Koji3776
家族との日常を発信
2022年3月10日〜8月までの入院記録。 自宅のある大阪を離れ、東京に半年間の単身赴任中に倒れ、緊急搬送🚑 生きている状態で見つかったのが奇跡、と言われるほどの状態で発見。
2週連続仙台 先週はA 今週は、なにわ 関空迎えの帰り道
2時半に目が覚めた。 寝とかないと昼、寝る。 いや寝ないな。 寝れるのは若者の特権だし。 4時に、今日は日曜日だと気づいた。
会社から利益目標がなくなった。 20年以上前、ITバブル前だったと思う。会社に戻ると、新しい評価体系が発表されて、ざわついていた。そして、 利益目標がなくなっていた。 「やった。!」とか「ラッキー」と思った。次に「面白そう」とか、綺麗な感じをイメージした。相反するけど、綺麗に利益を追求するっていいことだ。 筆頭セールスの先輩は「会社がつぶれる!」と難しそうな顔をしながら課長にこぼしていた。 偉い?偉いのかも。責任感がある。と思ったり、 へー?!いろんな人が居るなぁと思った
昨日とは打って変わって若い。 会社は古いけど、若い人達が多い。 寺はもっと古い。 アメリカは若い。 インドは若い。 トルコはもっと若い。 ロシアはウォッカ。 イスラム教は一夫多妻。 行ったことない。 思考があちこちボヤボヤするのは変わらない。
今日は一心寺に墓参りに行った。 一年前の暑い日、退院して初めての墓参りだった。 熱かった。 火のついている焼香をつまんで、ついてない皿に移した。脳が不安定だった。今回は間違えないように気をつけた。 一心寺は平日だけど流行っていた。戦後からの骨仏が八体ある。その中におじいちゃん、おばあちゃん、父も居る。 阿倍野斎場にはおばあちゃん家側の墓があったはずだけどなくなっていた。他の所も、墓石がボロボロになってたり、傾いていたり、雑草が自然発生して風化している。 一
夏休みの季節。 先週は課長が休みだった。 何もしなくても、そこに居るだけで安心感をただよわせる人がいる。 優雅な白鳥も水面下ではものすごい勢いで水を掻いているかもしれないし、そうじゃないかもしれない。 もう7、8年前の話。 少しいいですか?と隣の課長に声をかけた。 その課長は「後でいいですか!今、テンパってますので!・・!」とフロアで言い放った。 眉間にしわがよって、難しい顔をしていた。 部下には矢が刺さった。 皆、バタバタと忙しそうだ。 ある意味、一
今朝の体重は61.8kg。 横浜の病院では51キロ台まで落ちた。その後、手術前には間食も出来るようになり64キロ台まで戻った。今は、少しずつ、減っている。一気に変えるのは無理がある。そういえば、退院後か手術の後かはわからないが、身長が2センチ減った。 次女ちゃん達や家内は、コンマいくつかの戦いをしているようだ。おそらく自分よりマイナス20弱くらいだから気にしなくて良いと思うけど。 今朝、信号待ちで前におじさんが立っていた。中山美穂を思い出した。脳内で曲が流れた。
1970年代、テレビのチャンネルは2から12までの6チャンと砂嵐っぽいサンテレビをいれて7チャンあった。ガチャン、ガチャン回していたのが、いつの間にかフェザータッチになった。大阪テレビが加わって全部で8チャンになった。ところ変わって2010年代に赴任した福井では民放が2チャンしかなかった。チャンネルを変える事を福井では「逆チャン」と言った。 その福井でアマゾンスティックを買った。46インチのテレビ画面がスマホのようになった。 Netflixやプライムビデオ、YouTube
昔から「絶対に中を見ないで下さい。」とか「この箱を開けてはなりません。」と言われると中を見たくなる人もいる。 のぞいてみると、鳥が機を織っていたり、箱から煙が出て急速老化したり、わかりやすい予想外のことが起きる。 絶対やるなと言われると、何かが起きそうでも、やりたくなる。好奇心と恐怖心の境目は面白い。
郵便物用の大きい布カバンを肩にかける。 下りは階段で降りる。足元を見て降りる。 少しだけ左右非対称。 書留や配達記録を出すと、小さな控えをもらう。 なくさないようにカバンに入れ、エレベーターで5階に戻る。 自席に着いたら、控えを軽く2つに折る。 折り目の中心とパンチの三角をあわせ、カチャンと穴を開ける。 控えを束ねた、黒いヒモをほどく。 もらった控えをヒモに通す。 もらった控えにヒモを通す? ほどいたヒモを再び、蝶々結びにする。 それを静かに机にしまう。 蝶々結びが出来る
ツンに教えてもらった。 沈黙は金。 モモの様には中々なれない。
今週は月水金が食事会。 食事会では、なんで病気になった? と聞かれることが多い。 千里の道も一歩からとか、ローマは一日にして成らずと言う。日々のコツコツした複雑な積み重ねが、確固たるものに結びつきやすい。 チリが積もって心臓弁膜症になった。一夜明けて心臓弁がボロボロにはならない。すこしずつ、わからないように忍び寄ってくる。 おととしの3月11日に入院した。1カ月は意識がない。夢を見てる時もあり、何もない時もあった。4月には意識が戻ったんだけど、初旬は記憶がほとんどない。
昨夏の休職中、リハ病院に行く前の1時間、カラオケによったことが3、4回ある。マイクのビニールを外さず音だけ流して聞いていた。リハビリのような感じ。その頃に、次女ちゃんとビックエコーでなにわを歌ったこともあった。でも初心しゃだから、ウブだった。 その年の冬、難波のスナックに行った。お客さんが帰ってママとKの3人になった。ママと言っても同性。「ママじゃなくて、ケンちゃんって呼んで〜」と言う。久しぶりに曲を入れた。自分でもちょっと難しいと思う曲。いけるかなと思うけど歌えない。途
今日は脳。転院した町医者にてんかんの薬をもらいに行く。救急車から二年3ヶ月。初てんかんからはもうすぐ一年。てんかんで電気信号が暴れたあとは、ボーッとしていた。太陽が眩しかった。 初回面談の時の会社の産業医は最初の救急車から半年で脳の回復は固定すると言っていた。それを聞いたリハビリの先生は怒っていた。固定が良いか悪いかは、人それぞれ。 最近、アルジャーノンを読み始めたのでこんな事を書いている。
金曜日は休暇で急性期病院へ心臓の定期検診。担当医が変わった。家内が「今度の先生はわかりやすいし、良いな」と言っていた。腎臓の数値は半分くらい。様子見。経過は問題無し。胸のレントゲンに細いひもで作った輪っかが縦に5個くらい映っていた。「心臓弁膜症の手術はよくあるけど、感染性心内膜炎もやってよく頑張って戻ってきたと思う。」と先生が言っていた。私も、「自分偉い!」と先生に乗っかっておいた。ま、寝てただけで何もしてないけどな、と心の中でつぶやていたが。 病院出たあと、家内は、「医