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人間は分類できるものではない
これだけ数多存在する人間というものを、 たとえば「たった二種類」に分類しようという時、 それは確実に、あくまで「大雑把な分類」でしかない、というのは常に念頭におきたいものだ。
「大雑把な分類」には注意が必要だ。
例えば、「男」と「女」。
――それに分類しきれないものは実際にある。
あるいは、「敵」と「味方」。
――自分と意見の食い違う相手は、即ち「全て敵」だろうか?
そうして「敵」「味方」に分けた場合、自ら「敵認定」を一度してしまった相手は、この先、部分的にでも味方になってくれる可能性は低くなっていくだろう――双方共の心情としても、それはそうなっていくだろう。
と、このように。
「わかりやすい」「手っ取り早い」 分類は「簡単」なのであるが、しかし、端的に言ってそれは「大雑把」というものであり、ある意味「手抜き」だと私は思うのだ。
だって人間を、「たったのそんな数種類」に分けられるはずがそもそもないのだから。
それなら、分ける必要はあるのか?
――いや、「解りやすさ」「容易さ」をつい求める気持ちはわかることはわかるのだけど、しかし、そんな「大雑把な解かりやすさ」とか「分類の容易さ」とかって、本当に何を捨て置いても、そこまで大事なものだろうか?
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