高堀 枝裕二

私は高堀 枝裕二(しゅうじ)と言います。子供の頃から歴史が大好きで、小編をいくつか書い…

高堀 枝裕二

私は高堀 枝裕二(しゅうじ)と言います。子供の頃から歴史が大好きで、小編をいくつか書いてきました。同じく歴史好きであり、趣味の歴史の世界に導いてくれた母の死をきっかけに自費出版に踏み切りました。

マガジン

  • 原爆誕生と戦後の秘話

    原子爆弾がいかにして造られていったか。またそれがどうして日本に投下される事になったのか。そして真珠湾奇襲攻撃はどうしてなされたのかを推理していきたいと思います。

  • 深掘り「源氏物語」の時代

    「源氏物語」の時代背景を深く掘り下げて探求していきます。

  • 「清盛の時代」秘話

    平清盛の人生を中心に激動期を描く。

  • 源氏物語誕生の秘話

    「源氏物語」がいかにできていったか、紫式部の人生と合わせて書いていきます!

  • 伊勢物語誕生の秘密

    伊勢物語がどうやってできたかを色々な角度で探ってみたいと思います。

最近の記事

第147回 映画「オッペンハイマー」を二度見する!(笑)

3月29日、いよいよ待望のアカデミー賞受賞映画「オッペンハイマー」の日本公開が始まりました。私の著書「原爆誕生と戦後」を読んでくれた教え子の高校生3人と観る約束をしていました。公開日の29日の午後に集合とはなったのですが、午前中暇だった事もありやはり朝1の時間にイオンシネマ明石にいました。感想はいろいろあります。映像や音響の迫力。特に原爆実験が当日雷雨で決行できるかのスリリングな展開。ドキドキしました。ただ、実験成功や広島投下の時の異様なほどの喜びは、やはりアメリカ制作だなと

    • 第146回 オッペンハイマー、祝アカデミー賞!

      やはり予想通り『オッペンハイマー』の圧勝でした。私は2年前に偶然『原爆誕生と戦後ーオッペンハイマーの生涯ー」というのを発行しました。電子書籍では300円と廉価です!ぜひ映画の参考にご一読下さい!

      • 第67回 新作『源氏物語の時代を彩った女と男』発刊!

        note投稿を停止してから約2カ月、やっと新作を上梓できました。『源氏物語』の時代の主に歴史的背景を描いた作品です。興味ある方はお読み下さい!😄   

        • 第145回 100万分の2秒(前半終了)

          プルトニウム爆弾はウラン爆弾の様に両側から爆発させる「ガンバレル方式」では爆発しない事が完全に分かりました。周りを取り囲んで爆発させるインプロ―ジョン方式の「爆縮」方式でないといけません。 ウラン爆弾の方をシンマンの形態を短くした長さでも大丈夫だったので、チビと言う意味の「リトルボーイ」という暗号で呼ばれる事になりました。 さて、プルトニウム爆弾を爆発させるための起爆装置を造るのですが、何度もの実験の結果から32個の起爆箇所すべてを同時に爆発させなければいけない事が分かりまし

        第147回 映画「オッペンハイマー」を二度見する!(笑)

        マガジン

        • 原爆誕生と戦後の秘話
          145本
        • 深掘り「源氏物語」の時代
          65本
        • 「清盛の時代」秘話
          170本
        • 源氏物語誕生の秘話
          148本
        • 伊勢物語誕生の秘密
          119本
        • 平家物語誕生の秘話
          81本

        記事

          第144回 オッペンハイマーの挫折

          ロスアラモスでは機密保持から爆弾は暗号名で呼ばれていました。 一つはプルトニウムを球形にして爆縮のため周りを取り囲むので、とても大きくなり「ファットマン(デブ男)」という愛称が付けられました。これは偶然、チャーチルへの敬意とされました。 それに対して、普通の長細いプルトニウム爆弾は、ローズベルト大統領が長身なので対照的に「痩せた男」という意味で「シンマン」と名付けられていました。しかしどちらも起爆に持っていくのは難しく、特に「シンマン」の機爆は難航しました。 1944年7月

          第144回 オッペンハイマーの挫折

          第143回 戦局の展開

          1944年6月、日本が「史上最悪の作戦」と言われたインパール作戦で多くの戦死者を出している頃、今度は後に「史上最大の作戦」と呼ばれたノルマンディーの戦いがありました。連合軍は後にアメリカ大統領となるドワイト・アイゼンハワーを大将として15万人の大軍で緻密な作戦でフランスに上陸しました。そしてドイツ軍を蹴散らしました。 大平洋では、ニミッツ提督を中心に北上し、マリアナ沖海戦で6月19日から20日にかけて日本の零戦400機はアメリカに次々と撃破され、「マリアナの七面鳥狩り」と呼

          第143回 戦局の展開

          第142回 チャーチルとの決裂

          1944年5月16日、ボーアはチャーチル首相に面会を求めました。原爆の情報をソ連にも公開し世界的共有情報とすべきと提案する目的でした。ローズベルトから内々に紹介があり、チャーチルは最初この世界的な大科学者と会うのを楽しみにしていました。 しかしこの会談の直前に別の情報が入りました。 「ボーアはソ連の工作員と接触していました」 会談が始めって僅か30分でチャーチルは激昂しました。 「もう出て行ってくれたまえ。君とは話をしない」 ソ連との原爆情報共有の話が出た時点で、チャーチルは

          第142回 チャーチルとの決裂

          第141回 ジーンの死

          1944年となった1月4日、オッペンハイマーの愛人であったジーンが自宅の浴室に睡眠薬を服用して入り、自殺しました。溺死でした。29歳でした。 同性愛に苦しんだ末の自死という事で伝えられました。 オッペンハイマーは、その性癖を初めて知りましたが、付き合っていた時から不自然な事もあり、今すべての点で合点がいきました。自分の性(さが)を否定したいがためにわざといろいろな男と寝たりもしていました。それが別れの一つの原因ともなっていました。 「もっと分かってあげたら良かった」 聡明で

