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どうしようもなく繋がり合う"わたし達"を続けよう。緘黙症と表現と、人と自分と、「大好き」

今までずっと、自分のお気に入りはどうしても、人に渡すことは出来なかった。


とくに、自分がつくったものは、人に譲ることは出来なかった。
物はあまり持たない方で、むだなもの、と感じるものは、すっきりとさせたくて、
こころゆくお気に入りのもので、自分の空間は埋まらせたくて、
でも、ひとりの暮らしから家族になって、半分くらい自分だけのお気に入りでは埋まらせられなくなったけど、そのちぐはぐさにも愛おしさをおぼえられて、
でも、心地の良さを守るためには空間の容量と占める均衡は保ちたくて、
持つものは限らせているけれど、
心揺らされる「お気に入り」にはどうしても勝てなかった。




10代の頃、心を痛めたとき、医学的に診断されると「緘黙症」というものになった。

分かりやすいところで言うと、喋る事が出来なくなるのだけれど、
でも実際は「喋る」ということだけが止まるのではなく、
自分から出る全ての「表現」が止まる、
どうしようもなく、「意」と思ってるものに反して、止まる、しかなかった。

何かをこの自分が「表現」することで、
人が世の中が自分が反応して、
その「反応」のすべてがおそろしく、
自分を守らなければ、守らなければ息が出来なかった、
だから、止まるしかなかった。

呼吸は生きられるぎりぎりの深さになって、
身体はぜんぶ文字通りの「緊張」で力いっぱいで、
目に映るもの肌の心地鼻も舌までも、「捉える」ということも出来る限りぼやかされたものにしなくてはいけなくて、
心の中もそう、感じることは絶対にやめていて、
頭の中はもちろん意味としてはない言葉が浮かび続けるだけだった。

24の時、仕事で同じ診断を受けている子と人生で初めて出会い「コミュニケーション」をした時、
その子の視点と、
見た目にはごく僅か、でもきっとその僅かを形にするのがどれだけ「緊張」し尽くした身体の重いことか、
僅かな頷きや、やっと運ばれた指差しから、

その人だけのたたかいをぜったいに簡単に「同じ」と表現してしまいたくないけれど、
そういう、なんとも言うことが出来ない、不思議な心地になった。


決してここに書き切ることのできない、そのほかいろいろの壮絶と、
それを「書き切らなくていい」と思えるようになった今の自分。

過ぎ去った時間とこれまでのわたしの関係は、
それによってうまく出来ない自分と人とを繋ぎ止めてくれているものだと、信じないとやってられなくて。
だから、どうしても、まだそこにいたくて、
「居たくない」と言っていても、
守らなければいけないから、いなくてはいけなくて。

「今を楽しめば」って、とても簡単なだけど真実なことも、
それどころじゃなかったから。

でも、ただ、今は「過去」だと、
過去だと言える、
ほんとうに、それだけでよくて、
それだけでいいって、強がりみたいに感じて気持ち悪いけれど、
でも、それさえも、いいことに出来る。
それが尊いと思える、ありふれた「壮絶」の先の、つまらない結末。


また、「壮絶」だけじゃない、
「書ききれない」今の自分を形作ってくれている、尊い数々のこと。

それは、
緘黙症やそれらから、なかなか抜け出せなかった、自分は「普通」からは外れている、という感覚から、

居心地のよさと表現と肯定で、
また人や世の中と自分が交わるかもしれないと感じられた、
やっとの「灯り」であった、芸術館での時間とか、

生きる苦しさを感じてからも「死にたい」とは思わなかったけど、
「ここじゃないどこか」を求めていて、
十何の子どもにはどうしようも抜け出せない息の詰まる田舎で、どんどん狭くなった視界とただそこにしか居られなかったから居ただけの部屋から、
でも幼い頃にほんとうにただ"夢見る"ことが出来ていた欠片みたいな本も置かれている部屋から、
「自分の足で行けた」、なんてそこに辿り着けるまでに力添えられたことの大きさには気付けない、幼さで自分を誇った海外の地とか、

学校に行けなかった、ただのその事が、どれだけの人生の色々を巻き起こしてしまうことか、
わたしには全てを救うことは出来ないから、何かの責任は負わないし難しい色々は分からないけれど、でも少しくらい嘆かせてほしいとも思う、子どもと学びの置かれている世の中から、
「あぁ、そう、思って良かったんだ」と思わせてくれた、「くれた」と感謝の気持ちを込めた言葉を清々しく言える、北欧の学び舎とか、
きっとそんな感覚を持てる人を一人、一人と繋ごうと、この国でも始めている人達とか、

「書ききれない」、数々があって。


何かを「特別」としてしまうと、そうしない他を「それ以外」にしてしまうことが惜しくて、なかなか出来ないけれど。

でも、「今の自分」に繋がるこの数年は、どうしても、「特別」と"今は"表現するしかないのかもしれない。
「伝えよう」と、書いてきた、場所と自分の目に映る世界のこと。



