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キリスト教

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クリスチャントゥデイの編集長が不定期にnote.comを巡ってこれは良いと思ったキリスト教関係の記事をまとめていったものです。
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#神

復活と世界の仕組みに向き合う

復活と世界の仕組みに向き合う

理系の自分がイエス・キリストの復活とどのように向き合って、どう考えて、どう信じているのか、言語化したい。

自動車を整備していた祖父と、炭鉱掘削機械を設計していた父の影響か、幼少期から物理、化学、生物に興味があり、学校教材以外の本や科学雑誌を読み、DNAの模型を自作するのも遊びだった。

最初は理科の教科書をそのまま信じるような向き合い方をしていた。「鉄は塩酸に溶ける」と教科書が示すなら、「鉄は塩

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イエスを殺せと叫ぶ人々

イエスを殺せと叫ぶ人々

[ルカの福音書 23:20,21,22,23,24]

ピラトはイエスを釈放しようと思って、再び彼らに呼びかけた。しかし彼らは、「十字架だ。十字架につけろ」と叫び続けた。ピラトは彼らに三度目に言った。「この人がどんな悪いことをしたというのか。彼には、死に値する罪が何も見つからなかった。だから私は、むちで懲らしめたうえで釈放する。」けれども、彼らはイエスを十字架につけるように、しつこく大声で要求し続

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「わたしの」救い主イエス・キリスト

「わたしの」救い主イエス・キリスト

「イエス・キリストを個人的な救い主として受け入れる」という言い回しがある。"Accept Jesus Christ as your personal Savior"の直訳だろう。

"personal"を「個人的な」と訳すと個人主義が連想されネガティブな感じ。

「自分にとっての」がより良い感じ。他人事だった救いが自分事になるのだから。

「イエス・キリストを自分にとっての救い主として受け入れる」

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非効率な共同作業をあえて望む愛

非効率な共同作業をあえて望む愛

福音を誰かに伝えて、その行為が無駄になることは絶対にない。

10日後、10年後、100年後かは分からない。自分の街でか、別の国でかは分からない。神は、撒いた福音の種を、いつかどこかで芽吹かせ、成長させ、実らせる力と意思が、おありになるから。

福音を伝えても無駄だと信じるのは信教の自由だ。福音を伝えても絶対に無駄にはならないと信じるのも、同様に、信教の自由だ。どう信じ、その信仰に基づいてどう行動

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人間の優劣などくそみたいになった日

人間の優劣などくそみたいになった日

 こんばんは。藍作です。

 今日は、人間の持つ、才能、社会での地位、学歴、運動神経、知能、ケンカの強さ、会社の格、職業、持っている資格、肩書き、属している共同体の優劣など、もろもろをひっくるめたことについてです。

 しかしなんとも人間って、差をつけたがる動物ですねえ。
 例えば、医者の世界。
 あの、難関の医師国家試験を受かったんだから、もう医師は「みんな平等!」でいいと思うのに、東大医学部を

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空気を壊しても神に誠実でありたい

空気を壊しても神に誠実でありたい

僕は個人的には理屈通りに物事が進まないとスッキリしない体質だし、何でもかんでも言語化、明文化されてないと居心地が悪く感じる。空気や世間の言外の圧力はクリスチャンになる前から相当嫌悪していた。キリスト教に出会い、渡米し一言ごとにはっきり定義を共有した言葉で全部表す生活は性に合った。

物理学が好きなのも「物」事の「理」屈を可能な限り正確な言語、数学という言語で表し、実験で仮説という「理屈」通りに物

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『科学者はなぜ神を信じるのか』読んだよ

『科学者はなぜ神を信じるのか』読んだよ

気付いたらKindle Unlimitedでブルーバックスが読み放題になっていました。あの科学系の読み物がてんこもりで全国の理系メンたち垂涎のブルーバックスシリーズがです。なんということでしょう。こんなの永遠に読みたすぎて時間がいくらあっても足りないですね。

