大ちゃん

キリスト教会の牧師をしています。聖書から教えられることを分かち合いたいと思っています。…

大ちゃん

キリスト教会の牧師をしています。聖書から教えられることを分かち合いたいと思っています。よろしくお願いします。 教会のサイトです。 https://green401.wixsite.com/grace-church

最近の記事

死んでも死なないいのちがあります

[列王記 第二 13:15,16,17,18,19] エリシャが王に「弓と矢を持って来なさい」と言ったので、王は弓と矢をエリシャのところに持って来た。エリシャはイスラエルの王に「弓に手をかけなさい」と言ったので、王は手をかけた。すると、エリシャは自分の手を王の手の上に置いて、「東側の窓を開けなさい」と言った。王が開けると、エリシャはさらに言った。「矢を射なさい。」彼が矢を射ると、エリシャは言った。「主の勝利の矢、アラムに対する勝利の矢。あなたはアフェクでアラムを討ち、これを

    • あり地獄のような罪に打ち勝つ

      [列王記 第二 13:3,4,5,6] そのため、主の怒りがイスラエルに向かって燃え上がり、主は彼らをアラムの王ハザエル、および、ハザエルの子ベン・ハダドの手に絶えず渡しておられた。しかし、エホアハズが主に願ったので、主はこれを聞き入れられた。アラムの王の虐げによって、イスラエルが虐げられているのをご覧になったからである。主がイスラエルに一人の救う者を与えられたので、彼らはアラムの支配を脱した。こうしてイスラエル人は以前のように、自分たちの天幕に住むようになった。それにもか

      • 人に認められるか、神に認められるか?

        [列王記 第二 12:19,20,21] ヨアシュについてのその他の事柄、彼が行ったすべてのこと、それは『ユダの王の歴代誌』に確かに記されている。ヨアシュの家来たちは立ち上がって謀反を起こし、シラに下って行くヨアシュをベテ・ミロで打ち殺した。彼の家来シムアテの子ヨザバデとショメルの子エホザバデが彼を討ったので、彼は死んだ。人々は彼をダビデの町に先祖とともに葬った。彼の子アマツヤが代わって王となった。 今日の聖書箇所 II列王12:9〜21 今日も列王記から恵みをいただい

        • 緊張感と使命感の大切さ

          [列王記 第二 12:2,3,4,5,6] ヨアシュは、祭司エホヤダが彼を教えた間、いつも主の目にかなうことを行った。 ただし、高き所は取り除かれなかった。民はなおも、その高き所でいけにえを献げたり、犠牲を供えたりしていた。ヨアシュは祭司たちに言った。「主の宮に献げられる、聖別された金のすべて、すなわち、それぞれに割り当てを課せられた金や、自発的に主の宮に献げられる金のすべては、祭司たちが、それぞれ自分の担当する者から受け取りなさい。神殿のどこかが破損していれば、その破損の

        死んでも死なないいのちがあります

          元に戻ってしまわないために

          [列王記 第二 11:17,18] エホヤダは、主と、王および民との間で、彼らが主の民となるという契約を結ばせ、王と民との間でも契約を結ばせた。民衆はみなバアルの神殿に行って、それを打ち壊した。彼らはその祭壇と像を徹底的に打ち砕き、バアルの祭司マタンを祭壇の前で殺した。祭司エホヤダは主の宮に管理人を置いた。 今日の聖書箇所 II列王11:13〜21 今日も列王記から恵みをいただいていきたいと思います。 イゼベルの娘アタルヤが南ユダを乗っ取り、バアル崇拝で国を完全に破壊

          元に戻ってしまわないために

          暗黒の時にも

          [列王記 第二 11:9,10,11,12] 百人隊の長たちは、すべて祭司エホヤダが命じたとおりに行った。彼らは、それぞれ自分の部下たちを、安息日に務めに当たる者も、安息日に務めに当たらない者も、祭司エホヤダのところに連れて来た。祭司は百人隊の長たちに、主の宮にあったダビデ王の槍と丸い小盾を与えた。近衛兵たちはそれぞれ武器を手にして、神殿の右側から神殿の左側まで、祭壇と神殿に向かって王の周りに立った。エホヤダは王の子を連れ出し、王冠をかぶらせ、さとしの書を渡した。こうして人

          暗黒の時にも

          やがて逆転する時が来ます

          [列王記 第二 10:15,16,17] 彼がそこを去って行くと、彼を迎えに来たレカブの子ヨナダブに出会った。エフーは彼にあいさつして言った。「あなたの心は、私の心があなたの心に対してそうであるように、真っ直ぐですか。」ヨナダブは、「そうです」と答えた。「そうなら、こちらに手を伸ばしなさい。」ヨナダブが手を差し出すと、エフーは彼を戦車の上に引き上げて、「私と一緒に来て、主に対する私の熱心さを見なさい」と言った。エフーは彼を自分の戦車に乗せて、サマリアに行った。エフーは、アハ

          やがて逆転する時が来ます

          アリの一穴

          [列王記 第二 10:9,10] 朝になるとエフーは出て行き、立ってすべての民に言った。「あなたたちに罪はない。聞きなさい。私が主君に対して謀反を起こして、彼を殺したのだ。しかし、これらの者を皆殺しにしたのはだれか。だから知れ。主がアハブの家について告げられた主のことばは一つも地に落ちないことを。主は、そのしもべエリヤによってお告げになったことをなされたのだ。」 今日の聖書箇所 II列王10:1〜10 今日も列王記から恵みをいただいていきたいと思います。 エフーによる