『心がつながるのが怖い』

この文字列を目にした時からだし、実際に本として読んでも、
これほど、「自分のことを書いている」と思ったものに出会ったことない本。

『心がつながるのが怖い 愛と自己防衛 イルセ・サン』
AmazonのPrime Readingで、だいぶ前からスマホに入れてはいたけれど、
前記の「余白」でやっと、染み込む様に読んで、

今まで本というものが活きることに繋がることがなかったけれど、
やっと「繋がって」「活きた」と、これだけは本当に感じた。

過去をありふれた「壮絶」にしてきた、わたしの心のいろいろが、
自分の心の、「守ろう」としてきたことだと、
そして、"ただ"それがそうだと理解できて、
当たり前に分かっていたけれど、分かれなかった「愛」について、
繋がった。

表現できなかでたところから、「表現しよう」と、やっと思えた、
こう言ってしまうと陳腐になってしまうかもだけど、でもきっと人はこれこそ、こう表現するのだとおもうから、「奇跡」だと。
それはとても、心地よくて、
とてもそのままに、身体を動かしていけた。

今の夫に、当時恋人だった時に、夢で見た様なピンクの空に虹が出ているのを贈った


それでも、やはりそんな簡単な訳はなくて、
それでも「守る」ために、過去に「居なきゃ」と、
どうしてもどうしてもと、引かれてしまう時間はあって。
でもだからこそ、ちゃんと「過去」にして、「今を生きる」なんて簡単だけど真実なことに、行き着けた気がしているのだとおもうから。



やはり「表現しきれない」、でも、
「いい加減もう信じてもいい」、と言えるくらいの、人と温かさがある時間だと、
ありふれた「壮絶」を生きた子、から、27でやっとそうおもえるところに、行き着いた。
少し前、「わたしはどこにも行き着けない」と泣きながら手帳に書いた時から、行き着けた。

この春、世の中的な「制度」になると「結婚」だけれど、でもそれより大切な、自分としてしっくりくる表現として「家族」になった。
いわゆる結婚式もして、それから「特別」と言いたい人達とも、同じではないけれど大切にしたい時間を形にした。
家族になると決めて、そんな時間を持とうとしてからずっと、やはりそんなことしていいのか、みたいな、怖さはもちろんあった。無理やり流そうとしたくなる感情も浮かんでは、眺めていた。

でも、形になって、
そして、わたしはやっと、そこで、ずっと言えなかった言葉を口にできた。


その翌日、簡単に表現するには難しい、
でもやはり「特別」と言いたい、東北の"学び舎"で繋がる人達との1日で、絵を描いた。



はがきサイズの、描くのにいちばん好きな少しざらつくエンボスペーパーに、いちばん好きな水彩色鉛筆で、抽象画と言うのか、絵と言っていいのか分からない、
大体は心地よくのせていったくらいの色彩を7枚。

「ちゃんと描ける」か不安だったけれど、
描いて出来たものは、
心惹かれる色も、「思いもよらないのを」と意識して選んだのも、
意外とどれも、「お気に入り」にちゃんとなった。

順番に一枚一枚描いた。これは、その「特別」な場所に来てからの時間の流れだと思った。

『ここに来る前、
ここに来たばかり、
ここで過ごしている間、
時間の一区切り、
流れていった時間、
また変わった時、
そして今』


その1日の閉じていく時、今あるものを話す時間で、やっと口に出来た言葉について話した。

その場を作ってきた2人の"友"に、以前文字で伝えた時は、どうしても落ち着いた心で表現することは出来なかった。それでも書いた、その日から、これは変化だと気付いた。

でも、口に出そうとした時に、
あぁ、本当にわたしはやっと、「愛を表現する」という怖さから、自分の本意に近づけた、いや本意にできたのだと、これはちゃんと理解できたと思うし、思いたい。

「大好き」と、言えた。あぁ、やっと言えた。

すごく簡単そうで、人生でありふれていたけれど、
でもきっと、
美しさとか豊かさとかそんなことも意識しなくてもいいような、"言葉として"とかいいような、体感して、その価値を感じた、
そんな言葉になった。


物はあまり持ちすぎない様にして、空間の心地よさを守ろうとしてきているけれど。
心地よく描けた絵の様な、自分で形にできた「お気に入り」は、表現したものは、とくに手に持っていたかった。

でも、その日の前に、隣にいた時間はそう何年と多くはないけれど、でもずっと「特別」に繋がり続ける、これもまたこれまでは言い難かった、親友に1枚、「贈る」と決めて描いて渡した。
それはもはや、写真にも残さず、その「お気に入り」をその人が持ち続けているだけで、もうそれで今までの「お気に入り」の持ち方と同じだと当たり前におもった。

そして、その日に描いた7枚も、人に贈るのに使いたいと思って、1枚も残さず、
その時にお礼を伝えたかった一人一人に、裏にメッセージを書いて渡した。
それに、これまで、
自分の「お気に入り」が自分の心にしっくり来る様に表現したくて、そこに手が加わることに抵抗があったけれど、
でも、夫と2人で6枚書き込んだ。


