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宮若市行政からの仕打ちもあり

宮若市の建築都市課住宅管理係が山川家には問題をふっかけてます

先ず自分が別の世帯に行ってそこでの家賃が発生しました

本来はそれは生活保護から払うようになっていました

生活保護費が出て、自分は最初の家賃は住宅管理係に持っていくように言われてたので持っていきました

その時、言われたのが「もう貰っているでした」
自分は「ちょっと調べてくれと」頼んで待っていたらそれでも「もう貰っている」と返答が返って来ました
自分は保護課の人間が間違えていると思いそのまま帰りました

それから母の入院、そして施設入所があり、施設に入所してぐらいから住宅管理係から手紙が来ました

督促状です

はっきり言って、ここの係から来る手紙にはビクビクしてました
理由は後で

ただ督促状が来たのです

最初はなんの、お金と思いました
既に自分は生活保護、出し家賃は発生しません

天引きになっているはずなのです

そこで保護課のケースワカーに連絡して発覚です

最初に家賃を持って行った時、本来は受け取っておかなければいけなかったのです

あきらかに住宅管理係のミスです

じゃその発生した家賃をどうする?

自分が払う義務があるみたいです

まだ話し合いはしてませんが一つ言えば、自分は母が施設に入所して実家に戻る事にしました

母と世帯を分ける意味がなくなくったからです

既に住んでもない住宅でもあり住宅管理係のミスであるのに自分に払う義務みたいなのが生まれて来ているのです

でも住宅管理係は矛先を変えました

母です
母が保証人になっているので施設の母に払ってもらうと言って来たのです

それはやりすぎだろうと思いました

最初のミスは住宅管理係です

それを母に払って貰うです

後で話すと言ってましたが住宅管理係はこの新しい住宅が決まった時期にある法律で山川家を追い出そうとしました

この書状は母の市営住宅側の立ち退き請求書出して来たのです

家賃の滞納をしてたのでその書状を出して来たみたいです

でも先ず母と自分は高齢で障害者です
母も自分も精神障害者です

本来、障害者基本法には障害者への住処の確保は約束されています

住宅管理係が使って来た法律は地方自治法だと思いますが障害者基本法も地方自治法の合議制で決まるのです

それを住宅管理係は力で押して来たのです

だいたいその前から地方自治法をチラつかせて来てました

そしてその立ち退き請求場を送って来たのです

そこには市長のハンコも押されてます

どうでしょう?

障害者基本法が全く尊重されず蚊帳の外

自分たちの出来上がった制度で障害者であっても亡き者にしようと思う権力

これが行政のやる事なのか?

でも自分はこの書状を買い取ろうと思いました

その時の家賃をカメラ機材を売り賄いました

いずれこの書状は効果を的証明になると思っています

精神障害者を亡き者にし立ち退き請求書の証明になる事が間違いないと思いカメラ機材を売り家賃を支払いました

確かに払わなくてはいけない家賃です

でも力でやるのはどうかと思います

こちらは精神障害者であり、なぜ生活が困窮して家賃も支払えなくなったかも住宅管理係はある程度、把握してたはずです

それなのに力でやり切ろうとしたのです

もし自分が支払わなかったら宮若市議会にかけていたのかと問いたいです

もし議会にかけていたら宮若市公明党市議会議員はどうしたのだろう

もともとこの宮若市公明市議会議員は住宅の事をやっています

別にこの宮若市公明市議会議員に新しい世帯を斡旋してもらったとかではありません

ただ住宅の事もやっているから別な世帯に移れば生活保護が出ると言う無能なか考えしか出せなくて宗像病院の事は何も出来なくて宮若市行政でも何も出来ないと言う始末

挙句に紹介して名称は変わりましたが、生活困窮係と言う所も宮若市公明党市議会議員は紹介したがいいがそこも何も出来ず困窮係は逆に自分の足かせになった

本来、困窮係から脳神経内科の治療を繋げて貰うようになっていたのに理由もなく取り下げられているのです

とりあえず周りはめちゃくちゃです

宮若市行政内でも知っちゃかめちゃです

被害者は母と俺なのにどこも何もしないのが行政の内情です

現実、今も既に放置状態です

その理由が母の事はやったから私たちは仕事をやったと思っているのでしょう

こいつらバカだ

精神障害者を放置してどうするとは思いましたが俺は闘いを続けようと思いました

だって俺は芸術家だからです

この現状は酷すぎます

これをこのまま逆に放置すると社会は終わる

別に終わってもいいが俺の芸術家としての人生を終わらせてはならないが為です

申し訳ないがもう自分の事しか考えない

今まで散々他人の事を考え庇って来ました

他人を考え庇うのはやめて少しは自分の事を考えて生きてほしいと言ってくれた牧梨菜さんに感謝です

話しは飛んだりしましたが、先ずは立ち退き請求書まで出している母に保証人だから払って貰うです
払ってもらいたいじゃないのです

払って貰うのです

もう決まった言い方です

それにもう一つ

母にそんなお金は残されてません

既に施設の利用料や介護費なりが嵩み満足な医療すら受けれてません

施設は市側の運営です

先ずは考えるべきです

医療も満足に受けれず施設利用料や介護費を払えです

考え方がわからないのか?

介護あっての命だと思っているのだろうが命あっての介護だと思います

だから最後の砦として医療があるのじゃないのか?

