へいた(Taro KANEKO)

Yokohama , JAPAN *横浜で小さなお店をやりながら、傍らにライフワークと…

へいた(Taro KANEKO)

Yokohama , JAPAN *横浜で小さなお店をやりながら、傍らにライフワークとしてのハンド・ヒーリングを少々。⇒ http://hands-on-hands.pluto.bindcloud.jp/

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心が何かに囚われる。 ならばと、心を探り、向き合う。 その営みもほどほどに、 心はゆらゆらと漂泊してゆく。 なら、どうせなら、 心を自由に、旅させてみようか。

    • 歩み、立ち止まり、振り返り

      • 全て受け止めなくてもいい

        生きてきた中で、心のどこかに置いておいた『宿題』のようなものが、ふいに紐解かれて、少し苦しくなることがある。 つい「この際」と、全て取り組もうとするのだが、それがまた余計に重荷のカサを増しているような気もする。 余分なものを、いったん空に帰す…。 そうしたら、いま本当に向き合うべき部分が見えてくるような気がする。 いま向き合えること いつかまた向き合うこと ゆっくりと、ゆっくりと 生きてゆけたらと。 #心 #空ヘ #心の側に #自然の守り神 #メメントモリ

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        心が何かに囚われる。 ならばと、心を探り、向き合う。 その営みもほどほどに、 心はゆらゆらと漂泊してゆく。 なら、どうせなら、 心を自由に、旅させてみようか。

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          春待ちの街並みが、心の風景とシンクロして。

          春待ちの街並みが、心の風景とシンクロして。

          夢の記憶、遠い記憶、いまも変わらないもの

          ギャラリーまでの小散歩・・・。 昨夜は変な夢を見ていた。 このところ、少し多いような気がする。 夢とは全然関係ないが、子どもの頃の記憶をふと思い出した。 確か小学2年生か3年生くらいのころから、私は人の死、そして核というものの存在に、夜になると不安が襲ってきて眠れないところがある子どもだった。 住んでいた実家の近くに、ある大学の研究炉があり、それが放射能漏れの事故を起こしたことがあったりして(あいまいな記憶なので詳細が異なるかもしれないが)それが小さく報道されたり、一方

          夢の記憶、遠い記憶、いまも変わらないもの

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          The warm autumn days, and the gradation of nature ... (暖かい秋の日々、 そして自然が織りなすグラデーション ... )

          The warm autumn days, and the gradation of nature ... (暖かい秋の日々、 そして自然が織りなすグラデーション ... )

          再び、旅路に

          私は、クリスチャンではなく、 どちらかと言えば、多神教的な生活実感のほうが、 よりナチュラルに心に馴染むのだが、 心が荒れ、苦しむ時に、 イエスは、私の側にいて、見守ってくださっている。 そして、私と共に、歩もうとしてくださっている。 と、そんな風に、感じることがある。 あるいは、そう思うことで、そう感じることで、 私は、私の心の沈みを、少しでも癒そうとしているのだろうか。 棚にしまってある、イエスの物語りに関する本や、 あるいは史的イエスに関して書かれたいくつかの本

          祈り

          囚われから、簡単には自由になれない自分がいる。 だから、祈る。 心の中を、感じる。 その歩み。 一つひとつが、私にとって、大いなる一歩。

          からだは知っている、そして働いている。

          今週末は、展示巡りは行かず(行けず)に、おとなしくしてました。 ギャラリーにて、できる作業を少しずつ…。 このところふいにやってくる体調不良が何なのか、少し戸惑っていましたが、何となく「からだの修復」にエネルギーをつかっているのだなと…。 いったい何年分の修復作業なのか分かりませんが、からだは正しいことをしているのだと感じます。 アタマの方は「あれもしたいのに、これもしたいのに」と無理を言って、ついついからだとのケンカをはじめてしまいますが、やはり「からだ」の方のリズ

          からだは知っている、そして働いている。

          光へ

          もし真に霊的な歩みを、 自分なりに歩もうとするのならば、 若干の不安と孤独とは、 向き合いながら歩む、 その心構えは、あった方が良いのかもしれない。 もし、闇の中に、光を見出そうと 私が望むのならば。

          プロセスのはざまで

          大きな浄化の前に、 かなり困難な苦しみにぶつかり、さいなまれるということは、 人の歩みの中で往々にしてあることなのではないかと、 そんな風に感じる日々。 心と体を、やわらげながら。

          プロセスのはざまで

          テーマ

          自分を犠牲にしない生き方、というのを 学ぶ時期に入ってきているのかもしれない。

          ヒーリングで思うこと、ひとつ。

          人を傷つけるようなヒーラーにはなりたくないと、誰もが思うだろう。私もまた。 それでも得てして浮世離れしたことを言ってしまいがちである。力を抜くこと、やわらかく生きること。 言うのは簡単だ。でもそれを生きる本人は常に必死なのだ。簡単に変われないことを理解できるか、共感できるか。 常に必死、とは言い過ぎかもしれないが、 「その人なりに必死」というよりも、もう少し強い感じ。 その人の一生懸命さを、きちんと感じ取ることができるかどうか。 響きを感じることができるかどうか。

          ヒーリングで思うこと、ひとつ。

          所用より帰宅。 車を降りると、空のスカイブルーが心地よく目に映った。 その中を通り過ぎて行った、小さな飛行機の行方に気を取られていると、縁石につまづきそうになった。

          所用より帰宅。 車を降りると、空のスカイブルーが心地よく目に映った。 その中を通り過ぎて行った、小さな飛行機の行方に気を取られていると、縁石につまづきそうになった。

          雨がだいぶ上がってきた。

          雨がだいぶ上がってきた。