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第78回 忠平のショック

藤原忠平は基経の四男です。正室腹では三男なので、時平・仲平・忠平は「三平(さんぺい)」と呼ばれていました。(私の世代ではどうしても平参平を思い出してしまうのですが笑。少し下の世代は三瓶で~す、を思い出すみたいですね)
後年天下を取る忠平も長兄時平の陰に隠れていました。
そして忠平にとってショックな出来事が起こります。

寛平7(895)年5月、16歳になっていた忠平はやっと元服式を迎える事となりました。しかし一番大事な加冠役は天皇ではなかったのです。
長兄時平が光孝天皇、次兄の仲平が宇多天皇ときている訳ですから、きっと宇多天皇がしてくれるだろうと思っていました。
しかし最大の庇護者・父の基経が4年前に亡くなり、宇多天皇としてはもう摂関家に忖度する必要はないとみたのでしょうか。それに宇多天皇には今、心強い菅原道真という参謀がいます。

「このままではいけない。埋もれてしまう」
16歳の忠平は必死に考えましたが良い知恵は浮かびませんでした。

この年はまた大物二人が亡くなりました。4月に業平と同い年ですが女婿であり、国司としても有能でその時参議となっていた藤原保則(やすのり)が71歳で亡くなります。業平の娘美子との間には29歳の清貫がいましたが、この人も数奇な人生を辿ります。

そして8月、左大臣源融が74歳で亡くなります。嵯峨天皇の皇子として生まれましたが、母の身分が低いので源氏になりました。美貌であり才能も豊かだったので、「光源氏」のモデルの一人と言われています。子孫には前述しましたが、歌姫「松田聖子さん」がいます!

10月、道真はまた何人かを追い抜いて中納言に昇進していました。(続く)

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