          アリの一穴

          死より恐ろしいことがあります

          [列王記 第二 9:30,31,32,33] エフーがイズレエルに来たとき、イゼベルはこれを聞いて、目の縁を塗り、髪を結い直して、窓から見下ろしていた。エフーが門に入って来たので、彼女は「お元気ですか。主君殺しのジムリ」と言った。彼は窓を見上げて、「だれか私にくみする者はいないか。だれかいないか」と言った。二、三人の宦官が彼を見下ろしていたので、彼が「その女を突き落とせ」と言うと、彼らは彼女を突き落とし、彼女の血が壁や馬にはねかかった。エフーは彼女を踏みつけた。 今日の聖

          死より恐ろしいことがあります

          信仰は魔法ではなく最善を尽くす力を与えます

          [列王記 第二 9:14,15,16] こうして、ニムシの子ヨシャファテの子エフーは、ヨラムに対して謀反を起こした。先にヨラムはイスラエル全軍を率いて、ラモテ・ギルアデでアラムの王ハザエルを防いだが、ヨラム王は、アラムの王ハザエルと戦ったときにアラム人に負わされた傷を癒やすため、イズレエルに帰っていたのである。エフーは言った。「もし、これがあなたたちの本心であるなら、だれもこの町から逃れ出て、イズレエルに知らせに行ってはならない。」それからエフーは車に乗ってイズレエルへ行っ

          信仰は魔法ではなく最善を尽くす力を与えます

          神を信じるとは神の裁きを信じることです

          [列王記 第二 9:6,7,8,9,10] エフーは立って、家に入った。そこで若者は油をエフーの頭に注いで言った。「イスラエルの神、主はこう言われる。『わたしはあなたに油を注いで、主の民イスラエルの王とする。あなたは、主君アハブの家の者を打ち殺さなければならない。こうしてわたしは、わたしのしもべである預言者たちの血、イゼベルによって流されたすべての主のしもべたちの血の復讐をする。それでアハブの家はことごとく滅び失せる。わたしは、イスラエルの中の、アハブに属する小童から奴隷や

          神を信じるとは神の裁きを信じることです

          共にいるべき人と共にいてはいけない人

          [列王記 第二 8:18,19,20] 彼はアハブの家の者がしたように、イスラエルの王たちの道に歩んだ。アハブの娘が彼の妻だったからである。彼は主の目に悪であることを行った。しかし、主はそのしもべダビデに免じて、ユダを滅ぼすことを望まれなかった。主はダビデとその子孫に常にともしびを与えると彼に約束されたからである。ヨラムの時代に、エドムが背いてユダの支配から脱し、自分たちの上に王を立てた。 今日の聖書箇所 II列王8:16〜29 今日も列王記から恵みをいただいていきたい

          共にいるべき人と共にいてはいけない人

          恵みから恵みの人生

          [列王記 第二 8:4,5,6] そのころ、王は神の人に仕える若者ゲハジに、「エリシャが行った大いなるわざを、残らず私に聞かせてくれ」と話していた。彼が王に、死人を生き返らせたあの出来事を話していると、ちょうどそこに、子どもを生き返らせてもらった女が、自分の家と畑のことについて王に訴えに来た。ゲハジは言った。「王様、これがその女です。そしてこれが、エリシャが生き返らせた子どもです。」王が彼女に尋ねると、彼女は王にそのことを話した。すると王は彼女のために、一人の宦官に「彼女の

          恵みから恵みの人生

          信仰とは神の存在ではなく神の言葉を信じること

          [列王記 第二 7:18,19,20] かつて神の人が王に、「明日の今ごろ、サマリアの門で、大麦二セアが一シェケルで、上等の小麦粉一セアが一シェケルで売られるようになる」と言ったときに、侍従は神の人に答えて、「たとえ主が天に窓を作られるにしても、そんなことがあるだろうか」と言った。そこで、エリシャは「確かに、あなたは自分の目でそれを見るが、それを食べることはできない」と言った。そのとおりのことが彼に実現した。民が門で彼を踏みつけたので、彼は死んだ。 今日の聖書箇所 II列

          信仰とは神の存在ではなく神の言葉を信じること

          霊的に貧しい者こそ幸いです

          [列王記 第二 7:3,4,5,6,7] さて、ツァラアトに冒された四人の人が、町の門の入り口にいた。彼らは互いに言った。「われわれはどうして死ぬまでここに座っていなければならないのか。たとえ町に入ろうと言ったところで、町は食糧難だから、われわれはそこで死ななければならない。ここに座っていても死ぬだけだ。さあ今、アラムの陣営に入り込もう。もし彼らがわれわれを生かしておいてくれるなら、われわれは生き延びられる。もし殺すなら、そのときは死ぬまでのことだ。」こうして、彼らはアラム

          霊的に貧しい者こそ幸いです

          霊の目が開かれるとき信仰が与えられます

          [列王記 第二 6:15,16,17] 神の人の召使いが、朝早く起きて外に出ると、なんと、馬と戦車の軍隊がその町を包囲していた。若者がエリシャに、「ああ、ご主人様。どうしたらよいのでしょう」と言った。すると彼は、「恐れるな。私たちとともにいる者は、彼らとともにいる者よりも多いのだから」と言った。そして、エリシャは祈って主に願った。「どうか、彼の目を開いて、見えるようにしてください。」主がその若者の目を開かれたので、彼が見ると、なんと、火の馬と戦車がエリシャを取り巻いて山に満

          霊の目が開かれるとき信仰が与えられます