ほんとうは怖~い源氏物語(10)
光源氏というのは本名ではありません。「光り輝くような源氏の君」という意味で、帝の新しいキサキとなった藤壷が「輝く太陽のような宮」と呼ばれるのとセットになっています。
この二人、今の民法では義母と息子に当たります。この二人がただならぬ関係になって子をなすという筋立ては、テレビドラマやポルノでは珍しくもない設定です。が、「天皇一家」ということがすごいのです。
戦前の軍部が源氏物語の出版や芝居上演を禁じたのは、この点が問題だったからです。でも、平安時代にはこんなきわどいお話を一条天皇自ら楽しんで読んでいた!
これほど自由でおおらかな時代……は日本にはなかった……。
光は12歳で元服、左大臣家の姫君葵の上に婿入りします。今でいうと小学6年生の夫です!左大臣は娘を東宮に入内させようと思っていましたが、光と縁組させることにしたのです。
したたかな計算の末、帝に寵愛されている光と親戚になった方が自分に有利だと見たのです。この決断は尋常ではない。光は臣籍降下して源氏姓を名乗っている。絶対に天皇にはなれないはず。
なのに、なぜ、左大臣は光に賭けたのか。光の超人的な魅力が左大臣に何かを感じさせたとしかいえません。
光と葵は好きあっていたわけではない。互いにそっぽを向いている。光は左大臣家に婿として通うこともろくにしない。父帝が光を手放さないのです。帝の息子への溺愛、尋常ではありません。ほとんど同性愛です。
源氏物語には男同士の同性愛をにおわせる箇所が数多く見られます。同性愛は決して非難されることではなかったのです。
息子が藤壷に熱い恋心を向けていることに気付いているのかいないのか、帝は3人で管弦の遊びなど催して日々を過ごしています……。
光は亡き更衣の御殿には前から仕えていた女房達を住まわせ、実家の二条の屋敷はきちんと修理し整え、日夜、空想にふけります。
ああ、ここに藤壷さまみたいな女性を住まわせて、妻にして、朝な夕な眺めていたいなあ
かかる所に、思うふやうならむ人を据えて住まばやとのみ、嘆かしう思しわたる。
そして、桐壷の巻は終わります。
ここに大きな謎が残ります。
帝は息子の藤壷への禁断の思いを知っていたのか。まったく知らずに妻を息子に寝取られたのか。藤壷と息子の子を、自分の子、と信じていたのか。信じたふりをしていたのか。
肝心の藤壷は夫である帝を愛していたのか。作者はそのことに一言も触れていない。では、藤壷は光を愛していたのか。
当時のオンナたちは自分より身分の高いオトコには絶対に逆らえない。パワハラそのものの世界。自分の寝所にしのびこんできた光に逆らえるはずもない。声も上げられない。
実際、『花宴』の巻で光は朧月夜という女性にこう言います。
まろは、皆人に許されたれば、召し寄せたりとも、なんでふことかあらん。ただ忍びてこそ
「わたしは誰からも何も言われない身分です。人を呼んでもむだです。ただ静かにしていなさい」
何と恐ろしい!パワハラなんてもんじゃない。犯罪です!
紫式部は冷徹にこの時代の身分関係を見据えていた。雅に静かに激しく、光源氏なるオトコの言葉として、この時代の惨さをえぐりだしている。
紫式部の「まなざし」の鋭さが、この物語を単なる古いお話ではない、今に生きる物語にしているのです。権力の恐ろしさをひしひしと伝えているのです。(完)
次回は「2千円札の秘密』を一回読みきりでご紹介いたします。
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