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第66回 和泉式部と「夕顔」執筆

寛弘6(1009)年4月、前月の頼通の婚礼に続いてまた慶事で道長一家は湧きました。何と中宮彰子に二度目の懐妊が分かったのです。
「昨年9月に皇子様が生まれた所なのに」
道長は喜びを隠せません。
ところが香子に冷水を浴びせる様な事が起こりました。
敦道親王と情熱的な恋を展開していた大江の女が中宮付きの女房として入ってくるというのです。更に倫子付きの赤染衛門も同様に中宮付きになるという事でした。二人は義理の叔母姪です。
大江の女は和泉式部と名付けられ、その美貌、妖艶さで一気に中宮御所の花形となりました。香子は倫子が自分に刺客を差し向けたのだと分かりました。
『源氏物語』の作者にして道長の愛人。鉄壁ともいえる香子の牙城を崩しにかかったのです。
「負けないわ」
そんな香子でしたが、7月に何と娘を婚礼させたばかりの具平(ともひら)親王が46歳で急死したとの報を受けました。
「これであれを物語にできるわ」
もう15年前の事ですが、具平親王は香子の義理の叔母、大顔が夜急死した時にその処理を全部父為時や従兄の伊祐に任せきりだったのです。具平親王が存命中はさすがに物語にできませんでしたが、今「夕顔」として執筆できる事になりました。ついでに自身の道長との事を書いた「空蟬」そしてそれをまとめた「帚木三帖」として公表する事にして、また「紫式部」の存在感を示したのでした。

※どうしても前作『源氏物語誕生の秘話』と重複してしまい悩んでいます。一度中断して再考したいと思います。有難うございました。

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