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忙しく流れる時間の中で、大事なものを大事にしたいと願うあなたに。【後編】

安心して「痛いおもい」をするということ


不安もウェルカム、とは言っても、
この4ヶ月は、わたしにとって大きな挑戦にかわりありませんでした。

「人とずっといること」はわたしにとって、
”しんどいこと”でした。


機会はあっても、そこは避け続けていました。
なんとなく、自分の育ってきた環境や、それまでの体験からくるものだとは分かっていたのですが。
自分でも、なぜかを説明するのは難しいものでした。


案の定、反応は大きく出ました。

シェアハウスでおなじ仲間と暮らしている中でも。
プログラム中、自分や社会のことについて対話する中でも。

”いろんな自分”、がいて。
そこには、”ほかの人”、もいて。

どうしてか分からないけれど、
”いっぱいいっぱい”になりました。
苦しく、なりました。

でも、ここには、それを受け止めてくれるだけの「余白」がありました。

プログラム中、
そこに居続けられなかったわたしの、
「その場から離れる」という選択に対しても、ただ、「OK」してくれて。

ここでは、用意された環境はあっても、
「なにを選ぶか」は、一人ひとりの自由。
「それぞれの時間」
であること、「それぞれの歩み」で良いことを、受け止めてくれました。


場を離れた先で、一人、海に向かいました。

知らない土地の、穏やかな自然。
情報量の少ない、
わたしに対してただ”フラット”でいる、まち。
「なにもない」田舎まちが、その時の自分にとって、いちばん優しいものでした。

”切り替えのよさ”は、褒められるもの。
少し転んでも、
すぐ起きあがって前に進んだ方が”えらい”。
そう、いわれるものだと思う。

でも、
ちゃんと「痛み」を「痛み」として味わって
消化していく方が、
”本当に”前へ進んでいくことなんじゃないか。

わたしは、そう思うんです。

わたしのことを、
責めるでもない、許すでもない、
ただ落ち着かせてくれるだけの波の音の中で、自分の声を聴きました。


人といる中で、うつし出された「自分」を知る


わたしはこれまで、
「自分に向き合う」ことというと、
自分の”内側”へ向かっていく作業なのだと思っていました。

でも、本当に「自分と向き合う」こととは、「人と向き合う」ことでした。


わたしには、これまでの人生で、
「”人に求められる自分”でいないといけない」
「人に”自分の弱いところ”を見せてはいけない」
という心のシステムができていました。

