の作る世界にだけ自浄作用が働かないならその時は

人間の作る世界にだけ自浄作用が働かないならその時は

私には、 たぶん50年後も生きているであろう姪も甥もいるので、「世界のすべては他人事」とはとても思えない。

いや、自分自身についても、 歳をとってきたら尚更、 正直このままでは先行きが如実に不安なことばかり多いので、 やはり「他人事」にとてもじゃないができない。

――いや、今回のこれは批判ではない。
「世界のすべては他人事」と思うのはアリだと思うし (自分もそう思えるものなら思いたいくらい)、

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人間は分類できるものではない

人間は分類できるものではない

これだけ数多存在する人間というものを、 たとえば「たった二種類」に分類しようという時、 それは確実に、あくまで「大雑把な分類」でしかない、というのは常に念頭におきたいものだ。

「大雑把な分類」には注意が必要だ。

例えば、「男」と「女」。
――それに分類しきれないものは実際にある。

あるいは、「敵」と「味方」。
――自分と意見の食い違う相手は、即ち「全て敵」だろうか?

そうして「敵」「味方

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いや、むしろ、人間が最も……

いや、むしろ、人間が最も……

人間さえいなければ、 この世界はもっといいようにまとまり回っている気がするから、
「動物(あるいは生物)の中で人間がいちばん賢い」
なんていうのは、 思い上がりも甚だしいと思うの。(笑)

てか、生物の中でということでなくてもさ。
コンピューターなんかよりもずっと、人間のほうがバグりやすいでしょ、 あはははは! (自虐になっちゃった。笑)

――次にもし生まれ変わったら、動物じゃなくて植物になっ

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人は「使うもの」じゃない

人は「使うもの」じゃない

「自然と心が動くこと」は、その人にとっての宝物だ。

音楽でも文学でも漫画でもアニメでも映画でも、 何でも当てはまると思うのだが。
若い頃に熱中した「好きなもの」に、今でも救われているなー、と、常々思う。
ずいぶんと、 (例えばこんなご時世でも、) それらのものに、 気持ちを引っ張り上げてもらっている気がする。

学生の頃って、(勉強も大事なのかもしれないが、) そういう「熱中するもの」に対する

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「バカげたこと」には「バカみたいだ」といちいち思える自分でありたい

「バカげたこと」には「バカみたいだ」といちいち思える自分でありたい

「バカげたこと」に 「バカみたいだな」と、心だけでも反応できなくなったら、 終わるな、自分。
……だから、いつまでも「底意地ワルく」いたいです。(笑)

たとえば。(あくまで一例に過ぎない。)

何だかあまりにも「お金至上主義」で、それ中心にほとんどすべての判断がなされるものだから、肝心のところに考えが到らないというか。

確かにお金はとても便利なんだけど、しかしそれはあくまで単なる道具の一つに

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ナウシカの「腐海」を見倣ってな(めぐりめぐって)

ナウシカの「腐海」を見倣ってな(めぐりめぐって)

たとえば、もし私自身が幼少期に、「毒親に日常的に生活を破壊される」とか、「極度の貧困でその日食べるものもままならない」とか、そういう状況に陥っていたら、「誰でもいい、誰か大人の人で、自分を救ってくれる人はいないだろうか」と、やはり考えるだろうと思う。

本来、その「仕事」は、国であり、地方公共団体でありが担うべきであろうが(そういうことにも対処してほしい、それも含めて、我々は税金を納めているのだ!

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「綺麗事」

「綺麗事」

敵ではない人まで、敵認定をうっかりしたくないだけ。
――でも、たとえば「国」っていう括りで捉えると、うっかりそれをやらかす。

いやいや、でもさ、その「国」という括りの中にだって、様々な考えの人が実際いるのに?
(たとえばこの国の中にだって実際様々な考えの人がいるように。)

これは個人間のやりとりも含むけど、誰かを敵認定する、それに呼応して相手もやり返す……のこの「繰り返し」って、だいたい終わ

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「100%信じる」ものから疑う

「100%信じる」ものから疑う

「マインドコントロール」とか「洗脳」って
されている側にとっては、
「まさか自分がされているわけない」 なんだよな。

――と、いうのを
踏まえた上で思うのだが。

小さな洗脳やマインドコントロールは、
日常的に、どこにでも、
存在しているものだと思う。
(「意図的なもの」と
そうでないものと。
――そう、その二つが
「混在している」から
かえってわかりにくくもなるのだが。)

つまり、きっと、

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「告げ口文化」を盛り立てよう(笑)

「告げ口文化」を盛り立てよう(笑)

人は何故、「告げ口」を、どこか「悪いこと」のように思うのだろう??
――昔から、私には不思議で仕方がなかった。

いじめ然り、パワハラ然り。

先生や上司に、その「悪事」を「言いつける」のを、何故かためらうのである。
――何故だ???

実際、私も、「言いつける」行為には、昔からどこか「後ろめたい」ような気持ちがあった。

けれども。

悪事を目の前にして、誰にも「言いつけない」ことのほうが、本来

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その「目先の利益」は本当に利益か

その「目先の利益」は本当に利益か

無論、
「明日喰うものに困っている」ならば、
話は別であるが。

そうでもないのに、
どうしてこう、人というものは
「目先の利益」に
飛びつくものなのだろう、と。

まず、
湯川れい子氏のこのツイートから。

今の東京の開発の様子って
まるで
「一瞬たりとも損したくない」
と血眼になって、
「我先に」と、
競争しているような感じで。

そのスピード感とやらの「貧しさ」よ。

薄っペラい。

長い時

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