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2 なんちゃって図像学 桐壺の巻(2)


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4 帝の御渡りに伴われる若宮

帝はお妃方にお渡りの時にも若宮をお連れになります。
若宮が8歳の時に桐壺更衣に面影の似た藤壺宮をお迎えになりました。
母に似ているという人を御簾の中で間近に見るうちに、若宮は藤壺宮を慕うことになります。

≪立派な源氏物語図 『桐壺』帝の御渡りに伴われる若宮≫

🌷🌷🌷『帝の御渡りに伴われる若宮』の場の 目印 の 札 を並べてみた ▼


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5 源氏の 元服 と 臣籍降下

臣下に降ろし頼もしい舅に後見を託すという帝の御叡慮が定まり、
若宮12歳の時に、元服と共に源氏に賜姓降下おさせになりました。
式の会場は皇太子の時には紫宸殿でしたが、若宮の元服式は清涼殿の東廂です。
御前に源氏と加冠役の左大臣の席が設けられ、理髪係は大蔵卿です。

≪立派な源氏物語図 『桐壺』源氏の元服と臣籍降下≫

🌷🌷🌷『源氏の元服と臣籍降下』の場の 目印 の 札 を並べてみた ▼

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6 左大臣への御衣御下賜

帝の思召しもあり、左大臣は春宮側の誘いを断り、源氏を婿に迎える決意をしています。
加冠の労に対し左大臣は御衣御盃を賜りますが、その折に、帝は左大臣に源氏との婚約の御念押しをなさいました。

≪立派な源氏物語図 『桐壺』左大臣への御衣御下賜≫

🌷🌷🌷 『左大臣への御衣御下賜』の場の 目印 の 札 を並べてみた ▼

📌 左大臣への御衣の御下賜の場面では、
いろいろな要素を一枚の絵に盛り込んでいるのでしょうが、原文通りに読めば、左大臣が御衣を賜るのは式後の帝の御私室なので、
・童形の源氏が同席していることはなく、
・帝は御倚子ではなく、繧繝縁の畳に茵を置いた昼御座におられるような気がします。
・群臣は侍所の宴席にいるように読めるのですが、昼御座の外の廂に群臣が戻ってきているということもあるのでしょうか。
・私的には御帳台におられることもあるようなのですが、命婦に命じて左大臣に禄を取らせるのはやや公的なことでしょうから、御帳台ではなく昼御座におられるのでないかという気がします。
・左に黄色い獅子、右に角のある白の狛犬の阿吽の置物は、御帳台の前に置かれたそうなので、御倚子の両側にこの像があることはないのではないかという気もしますが、どうなのでしょうか。

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7 御前から階を下がる左大臣

左大臣は清涼殿の端の長橋を下りて拝舞します。

≪『桐壺』御前から階を下がる左大臣≫

🌷🌷🌷『御前から階を下がる左大臣』の場の 目印 の 札 を並べてみた ▼

📌 御前から階を下がる左大臣の場面では、広廂での元服式は終わり、左大臣は儀式後の侍所での宴席から昼御座に召された後、長橋から降りて拝舞する、とあるので、広廂の帝の御倚子の正面の階から降りる構図は原文には即していません。
画家はもちろん承知で帝と左大臣と何なら童形の源氏まで一枚の絵に納めているのでしょうが。

📌 別稿に、この日の源氏と左大臣の動線図を描きました。

📌 原文とは違うが一枚の絵に収めるために、登場人物も建築の構造も位置も装束も変えているという約束事のようなことが歴史的に共有されているのかもしれません。

📌 『図像学的目印』としては、なるべく原文に即したものを抽出していきたいと思うのですが、『目印』の収集の所期の目的は、絵を見たら何の場面かわかるようになりたい ということですから、歴史的な変形も応用編として解けるようになれたらいいなと思います。

                        眞斗通つぐ美 

📌 まとめ

・元服前の源氏を後宮に伴う
https://twitter.com/Tokonatsu54/status/1710879997014237291?s=20
・元服式
https://x.com/Tokonatsu54/status/1710907688916537727?s=20
・御衣御下賜
https://x.com/Tokonatsu54/status/1710881793426223231?s=20
・階から御前を下る
https://x.com/Tokonatsu54/status/1710884841783513267?s=20


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