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自分のための、振り返り

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自分を犠牲にしない生き方、というのを

学ぶ時期に入ってきているのかもしれない。

光へ

もし真に霊的な歩みを、

自分なりに歩もうとするのならば、

若干の不安と孤独とは、

向き合いながら歩む、

その心構えは、あった方が良いのかもしれない。

もし、闇の中に、光を見出そうと

私が望むのならば。

ゆっくり、進んでゆくこと。

ゆっくりと、変わってゆくこと。

今も、これからも、きっと大切なこと。

移りゆくもの

移りゆくもの

昼間は暖かだったが、午後になって急速に気温が下がってきた。

私のバイアスかもしれないが、櫻の開花が進むと急に寒くなる夜があったりして軽い風邪をよく引いていたような記憶がある。

櫻はあまり好きな花ではなかった。

子どもの頃は、小学校から自宅までの帰り道に大きな櫻の木があってその下を通ると大量の毛虫に降りかかられてきたり、大人たちが花見に興じるのを鼻白みながら見ている少しひねくれた子どもでもあっ

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雨の匂い

雨の匂い

帰り道は雨の匂いがした。

明日はどのぐらい降るのかな。

私は花の名前が分からない。

早逝した母は花の好きな人だった。

私は母が教えてくれる花の名前を、あまり真面目に聞かなかった。

もう少し真面目に聞いても良かったのかもしれない。

でもきっとそのときはそのときで、私はもっと別の話しをしたかったのだろう。

そんな思い出が、ふとよみがえって、

帰り道をゆっくり歩いた。

どうしたら、まっすぐ歩いて行けるのだろう。

どうしたら、まっすぐ生きてゆくことができるのだろう。

曲がりくねった道を歩んだとしても、

焦って道を逸れるのではなく、

しっかり前を見据えながら、

一歩一歩をしっかりと踏みしめて、

歩いてゆけたらなあ。

本当の自分を見失わないように。

自然と向き合うと、素直になれる。

木々の声を聴くと、永遠の中の一瞬を生きていることの意味が、

かけがえのないものに思えてくる。

今できることを、できるだけ落ち着いて、ていねいにやっていくこと。

それをまた、続けていこう。

いつもスタートは、この場所から

自己の全体性、傷の修復、元気を取り戻すこと。

そんなことを考えたとき、いつもスタートは「不自由な自分を愛すること」からになる。

巡り巡っても、それはやはり変わらない。

「自分を解放する」ためにも、「自分を知る」ためにも、

いつも始まりは、そこからだ。

希望の言葉を、紡げない

希望の言葉を、紡げない

失われていく、たくさんの命。

絶望に追いやられてゆく、たくさんの人々。

その光景から目を逸らし続けるならば、

私は、希望の言葉を紡げないだろう。

犠牲を負った人、人、人 … その痛みを想像し、分かち合えないのならば、

私は祈りの入り口にさえ、立てないであろう。

アートと人

アートと人

昨夜は、ここ横浜鶴見でも大きな揺れを感じました。
展示作品、保管作品ともに今のところ無事のようであります。
被害に遭われた各地の皆さまに、心よりお見舞いを申し上げます。

私たちは「あの日」から、どれだけ変われたでしょうか。
社会はどれだけ災害への備えを育むことができたでしょうか。

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「時間が飛んでいく薬」・・・ヒーリングと西洋医学との折衷についての一例

「時間が飛んでいく薬」・・・ヒーリングと西洋医学との折衷についての一例

若い頃は、西洋医学に頼らずに、気功やヒーリング(いまやっているものの原型)のみで調子を整えることに、どこか達成感を抱いているようなところがあった。

それは身体的な面も、精神的な面でもだったのだが、次第にそのやり方には限界を覚えるようになった。

一つの要因としては、『念』のようなものに頼りすぎると、それが身体的な技法や、現実的な作業をきちんと伴ったものだとしても、どこかでバランスが崩れるような感

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バーンアウトからの回復について

バーンアウトからの回復について

前職(対人支援)で、取りつかれたように仕事をしてきた、と振り返る。いわゆる、バーンアウトというものだ。

そのせいで、心身ともに疲弊し、やや重めの疾患をわずらい、その底辺からの回復にやや難儀しているのだとも振り返っているが、不思議とそれらに対する後悔のようなものは少ない。

自分なりに、信念のようなものも、あったのかもしれない。

自身の不注意や力不足で、現場に迷惑をかけてしまってきたことも多々あ

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Self-healing : memo 2021/2/6

Self-healing : memo 2021/2/6

メモ的に:

陰と陽の行き来ということが、私の主題の一つのようだ。

ここ数ヶ月、体調の変動や少しずつの回復により、その辺りがはっきりしてきたような気がする。

思えば、以前の仕事でも、あるいはそれ以前の生活でも、そこのところがフレキシブルにいかず、どちらかに常に引っ張られながら、そしてそれ故に常に消耗しながら歩んでいたような気もする。

ここで指す陰と陽とは、それぞれ具体的には示しづらいが、自身

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壁にぶつかっているときは、いいときだ

壁にぶつかっているときは、いいときだ

一般論では分からないが、私の場合はそんな風に思う。

順風のときがいいときなのではなく、壁にぶつかってもがいているときの方がいいときなのだ。

なぜならそこには発見がある、改善の機会が生じる、より良いものを生み出そうとする、問題点がないかと振り返る。

それらも過剰になると身を害するが、ほどほどそういうことが無ければ何事も前に進めて行くことはできなくなっていくだろう。

往々にしてほどほどとはいか

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