達観して世相を見れば、社会は馬車馬・ラットレースの集まりであり、そこにおいそれと加わる気にはなれない。 対して、いままさに何かに没頭している人から見れば、近視眼的に、世界は没頭対象の輝きで満ち溢れているのである。 どちらも達観は達観を求め、没頭は没頭を求める、慣性でしかない。