          第141回 ジーンの死

          第140回 ハイゼンベルクのメモ

          ボーアは考えました。 「もう仕方がない。ここまで進んでいるのならー願わくば原爆が人類に使用されない事を祈るばかりだ」 ボーアはかつてハイゼンベルクから貰った原子炉のメモをオッペンハイマーや理論部門の長であるベーテに見せると二人は顔を引きつらせました。 「ハイゼンベルクは我々より1年も早く一段階原爆への道を登っていた」 更にその情報はシカゴにいるシラードにももたらされました。 「やはりドイツは原爆に向かっている。これではユダヤ人を絶滅させてしまう」 シラードの恐怖は頂点に達しま

          第140回 ハイゼンベルクのメモ

          第139回 爆縮方式の発明

          プルトニウムは、両端に分けてぶつける方法では爆発しませんでした。 ロスアラモスの天才的な科学者たちは熟考しました。そして一つの過程に仮定に辿り着きました。プルトニウムを球状にして回りから圧力をかければ爆発するのではないかと。オレンジを握りつぶすことから爆縮方式が考え出されました。 プルトニウムを周囲から圧縮して爆発させる「爆縮」の理論を説明するタックスやフックスは、他の科学者を魅了しました。 ロスアラモスの連中はうんと若い二十代前半の者が多く、平均年齢は26歳でした。そしてイ

          第139回 爆縮方式の発明

          第138回 マイトナーの煩悶

          フリッシュは渡米前にストックホルムにいる叔母、リーゼ・マイトナーに電話をしました。 「叔母さんもアメリカに来て原爆開発を一緒にやらない?」 マイトナーは驚いて答えました。 「私はそんな殺人兵器を造る気はないわ」 「どうして?ナチスが先に造ったらユダヤ人が全員殺されてしまうんだよ。それに僕たちが発見した核分裂が基礎になっているという話だし・・・」 「ロベルト。残念だけど私は原爆ができない事を祈るわ」 「・・そうかい。叔母さん、それじゃ元気で」 そう言ってフリッシュは短い電話を切

          第138回 マイトナーの煩悶

          第137回 クラウス・フックス

          テヘラン会談の中で、ソ連は日本に参戦したら満州、特に大連や旅順を貰い受ける事を密約されました。しかしスターリンは隙あらばもっと領土を獲得しようと思っていました。 1943年11月、原爆開発を急ぐチャーチルは、イギリスからパイエルスを中心に有能な科学者をロスアラモスに派遣しました。ロスアラモスは若手が多かったので中堅所の科学者を見て憧れました。 他にはオットー・フリッシュ(リーゼ・マイトナーの甥)、爆発にかなりの知識を持つジェームズ・タック、そして秘かにソ連に機密を流しているク

          第137回 クラウス・フックス

          第66回 和泉式部と「夕顔」執筆

          寛弘6(1009)年4月、前月の頼通の婚礼に続いてまた慶事で道長一家は湧きました。何と中宮彰子に二度目の懐妊が分かったのです。 「昨年9月に皇子様が生まれた所なのに」 道長は喜びを隠せません。 ところが香子に冷水を浴びせる様な事が起こりました。 敦道親王と情熱的な恋を展開していた大江の女が中宮付きの女房として入ってくるというのです。更に倫子付きの赤染衛門も同様に中宮付きになるという事でした。二人は義理の叔母姪です。 大江の女は和泉式部と名付けられ、その美貌、妖艶さで一気に中宮

          第66回 和泉式部と「夕顔」執筆

          最終回 平家は永遠に!

          清盛の死の翌日、自身への追捕が無い事を確認して、後白河法皇は法住持殿に戻ってきました。そして終日、得意の今様乱舞の音曲が鳴りやみませんでした。 平家の棟梁である宗盛は苦言を呈する事もできませんでした。そして後白河法皇は陰から平家追い落としのため、各地の源氏に手を回します。 寿永2(1183)年5月、北陸の義仲を討つために宗盛は十万の兵を差し向けました。しかし義仲の巧妙な作戦に、暗い中を崖に転落死する者が続出。都に帰還できたのは七千人ほどでした。 「一旦都を落ちねばなるまい」し

          最終回 平家は永遠に!

          第136回 最初の三巨頭会談

          1943年11月、ローズベルト、チャーチル、蔣介石のメンバーでカイロ会談が行われました。 チャーチルは蔣介石を信用していませんでした。アメリカから多額の資金を応援して貰いながら、ほとんど私財に流用しているという情報がありました。 「あれでは中国を任せられない。人望がないから人民も付いてくるまい」 カイロ会談が終わって2日後、今度はイランのテヘランに場所を移し、蔣介石の代わりにスターリンが入りました。 チャーチルとスターリンは、ドイツの扱いについて激突しました。 スターリンは

          第136回 最初の三巨頭会談

          第169回 清盛の死(3)

          次第に意識が遠のいていく清盛を、妻の時子と忠臣の盛国が必死で看病しました。そこは盛国の邸でした。 「殿、この盛国、死しても平家をお守りいたします」 「嬉しいぞ、盛国」 六十九歳の盛国は平伏して感涙しました。 閏2月4日、朝方に死を予感した清盛は、後白河法皇に宗盛を宜しく頼みますという使いを送りました。しかしいくら待っても使者は帰ってきません。後白河法皇は不測の事態に備えて行方をくらましていたのです。 戌(いぬ)の刻(午後十時)になってついに清盛は我慢の限界を超えました。 「

          第169回 清盛の死(3)