そのために、ずっと人といると、
エネルギーを使い続けて
”しんどく”なっていました。

だから、わたしは「人といたくない」のだと。
どこかで諦めるように、
そう思って”平気”なように生きていました。


でも、この学び舎で、
”しんどく”なって逃げた先の
「余白」の中で
気付きました。


「わたしは、本当は、人といたかったんだ」と。

ただ、一人でいるだけでは、気づけなかった。

人といるからこそ、
しまい込まれていた自分の姿が出てきた。

”しんどく”していた心のシステムも、
心を守るためには必要だった。でも。
ここで出会って、
”何者でもない”わたしといてくれる人達と、「つながりたい」。

本当の願いに気づいた、自分がいました。

わたしの、
人と共に生きることの試みがはじまりました。



過去が”過去”になったとき、わたし達は、はじめて「今」を生きられる


わたしのした「痛いおもい」は、
人と向き合うことだけではありませんでした。

「過去に向き合うこと」

わたしは、自分の人生で、しまい続けてきた、
”忘れてきた”時間がいくつかありました。
家族とのこと、学校でのこと、
人とのこと・・・

それは、取り出してしまったら、
自分が保てなくなってしまう、
心が崩れてしまうようで。

どうしても、
”必要な対処”として
目を向けずにいないとだめでした。


でも、その影はたまに現れて。
前へ進もうとする足を、重くひっぱりました。
そして押し込めるほどに、
”自分自身”を人に表現することも、
邪魔してきました。

そんな過去にも、この「余白」の中で、
向き合ってもいいかもしれない

と思うようになりました。

時間はかかりました。
ふみ出すのに、エネルギーが要りました。


でも、一人じゃなかったから。


”自分を生きる”大きな挑戦を、
支える場所があったから。
本気の想いで、
一人ひとりに向き合っちゃう人がいたから。

共に暮らす仲間がいる。
つながりを、手放さずにいてくれる
誰かがいる。

それぞれが、それぞれの、
自分の人生に向き合っている。

「”求められる自分”じゃないといけない」、
「”弱いところ”を見せちゃいけない」、
そう思ってきた自分にとって。

しまい込まないといられなかった
過去についてはなすことも、
「痛いおもい」で現れた
自分を表現することも、

どんな自分が在っても、大丈夫。

受け止めてくれる人も、いる。
変わらずにいてくれる人も、いる。

「ああ、大丈夫だった」、
そう思えた経験ができた。

どれだけ頭で理解できても、
そんな訳ない、と信じられなかった。
心を守り始めてから25になるまで、
ずっとできなかったこと。

「大丈夫」


これを体感できたのは、大袈裟ではなく、
奇跡だとおもいました。


わたしはずっと、
「引きずられている過去の、
 延長線上に生きている」、
そんな感覚がありました。

でも、もういいかもしれない。

過去は”過去”になった。
やっと、「現在地」に帰ってこられた。

人生のうちの、ほんの4ヶ月。
でも、たしかに意味のある、4ヶ月。

わたしは、「今」を生きはじめました。


自分が自分であることを、諦めたくない尊いあなたへ


わたしはこの「余白」で、
「今」を取り戻しました。
人と共に過ごして、
「自分」を思い出しました。

いただいてきたご縁で、ここにたどり着けて。
自分をかたち作ってきた経験のおかげで、
挑戦に飛び込めました。

でも、まだこの社会では、
「余白」をとる選択をすることは、
勇気のいること
だと思います。

それでも、自分自身の人生を
丁寧に生きたいと願う人は、
きっとたくさんいると思います。

大切なものが見えにくくなってしまう、
忙しい世の中で。
そんな感性を持てることは、
どうしようもなく、素敵なことだと、
わたしは思います。

どうか、あなた自身のテンポで、
進みたい道を歩めますように。

「自分」を、「今」を、たいせつに、
生きられますように。


わたしのこの4ヶ月の記録が、
なにか、心のどこかに届いたら、嬉しいです。
読んでいただき、ありがとうございました。

わたしの経験も含めた、
”奇跡”をこのまちで始めてくれた、
みっちーさん。
この社会で、人間らしく生きる、
挑戦を続けるかっこいいSETのみなさん。
わたしがここにいてもいい、と、
受け入れてくれた、やわらかい気持ちを持つ、
広田のみんな、まちの方々。
ゆっくりの歩みでも、
あたたかな心で受け止めて、メンターとして伴走してくれた、みきてぃーさん。
わたしがどう在っても、
それぞれが、それぞれで在り続けてくれた、
4ヶ月を共にした愛しい、6期生のみんな。
この尊い学び舎をつくってくれた、
わたしがわたしであることの闘いに、
向き合い続けてくれた”友”、
岡ちゃん、こーへー。
そして、いろんなことを越えて、
生きてくれている家族へ。

人を、自分を大事に、
わたしはこれからも生きていきます。
共に、生きていきましょう。Love,

Chee

【CMCについて】

この1人の体験は、
Change Makers' collegeという場所が
「このような結果が生まれる場所です」
と宣言するものでは決してありません。

ただ、ここには、
オリジナルの"色"を持った
町が、時間が、人が、存在していて。


それを味わった一人ひとりが
受け取る時間は、グラデーションで広がっています。

それでも、この記録をみて、
何か心動くものがあれば、
ぜひ、よければ訪れてみてください。
もちろん、お話ししてみるだけでも、歓迎です。

自分の、人との人生に、
向き合うことを諦めないあなたと、
出会えることを待っています。

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