ともかくも今回読んでみたブルーバックス本がこちら、三田一郎『科学者はなぜ神を信じるのか』です。

といっても実を言うと、この本はKindl

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関係を持とうとされる神

関係を持とうとされる神

教会に通い始めのまだ求道者であったころ聖書のザアカイの箇所を異なる複数の機会を通して聞いたのを思い出す。最初は何を意味するのか表面的にも分からなかった。イエスと自分の関係が深くなるにつれ分かったのは、つまりあれは関係についての話だったという事。関係以下の関係を脱却した神と人の話。

ザアカイははじめイエスのことを一方的に聞き、一方的に見る。ザアカイは自身を主体としイエスを客体の立場に置く。しかし全

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命は誰のものなのか

命は誰のものなのか

人の命とは、神様から授かったとか、頂いたとか、管理すべき時間として預かったとか、いろいろ考え方はあるけど、愛するために託されたと考えることもできるかもしれない。自分のものであると同時に神様の委託物でもある。託した神様には意図や願いがある。神を愛し隣人を愛するよう、託したと信じる。

命の使い道は、人生の使い道だし、時間の使い道。イエス・キリストに従うなら、イエスが命を、人生を、時間をどう使ったかに

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クリスチャンとしてどう生きるか

クリスチャンとしてどう生きるか

イエス・キリストを知った。イエスの十字架と復活が自分のための愛だったことを知った。知ったのだから、自分は、知る前の状態にはどうやっても戻ることはできない。自分にとっての救いや信仰は不可逆的なもの。もうそれ以前には戻らない。そうやって示された神の愛から引き離されることは決して無い。

救われる前からも、救われた後からも、同じ罪を犯してしまうことはある。もちろん、悔い改めてもう罪を犯さないよう、神に変

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ぶつかってくる教理警察

ぶつかってくる教理警察

寺に突入してお坊さんに「あなたが信じてる宗教は間違った教えですよ」とは言わないクリスチャンが別のクリスチャンにツイッターで「あなたが信じてる教理は間違った教えですよ」と言えてしまうのは駅でぶつかってくるおじさんと同じ理由で自分がぶつかっても大丈夫そうな相手を選んでるってことなの?

駅でぶつかってくるおじさんは相撲部屋に突入してぶつかり稽古することは決して無い。お相撲さんはおじさんより体格も大きい

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道具の使い道が分かるのは誰か

道具の使い道が分かるのは誰か

これ。これ本当にクリスチャンもノンクリスチャンも誤解してるところかもしれない。科学とは一体何か再考が必要。科学は役に立つし、科学はある程度正確なことができる。しかし、科学は人間の営為でもある。故に人間の限界がすなわち科学の限界になる。人間には限界がある。しかし、神には限界がない。

ちなみに、上で引用されてる書籍『部分と全体』は量子力学の基礎を作り上げた物理学者たちの一人、ヴェルナー・ハイゼンベル

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神学と物理学:後編(鉄道の例え)

神学と物理学:後編(鉄道の例え)

神と人と時間について、電車に乗ってて思ったのですが、時間の中で過ごす人は降りる駅の記されていない片道切符を渡されて電車に乗せられた人のようだと思いました。神様は、その時間の電車の車体も路線もダイヤも誰がどの駅で乗り降りするかも全部全人類分、規定し設計し製造し運用する方のようです。

例外はあるでしょうが、人は自分の寿命を知りません。命を伸ばしたり縮めたりも基本的にはできません。過去や未来にも行けま

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「分かること」と「信じること」

「分かること」と「信じること」

無神論者だったとき、教会に通って聖書について学んでいたが全部分かるまではキリスト教に入信すまいと思っていた。分かるまで学び続けようとしていた。世界について、人間について、神について。いくら学んでも分からなかった。分からないとしても信頼に値する愛を受け入れた時に、自然と信じていた。

自分の改心前後を思い返すと、自分の知識、理性、論理構造、概念的な視野の枠内に、世界だの人間だの神だのを無理やり押し込

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