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それでも来た朝が、とても綺麗だったから_空に還った子と日々に見えた愛

いつか自分が「母」になったとき、
きっと、いろんな事がわかるようになると思っていた。


10代の頃、
わたしの生きることの葛藤は、母にも重なって抱えていた。

"頑張って"心が動けなくなったり、言葉が喋れなくなったりした。
「学校に行けない」というだけのことは、
一人の人生に、家族に、大き過ぎる影を落とした。

いちばん近く、どうしても近く、
心のたいせつなところで繋がる家族。
特に母とは、そんな時間を共に生きた。

そして複雑なものになり、
"愛"がないのでは、と疑うまで、
心の葛藤はつづいていた。


そうして10代からずっと、
自分は「母」になるということが叶わない、
なってはいけないのでは、
と思ってきていた。

心が弱いと、いけない。
子どもに、愛で満ちた世界を見せられないなんて。
それはいけない、いけないと。

それに、
日々を生きるだけの、精いっぱいだった頃。
それでも社会の中で流されていく過程で、
女性として、だいじなものが、
ひどく、傷つく体験があった。

それはずっと、この子宮の中に、
黒く黒く残っているようだった。

だから、「母親」に、
自分がなれるように、変わる世界を
信じてはいなかった。



それでも、色んな時間と出会いを越えて、
20代になって、母や家族の愛は、
ちゃんとあった事を知って、
生きることを選んでこられた。


今年、27歳をむかえる春に結婚した。
不安も感じる部分があっても、
それでも、とても穏やかに、自然に。
信頼も安心も、
確かに感じながら、「家族」になれた。

「強くなる」ということは、
痛みを感じなくなることではなく、
しなやかさを得ることだと知った。

夫と日々を生きる中で、
人との縁と感謝の中で。
傷みも、癒やされていって、
お腹の下に沈んでいた黒さも、
愛で溶けていった。


寒さがなかなか訪れないのに、
秋から冬を迎えようとしていた頃、
妊娠が分かった。


「母」にはなれないのではと、
ずっと思ってきた時間を越えて。

その数か月前から、自然と、
妊娠や出産、子育ての本を手に取り。
気づけば、インスタのアルゴリズムは
わたしに子どもの画像や動画ばかり、
見るようになっていた。

夫と二人で、いつまでも溢れて
仕方ないような。
温かい未来を描く毎日が始まった。


かつて"頑張って"、潰れてしまっていた心は、
どこまでも、この自分の心身を労って。
大事にだいじにして、
ゆっくりとした時間の中に、身を置くことが出来た。

暮らしのどの場面を見ても、
きらきらと見えて、仕方なかった。

自分の中に命の存在を感じる日々は、
あまりにも、温かかった。
いつかこの世界で出会えることを、
心待ちにして、仕方なかった。



世の中の悲しめることも、
静かに眺められるような、胸が開けたような
数えるほどの夜を過ぎて。
命を守っていたはずの身体が、何かが違ったような気がした。


心待ちにしていた子の、この世界での
姿形を、もっと感じられること。
来る日を数えて待っていた、
健診へ向かう道は、なぜか薄暗かった。


数えるほどの夜を過ぎて、
早期流産となった。


体から流れた真っ赤な中に、
「だめ、」と、
思わず手を入れた。
何もすくい上げることは出来なくて、
水の中に流れていって。
もうしばらく、立ち上がれなかった。

夫に伝えようとする口も、
どうしても形にできなくて、
何時間とうずくまっていた。

感情をつかみきれないまま
泣いている自分を、
上から引いて眺めているみたいだった。

「生きることの肯定」だと思ってきていた、
ご飯も食べられなくなったのは、
夫と出会って以来、初めてのことだった。


寝て、もう枯れたと思って
起きた朝。
世界の音がみんな消えてしまったみたいに、
止まった時間の中、
自分だけ息をしてるみたいだった。

自分の心の在り様も分からないまま、
カーテンを開けたら、


涙が溢れて、仕方なかった。

朝陽が、とてもてとても、綺麗だったから。


新しい空気と光を取り込む、陽を浴びる朝。
何度も何度も通った道で、
いっこいっこ眺める花や木。
公園のベンチに座って、息を整えて
目でなぞる空と雲。
天使が降りたみたいだねと、
気付きもしなかった街の羽。
ゆっくりでいい、ゆっくりでいいと、
一個いっこ手を掛けてつくる晩御飯。
洗濯を取り込む、冷え始めた空気と
眩しいオレンジの夕焼け。


全部ぜんぶ、ただあるだけで、
涙が止まらなかった。

あなたと生きた世界が
とても、美しかったから。


早期の流産は、医療的に妊娠の記録にもならない。
それでも、わたし達にとっては、
かけがえのない第一子だった。

妊娠してから、日々つけ始めた日記。
そのまま閉じる前に、一日、書き加えた。
「ありがとう、愛してるよ!」
喉の奥がきゅっとして、
苦しいけれど、あふれるものを
ちゃんと綴った。

命と別れる、さみしさ。
あなたと、この世界で出会いたかった。
生きたかった未来があった。
何も悪いことではないと理解しても、
生きているから感情があった。

でも、何よりも
自分から生まれた愛を感じることができた
幸せな涙には、違いなかった。



寒さを感じられるようになって、
夫と二人で行きたかった場所の数々も、
訪れて、思い出の景色にしていけた。

キャンセルしようとしていた新婚旅行も、
心広がる海外の海を、見ることが出来た。

パラセーリングで、高く高く空を飛んだ時、
この景色を見せてくれたんだね、と。
ただ思った。



池川明さんの研究で有名な、
「胎内記憶」というものに触れていて、
子ども達の純粋で温かい話が、
とても好きだった。

その中でも、
流産を経験した子どもの記憶の話も、
前から触れていた。
医学的な意味にも理解をしていて。
その体験は、忌むべきものでは
決してないことも、わかっていた。

それでも、
こんなにも胸が避けるような想いも、
ずっと溢れる涙があったのも。
"愛"というものが、あったからだと
やっと、わたしは本当の意味で知ったのだと思った。


10代の頃、苦しい時の中で、
「きっといつか、その体験は
 人生を豊かなものにしてくれる」
どうしても信じられなかった考え。

でも、この体験は、
間違いなく、これ程に胸が苦しくても
かけがえなく宝物みたいに
ずっと大事にできると思えた。

そう思えるようになった。
それだけで、それだけでいい。
本当に、そう思った。


きっと、何かが分かると思っていた
「母」という存在のこと。

今まで、色んな葛藤や理解を越えて、
その形を捉えてきたけれど。
やっと、本当に、
自分の命、そして自分の母、
そのまた母・祖母、
家族のこと。

「愛があった」ことを、
ほんとうに感じることができた。


本当の意味で、
愛があると知った世界は
今日も美しい。
わたしはここで生きている。


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