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整理 沖縄時代

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沖縄時代の苦い思いでの整理する場所。 同じ思い出を出すのが多いが、見方を変えたり、表現の仕方を変えたりして出す予定。話すだけ価値のないことになるが、沖縄で苦しんでいる人 の為に参…
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#同調

個性について 自己陶酔

個性について 自己陶酔

沖縄ほにやの女達

個性的に見えて個性的ではなく、事務的な話での違いのみしかなかった。
その一方で「よさこい踊り」になると団結して、自己陶酔して、同調しあう。

そこにて、人間各々の違いは見えてこなかった。
特徴的な違いも見えなかった。男子でも同じことだと思う。

沖縄での個性は、年長者かボス的な存在、強い人の個性のみが尊重されるのみと思う。その個性に周囲の人間や年少者が同調していく。
又はその個

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踊り団体で自己陶酔する女たちの続き

踊り団体で自己陶酔する女たちの続き

踊り団体で自己陶酔する女たち|dragoniata|note の続き

沖縄ほにや/一年ごとに踊りが切り替わっていた。夏にある高知のよさこい踊  
      りが一年ごとに行われる過程で。

この団体の中心が中空構造になっていて、1年毎、夏に踊りが切り替わる。

空虚な器と踊り

中空/ 踊り(旧)→踊り(新)になり更新して、継続する限り続けられた。

物としてのよさこい踊りが、この踊り団体の中

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踊り団体で自己陶酔する女たち

踊り団体で自己陶酔する女たち

踊り団体で自己陶酔する女たち
感受性→共感→同調、自己陶酔。
この順で起こると思われる。

自己陶酔しての同調。
よさこい踊りに対してのあこがれがあって起きている。
共感性によっての同調と陶酔。

自己陶酔しての同調の土台は共感にあると思う。
共感。聞こえはいいが女性にとっては、同性同士の間で気が合うかどうかの前提にもなる。同時にある対象に共感しつつも、排除性する対象を選んで、外す傾向がある。外す

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一個人の意見の評価と否定と第三者

一個人の意見の評価と否定と第三者

昔いた踊り団体の構図の再現。
1個人の意見の否定と1個人の意見の評価。

1個人の意見の評価と否定は紙一重。
この1個人に対してあるのは、相手の人間。
それ以外は第三者の群れ。

1個人の意見が相手に否定されれば、周囲の第三者は相手の意見に同調する。その逆で評価されると、否定の時と比べて肯定するふりをする。
第三者の反応はどちらもいびつだった。(図1参照)

その一方で第三者、踊り団体のやじ馬たち

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埋没2

埋没2

埋没 |dragoniata|note の続き
踊り団体にいた時に言われた。
「誰に伝えるのか?」と。何も感じなかったが悔しかった。
踊り団体は人に踊りを楽しませることに終始してた。
そしてリーダーの自己陶酔で扇動的な言葉が宣伝されつくされてて、冷静ではなかった。

意識的にきつく、心で負けそうになった。
KYもあって封殺されて、人格否定もされて、感情的に鬱屈してた。
過剰に相手に伝えようともして

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埋没 

埋没 

沖縄ほにや

「見る人も踊る人も楽しく」→踊りを楽しむため共感し同調する事になる。
              ↓
           ここでは、個人の楽しむ、感受性は認められない。
           踊りを楽しむための全体性に埋没することになる。

個人の楽しみ、感受性が沖縄ほにやの楽しむ全体性に埋没される。
この場合、埋没されるのは強い陶酔性によるものになる。共感したものからズレると疎外

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踊り団体の共感とズレによる排除

踊り団体の共感とズレによる排除

沖縄ほにや
よさこい踊りを高知の踊り団体からもらう。
そしてその価値に共感と陶酔する。
同時にMLにて宣伝していく。

共感→同調→陶酔(よさこい踊りの価値にて)。

共感→同調→陶酔。その空間。
誰も彼もよさこい踊りと高知の踊り団体を賛美していく。
客観性なし。

この価値観からズレると、彼らは無関心になった。
「他に行け」と言って排除してくる。当然だろと思う。
しかし彼らの言う「個性の尊重」

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沖縄 昔聞いたこと SNSで

沖縄 昔聞いたこと SNSで

最近の事
 沖縄は内地の経済的植民地と昔、知人が言っていた。ではどうして戦後に、日本復帰運動をしたのだろうか? 経済的植民地というなら、日本復帰運動した先人たちの顔に泥を塗っていると思う。沖縄の人たちは、復帰運動をした歴史を分析しないのだろうか?
 地元のマスコミがしても、反戦運動や本土に対する過剰な主張にしかつなげないのだろうが。

 いつもステレオのように聞くことは「沖縄の声を聴け」ということ

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権威 ほにや主義? 続き

権威 ほにや主義? 続き

権威 ほにや主義?|dragoniata|note の続き

しくみ

沖縄ほにや、この踊り団体の価値は高知ほにやから得るよさこい踊りがコアになって動く。それにより沖縄ほにや内に横たわっている「価値」、「自己陶酔による悦楽」が躍動し円として循環する。(図1参照)

逆に入ってこないと、この団体の中心は空洞化していく。故に1年毎に入れてこないと、踊り団体の活気はなくなる。(図2参照)

なぜなら、高

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権威 ほにや主義?

権威 ほにや主義?

沖縄ほにや

のれん元の権威に合わせる事で成っている。
 ↓
合わせることで沖縄ほにやは、のれん元の高知ほにやの価値観、よさこい踊りを賛美して、陶酔する。のれん分けされている時点で、最初から権威に依存する体質になっていた。

毎年夏に高知で行われる「よさこい祭り」で沖縄ほにやは高知ほにやとして参加し、賞を取って自らに箔をつけてた。
かつてリーダーが、メンバー募集で実績に高知ほにやとして参加したとき

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沖縄のほにや その暖簾分けの団体

沖縄のほにや その暖簾分けの団体

沖縄の踊り団体にいる時代、ほにやのすばらしさをたくさん聞いた。

ほにやという権威はよさこい踊りをいう。
その踊りは夢をテーマにしていた

言う割にのれん分けされた踊り団体は抑圧的なすばらしさで抑圧されてた。
踊りに自己陶酔する美徳を垣間見た。

夢は建前と知った。
そして個性の尊重、異文化礼賛とはいうが
中心にはない事を知った。
それを誇りにしているらしい

自分たちと対等でない者には
自己満足

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批判

批判

ある時、2007年、踊り団体をやめた。ある事がきっかけになって。
ある女性が働く島に行こうと言う話がメーリングリストに流れた。それに応募したら断わられた。

NGにされた。それは当然のことで、幾分かのトラブルと、メールのやり方でで頼りすぎてそうなって拒絶された。

それでやめた。やめた後は大変だった。精神的に。
この女性の性格は純粋な人らしいと聞いたが、無関心な人で、人の意見を聞いて関心ないものに

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読谷村、コロナワクチンでの同調的なやり方

読谷村、コロナワクチンでの同調的なやり方

20~30代にSMSでワクチン接種を促す 週1回メッセージが届く 沖縄の村が10月から https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/833850

 読谷村の村長は20代~30代の人にワクチンを打たせるために那覇市のIT会社と手を組んで、してない人間にSMSを使って伝達するらしい。打たせるために。「行動科学を活用した村民本位の施策推進に関する包括連携協定」を

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