すばらしい肉

アスファルトは我々と地球を隔てている。我々は地球の上にいるのではない、地球とその境界に膜を張っているアスファルトの上にいる。

ある日の暮れ方、自宅での作業を終えた私は、夕餉の食材を買いにスーパーに出かけた。スーパーに行くには大きな通りを渡る必要があり、私は信号待ちをしていた。すると、アスファルトの上に一匹の鼠を見つけた。鼠は、まるまると太っていて、縁石に寄り添うようにしてじっとしていた。珍しいことではない。天敵のいない都会の生活で肥えた鼠。野良猫に蛇に猛禽類に怯える必要のない生活。我々人間と同じである。我々はもはやあの鼠なのかもしれない。 
狩猟採集の時代には毎夜毎晩絶えず敵の脅威に怯えていた。それに、食うものは自分で調達しなくてはならない。が、今では敵はおらず大型小売店に行けば食料に困ることはない。
セールになっていた豚ひき肉を一パック手に取り、何を拵えようか考え倦ねていた。気がつくと狩猟採集の時代のことを考えている。あの時代にはこのような均質化した匿名の肉はなかったのではないか。肉、肉、肉のパックの山。彼らは土に還ることも許されない。彼らはまとめてミンチにされ、混ざり合い、また一パックずつ小分けにされ、私を通過して汚物となる。下水を流れ、そして海洋汚染が……。
いかんいかん。今ではそれがアタリマエなのだ。下肥はとうに過去の習慣となり、日本はすべてに水洗トイレが行き届いている。それに汚水はバクテリアが分解してきれいなもとの水に戻るのだ。クリーンな水、クリーンな社会。僕たちきれいな人間なのだ。

スーパーを出て、通りを渡ると、さっきの縁石から少し離れた位置になにやらすばらしい赤色が目に入った。すばらしい赤色は、すばらしい肉の破片の周りに広がっており、すばらしい十一月の寒さがそれを冷やし固めていた。肉は、生きている時よりも饒舌に、私に何かを語り掛けてくるようだった。そのすばらしい赤色はまさによろこんでいるようにさえ思われた。
ついに彼は地球と一体化しはじめたのだ!アスファルトがそれを妨げたが。







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