天正7年(1579)2月3日は北条氏直が家臣の垪和(はが)又太郎に「直」を与える一字書出が行われた日。元服のとき烏帽子親がその子の命名のため自分の諱の一字を与え、その一字を記して与えた文書。実際の親子に限らず主従の間でも文書の発給は行われ、より強い絆をあらわしたものとされている。
元亀2年(1571)8月26日は家康が浜松城で嫡男信康の元服を祝うための能を興行した日。信康は信長の娘五徳と結婚し家康が浜松城へ移ると岡崎城主となる。天正元年(1573)には初陣を果たし天正3年の長篠設楽原の戦いにも参加している。この祝いの8年後に遠江二俣城にて21歳で自刃した。