『ここに来る前』を、「救われた」を自分にくれて、その「肯定」が、自分をつくってくれることがまた、「救い」をくれた一人へ。
『ここに来たばかり』を、「あれは嬉しかったよ」をくれて、ちゃんとその一つひとつを、わたしは覚えている一人へ。
『ここで過ごしている間』を、近づきたいからこそ、大切にしたくてうまく近づけなかった、でも今、繋がっていたいですと伝えられる一人へ。
『時間の一区切り』を、これだけのいろいろがあって、でも結局人は人に生かされるのだとか、間違いなくその時を、「共に生きていたよ」と言える一人へ。
『流れていった時間』を、"ちゃんとちゃんと"生きているのだと、決して"同じ"じゃないけれど、でもきっとその感覚を共有できる、訳の分からなくて面白い「生きること」に丁寧な一人へ。
『また変わった時』を、出会ったばかりの、でもそれだけの気持ちをくれるような、つまりそんな自分がいることを教えるような、出会いをくれてありがとう、と言える一人へ。
『そして今』を、この文章と同じくらいの「そのまま」の形で、そしてこの文章では表せなかった「すべて」を受け取ってくれた、夫に。

「その時」の意味であったり、その色であったり、その色から受け取るわたしの心であったり、
いろいろから選んで、贈った。

きっと今までは「そんな怖いこと」と、思うかもしれないと、もしかしたら今も心のどこかでそう思うかもしれないと、
でも、これをしようと、ただ思って、そうした。

写真もこれだけで、そんなに「綺麗な形」にしようともしなかったくらい。
だけど、このことは、
あの人生でいちばん苦しい状態の身体から、
しなやかに動かした手で描いた絵を人に渡した意味を、
味わったら泣いてしまいそうになる意味を、表していた。


「表現」が出来なくなって、「表現」が出来るようになったということ。

この一人の人生を取り巻くあらゆること、つながるあらゆることには、
決して「あって良かった」とは言えない、言いたくない、
纏めたくは、わたしはないことも含めていて。
ただ、その過去からどうしようもなく繋がってしまう、この今をわたしは肯定する。

ただ「"わたし"を生きる」ということでは、もはやなくなった、ということ。

繋がるのが怖かった、人とも、自分とも、自分の心とも、
世の中とか世界とかも、
愛するという、本当はいちばんに求め続けたものとか、
それらこれらをひっくるめて、

自分の意思とか気持ちとか、そういうのだけでは行き着かなかった意味としても、「なんだかんだ」っていう、ややこしいけど愛おしい様な感じも含めても、

「どうしようもなく繋がり合う、"わたし達"を続けよう」と、
この言葉は実は、2年くらい前の手帳とかに既にあって、でも「自分の今まで」のすべてを書ききれなくて今日まで来て、
そして、書ききれなくても、こんな文章にしたいと、心動いた時間で、やっと、表現できた。

わたしは、ずっとここに来たかった。



あとがき、のような。



10代の時、診断というところの「緘黙症」という「表現」することの葛藤と、「表現」出来る様になった自分について。

ずっと「自分の今まで」を、決して漏れてしまうことなく「書き切らないないと」と。何か勝手に、背負ってるような気持ちがありました。

「書くこと」に自分を形作る"特別"を感じてから、ずっと「分かりやすさ」を意識してきました。
読み手をおもって丁寧に紡ぐのは、「やさしさ」だと、それが素敵だな、とただ感じだから。

「文章」というものは、読み手のその後を想像しないようにしても、「ぶつけて」しまえる。
どこか、乱暴なものなんじゃないか、と。
緘黙症といわれて、「文章」によって、人や世の中との繋がりを何とか保ってきた中で。
これは、気をつけなくては、とどこかで抑えてきたのかもしれません。

でも、
最近、本を読むこと、特に文学に触れることに影響されたのかもしれない。
この後記に、直接的でないけど、なにか触発されたのかもしれない。

わからないけれど、
何年かぶりに、「そのまま」書いてみた、
「自分の今まで」と「今」についてです。

たくさんの出会いが、今の自分をつくってくれていますが。
間違いなく、大きなものを受け取った場所について。

この、
本編より長い、あとがきの様な完全版のような何かみたいにも思えます。
でも、なんだかんだで自分が今まで「書き切ろう」としてきた、"集大成"ぽくも感じられました。

自分でも途中から、「これ大丈夫かな」と心配になってしまったくらい自由文ですが(なんなら、もしかして「気持ち悪い」かも、とかくらい心配)。
でも、これは話せなかった当時の自分の表現に、とても似ているように思えます。
緘黙症とか不登校とか、その辺りの体験記的なものでもあるので、何かの参考になったりならなかったりもするかもしれません(「知らんけど。」)。


Special thanksのような。直接表現はしていないけれど、書き込んだ場所。
CMCCompath水戸芸術館Nordfyns Højskole
そして、勝手に名前こそ伏せて書かせてもらってしまって、きっと本人には伝わるかもしれない方々の一人ひとりへ。
書ききれない、書ききれない、今のわたしに繋がるすべてのものごと、すべての人へ。

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