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「綺麗事」

敵ではない人まで、敵認定をうっかりしたくないだけ。
――でも、たとえば「国」っていう括りで捉えると、うっかりそれをやらかす。

いやいや、でもさ、その「国」という括りの中にだって、様々な考えの人が実際いるのに?
(たとえばこの国の中にだって実際様々な考えの人がいるように。)


これは個人間のやりとりも含むけど、誰かを敵認定する、それに呼応して相手もやり返す……のこの「繰り返し」って、だいたい終わりがないよな。


長い年月をかけて複雑に絡み合った憎悪は、 そりゃあ、簡単には解けないでしょうよ。
でも、少なくともどちらか、 せめて一方だけでも、解り合おうとしなければ、 永遠に憎みあったままでしょうよ。
で、 相手の気持ちは自分には動かせないなら、 まず「自分自身がどう動くのか」って考えるしかないじゃないですか。


――綺麗事の何が悪いんだろう。
私は「なるべく綺麗事で生きていきたい」だけなので、まあ、うるせーな、ほっといてくれ。(笑)