鷗外森林太郎の【脚気問題】から、柳田國男や折口信夫の「民俗学」に託されたもの。それはちょうど欧米の学問におけるフロイトやユングによる「深層心理学」の確立に対応したものだと、私には思はれる。漱石夏目金之助における心の闇は【子規問題】で、その表出が小説『こころ』だと、私には思はれる。
放送大学の「フィールドワークと民族誌」という、文化人類学の講義を視聴している。それまで学んできた深層心理学、臨床心理学と通底するものを強く感じるが、逆に言えばそれらを学んでいなければ今の講義もピンと来なかったと思う。文系の学問ならではの意義深さを痛感させられているところだ。
浦島太郎が玉手箱で老人となる、という結末は実は乙姫による救済ではなかったかと夢想する。老いた男性はただの老いぼれのこともあるが、老賢者にもなり得るからだ。大人になれない少年をどうにかするには、現実の年齢に気づかせるしかない。そのまま亡くなった話も、鶴になって空を舞った話もある。