生きていく為には今の母には介護は必要ではあります
でも本来は介護する側は生きてくれてありがとうの感謝の気持ちで介護をしなければなりません

自分は母が施設に入所するまで父が死んで10年になりますが母の介護をして来ました

10年間は絶対的に手はかかりませんでしたが、それでも食事を作り家事全般をやって来ました

それも病気の身でやって来たのです
それに対して周りはよくやっているとは言ってくれましたがが自分がなぜやったかは母と一緒に生きたいが為です

母の命があるからです

だから命あっての介護なのです

介護があっての命じゃありません

それは家族の介護をやって思うに至ると思います

生きていて欲しいからやるきも出るのです

だから自分には介護は感謝の気持ち、ありがとうでした

ただ市側の考え方は介護あっての命だと認識してるのでしょう

施設利用料についても見なす気もなさそうだからです

だから無能なのです

宗像病院の問題から山川家は被害者です

母と自分は生き別れて、もうこれからは一緒に暮らす事もありません

結果的に周りのサポートがなかったが為だと思います

はっきり言って見てるだけです

理由を知りながら行動しないとは責任感があまりにもなさすぎます

自分はまだ話せない事も沢山あります

真実を話すのが自分の正義と思いながらまだ話せない事もあります

ただここまではいかに山川家がサポートを受けれなく被害にあって来たのかがわかっていただけると嬉しいです

ただ自分は8月を復活祭だと見越してます

逆襲が始まるやも知れません

問題要素の真理には迫って来ました

そうであるならば後一つは自分の芸術家としての成功が自分に力を与えてくれると思います

写真での芸術を自分の至高の芸術にしたいが自分の思いです

先ずは唯一無二のフォトグラファーになる事でしょう

精神障害を抱えながらやる意味はめちゃめちゃあります
それは困難を超えて辿り付く極みだからです

最後に牧梨菜さんはどこで助けに来てくれるのか?

それとも俺は新垣結衣さんに辿り付くのか?

人から消えない傷をつけられたらそれはどうすべきだと思いますか?

それは人により解消されて来ます

俺が今、望むべき人は牧梨菜さんか新垣結衣さんです

ここにはっきり言って恋愛を望む訳じゃありません

自分は三回感情が壊れてます

二回目の時、無駄な感情として恋愛感情は捨てました

出来れば恋愛感情を呼び覚まさせてくれると感謝しますが自分が望む第一が楽でしょう

楽になりたいが今の思い気持ちだからです

毎日、疲れ、状態は悪い

やっぱりそんな毎日は疲れます

たまには楽がしたい
それも心の底から楽になりたい

それを委ねたいと思うのが二人です

でも新垣結衣さんに向かうのは凄すぎると思いますが叶わない夢じゃあえりません

夢は見るものじゃなく叶えるものと自分はずっと言い続けて来ました

だから写真も音楽も続けて来たのです

その写真の天下取りが始まったのです

やっぱり精神状態の悪さだけ、頂点は取ってはいますがそれは自分だけの中です

自分もやっぱり社会的頂点を目指したいのです

それはなぜなのか?

それが手に入ればお金が入ってくるのです

お金が入ってくればそのお金を元に自分のやりたい事を広げる事が出来るからです

カメラの機材も、音楽の機材も買う事が出来れば次の芸術を生み出す事に繋がるからです

なぜそこまでやるのかですが芸術こそが自分の状態を抑える方法だと気付いたからです

芸術的な作業をしてる時の脳が至高だからだと思います

だから次々に芸術に励みたい

でも救われる事はないのかも知れません

心は壊れているのだと思います

それは牧梨菜さんに繋がっても新垣結衣さんに繋がっても癒される訳ではないです
二人から訪れるのは満たされるでしょう

満たしこそが楽に繋がるのだと思います

心の傷は一生消える事はないのだと思います

死ぬまでは消える事のない傷です

傷と闘えるのは本人だけです

だから芸術を持って闘っています

現状が困窮状況です
はっきり言ってお金はないに越した事はないと思います

生きていくにはやっぱり必要ではあります

生活していく為であればあればある程までとは思いますが芸術をしていく為であればお金はやっぱり欲しいです

やっぱりあればこれがあればとは思います

はっきり言っていつの時代の機材で写真を撮りようとやとは思います

ただこだわりもあるのでその機材にしてますが理由はお金もないからでもあります

フィルムカメラはある程度でも写りますがデジタルは今の時代のカメラで撮影したいとは思います

ただ自分の撮影スタイルに必要なのはフィルターです

今の自分にはフィルターがなければ撮影できません

はっきり言ってNiSiとかKANIのフィルターが欲しい

それを使ってフィルムで撮影したらどうなるのか?
普通にアイデアを披露してしまいました
それで撮影したら間違いなく唯一無二のフォトグラファーだろうね

だからまだやれる方法があるのです

まだ撮影スタイルも身に付けるべき事はあるのです

それで表現する事も残されているのです

じゃまだやりたいのです

だから諦める訳にはいかないのです

でも芸術は生きていく為の遊びでしかないのだろうか?

その答えもまだ見つかってはいません

遊びでありながらでも状態にアクセスできるのは芸術しかありません

死にたいとは湧いても返しているのが芸術

生死を彷徨う人生になりました

数奇な人生です

長くなりましたが読んでくださりありがとうございます

この世で生きている間はお付き合いお願い致します

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