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Yonghee(よんよん)|わたし自身を育むインナースペース
2021年4月21日 13:33
私は両親と暮らしてきた生活の中で、両親から精神的に自立することは一生できない。親の言ったことは絶対だと思い続けていた。頭ではそれを受け入れたくないと思っていても、長年に渡る体罰や精神的洗脳が私の体の髄まで染み込んでしまっていた。「親が生きるか子供が死ぬか」「子供が生きるか親が死ぬか」この二択しかなく、最終的に子供だった自分を殺すことを選んできた…。自分を
2021年4月9日 17:52
=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=『毒親育ちでも幸せな居場所は 自分で創れる!』 毒親育ちの仲間募集中!無料メルマガ【インナースペース通信@パース】発行中ですスマホの方はこちらPCの方はこちら=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=その頃の私は旦那も子供もいるのに、本当に孤独だった。もの言わず、ただ泣き続ける子供。息抜き
2021年4月4日 17:54
=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=『自分の居場所と幸せは自分で作ろう!』 毒親育ちの仲間募集中!無料メルマガ【インナースペース通信@パース】発行中ですスマホの方はこちらPCの方はこちら=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=私は彼が涙を流すのは出会ってから数回しか見たことがない。最後の涙を見たのはこの時で、彼は喉を詰まらせなが
2021年4月3日 22:09
=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=『自分の居場所は自分で作ろう!』 毒親育ちの仲間募集中!無料メルマガ【インナースペース通信@パース】発行中ですスマホの方はこちらPCの方はこちら=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=その時は稽留流産ではなく、きちんと心音も確認ができて一安心…という矢先のことだった。まず、雲行きが怪しくなった
2021年4月2日 22:52
=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=『自分の居場所は自分で作ろう!』 毒親育ちの仲間募集中!無料メルマガ【インナースペース通信@パース】発行中ですスマホの方はこちらPCの方はこちら=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=結婚式を挙げたばかりの2015年4月。私たちは韓国での挙式を終え、中国に戻ったあとすぐのことだった。旦那は
2021年4月1日 18:28
=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=『自分の居場所は自分で作ろう!』 毒親育ちの仲間募集中!無料メルマガ【インナースペース通信@パース】発行中ですスマホの方はこちらPCの方はこちら=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=しかし、この苦しい状況の時私の傍で、彼はいつも寄り添ってくれていた。私と彼は中国の病院に不信感を持っていたこ
2021年3月30日 23:43
=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=『自分の居場所は自分で作ろう!』 毒親育ちの仲間募集中!無料メルマガ【インナースペース通信@パース】発行中ですスマホの方はこちらPCの方はこちら=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=中国の産婦人科は男性は入室できない。私は一人で長蛇の列に並び、検診結果を待っていたのだが、中国の医者は忙しそう
2021年3月29日 17:20
=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=『自分の居場所は自分で作ろう!』毒親育ちの仲間募集中!無料メルマガ【インナースペース@パース】発行中ですスマホの方はこちらPCの方はこちら=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=当時、私はもちろんまだ結婚はしていなかったので、少し…いや、かなり焦った。また、私の頭の中では結婚前に妊娠した状況
2021年3月25日 01:00
当時、彼は学校に通うために私の住む地域に住んでいて、彼は河南省の実家へ帰省することになった。新年に日本に帰省していた私は、日本から持ってきたお土産を彼に手渡して見送ったのだが、なんと彼とはこの時を最後に音信不通で連絡が取れなくなってしまった。彼からの突然の音信不通。私にとっては青天の霹靂だった。私は一体、何が起こったのか全く分からないショックで二週間ほど仕事を休み
2021年3月23日 18:05
彼との恋愛は純粋にとても楽しいものだった。日本での恋愛と違い、中国の地方出身の彼はどこか素朴な雰囲気と純粋さを持っていた。彼との時間は普段過ごす仕事のせわしない世界とは全く違い安らぎを感じ私は満たされていた。「恋は盲目」とはよく言ったもので、彼はまだ若すぎるほど若すぎて、未熟すぎるほど未熟だった。私自身もこの純粋な恋愛に浮かれ、冷静さをすっかり見失っていた。
2021年3月22日 18:38
私はとある中国人の男の子とインターネットを通じて知り合った。「男の子」と表現するのは、当時、初めて彼の写真を見たとき、まだあどけなさの残る大学生だったからだ。彼は私の11歳年下で、初めは中国語を勉強する目的でチャットをしていた。次第に仲が良くなり、そのうち、チャットではなく、直接、電話をするようになった。彼は私の下手な中国語も笑ったりすることなく受け入れてくれて、
2021年3月20日 21:31
私は、中国で初めて就職をしたり旦那と出会ったりなど、中国との縁がとても深い。政治的な面やモラルの面では賛否両論あるのだろうが、私の人生の中で中国という国は、私が初めて海外に飛び出した時に受け止めてくれた場所であり、精神的に支えてくれた恩人ならぬ「恩国」。30の時に私が就職したのは外資系企業のとあるコールセンターだった。時代はリーマンショック真っ只中。一度は決
2021年3月20日 00:36
その後、日本に戻った私の20代後半は夢も希望もない無味乾燥な毎日だった。日本では派遣の仕事を転々としていたのだが、物質的生活は送れても、心は完全に枯れきっていた。なんとなく仕事をしてなんとなく生活をしてなんとなく1日が終わる…。そんななんとなくの連続に私はまた「あの虚しさ」に襲われ、それを必死でかき消そうとタバコやお酒を煽るという状況だった。そんな日々の中で
2021年3月18日 17:53
この頃、時代は2002年。私はやっと親から逃れ、自分の道を進んでいるかのように思っていた。そんな矢先に私はなんと、SARSの渦中に見舞われた。私は突然、平穏な世界から恐怖の奈落に突き落とされた。今はコロナが世界中で猛威をふるっているわけだが、当時のSARSもまた原因不明のものとして中国では大騒ぎになっていた。私の勤めていた学校も突然、閉鎖された。私は社員寮