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それでも来た朝が、とても綺麗だったから_空に還った子と日々に見えた愛
いつか自分が「母」になったとき、
きっと、いろんな事がわかるようになると思っていた。
10代の頃、
わたしの生きることの葛藤は、母にも重なって抱えていた。
"頑張って"心が動けなくなったり、言葉が喋れなくなったりした。
「学校に行けない」というだけのことは、
一人の人生に、家族に、大き過ぎる影を落とした。
いちばん近く、どうしても近く、
心のたいせつなところで繋がる家族。
特に母とは、そんな
"それでも"、わたしは「新姓」を名乗りたい
今年の春に結婚して。
社会的に名字が夫と同じに、「新姓」と呼ばれるものになりました。
これまで過ごしてきて、なにか、自分の中にそれに関する感情がある、と感じてきました。
例えば仕事のやり取りのメール中でとか、手紙の宛名とか。
そういったもので、「旧姓」の名前で自分のことを呼ばれた時の感情。
実は、ずっとそこに"違和感"がありました。
これは想像もしていなかった、自分の中に生まれた"意志"、しか
どうしようもなく繋がり合う"わたし達"を続けよう。緘黙症と表現と、人と自分と、「大好き」
今までずっと、自分のお気に入りはどうしても、人に渡すことは出来なかった。
とくに、自分がつくったものは、人に譲ることは出来なかった。
物はあまり持たない方で、むだなもの、と感じるものは、すっきりとさせたくて、
こころゆくお気に入りのもので、自分の空間は埋まらせたくて、
でも、ひとりの暮らしから家族になって、半分くらい自分だけのお気に入りでは埋まらせられなくなったけど、そのちぐはぐさにも愛おしさを
つながりながら立ち止まるー人生の学校で"自分"を思い出した28日間
「学ぶ」ことは、誰もが持っている“自分”を生きていくための力。
それが出来なかった時間があった分、「学ぶ」ということについて、ずっと考えてきました。
「『大人』は毎日仕事をしてお金を稼がないといけない」
「職業として『何か』をして、職業名を持って『何者か』でいることを続けないといけない」
「『社会人』として認められるだけの立派さがないといけない」
「『普通』の基準を越えていないといけない」