長谷川美智子
身近にある生活の場、ショッピングモール。そこで交錯する様々な人々の人生。そのささやかな喜びと哀感を描きました。
老後の資金を投資詐欺で失った人々の話
草を愛する夫と妻の戦い。
手作りの平安衣装遠き日々(長谷川) 手作りの人形に手作りの衣装。 裁縫上手の生徒が作ってくれた。 20年ほど前のこと……。 青山教室の生徒さんだった。 革細工が得意で私と生徒さん全員に革のトートバッグを作ってくれた。 あのころ、80歳を過ぎていたと思う。 彼女のその後を私は知らない。 長い人生から見ればほんの一瞬の触れ合いだったのだろうが、 きらめく宝石のような一瞬だった。 捨てられぬ友の手作り今朝の冬(長谷川) 終わり
野に咲きし日々もありしをラベンダー(長谷川) ラベンダーは精神の安定に効果があるとか。 ドライにされていても 微かな香りを漂わせている。 香水に、芳香剤にと、その身を人に捧げるラベンダー。 三月に卵巣がんを摘出してからはや幾月、 私を見守ってくれた。 心が荒立つ日々も、心が病む日々も、悲しむ日々も 見守ってくれた。 このラベンダーは 友からのプレゼント、 どれほどの想いがこもっていたか。 それなのに、私は友から離れた。 抗がん剤でボロボロになった心と体には 誰
俳句、やってみよう。 続けてみよう。 続けることに意味がある。 5・7・5なら続けられそう。 短いし、体力も要らない。 頭が機能している限り 続けてみよう。 何かを続けないと馬鹿になる。 真剣にそう思った。 『俳句歳時記』を開き、 『童謡歌集』を開き、 何よりも『俳句帳面』を作った。 何かを続けるにはまず形を整えることだ。 コンビニで買った素朴な雰囲気のノートに 精魂込めて 『俳句』という文字を書きました! この場で宣言した以上、 三日坊主で終わってはならぬ。
シクラメン一枚の葉からよみがえり(長谷川) 元気のない、弱弱しい、小さなシクラメンを花屋の店主が観葉植物のおまけにつけてくれた。 机に飾っていたが、すっかり枯れてしまった。 根元に小さな緑色の葉が一枚。 室内咲きだから無理かなとは思ったが、 門の前の日当たりのよいところに出しておいた。 ダメ元で、と……。 それが一か月たらずでこんなにたくさんの花をつけた。 植物の生命力はすごい。 大切に手をかけられたものより 打ち捨てられていたほうがたくましく成長することはよくあるそ
近所のUさんに誘われてその辺をドライブ。 「中古のおもちゃ屋」さんを見つけ立ち寄りました。 そこで出会ったのが写真のニャンコ。 中古といっても全然汚れていなくて、 大きくて抱き心地が良くて 何より表情が愛らしくて買ってしまいました。 480円です~ 抱き枕にしたり、 横に置いて 一緒に寝ています。 リュックにぶら下げて いっしょに出かけるには 大きすぎるので 家の中でお留守番してもらっています。 猫を飼っていた日々、 私は若くて元気いっぱいで ものすごく忙しくて…
白菜の重さ確かむ我が双手(長谷川) 冬の朝。 近所の農家前に白菜が置かれていた。 袋に入って二個100円。 迷わずゲット。 帰り路が重かったが。 なんのこれしき。 地中海辺りで生まれ世界中を巡り巡って、 シルクロードを経て幕末に日本にやってきたという。 chinese cabbageという名前にも白菜の歴史が感じられる。 台所に立つ。 どう料理しようか。 まずは、 根元の白い部分は千切りに、葉の淡い緑の部分は 汁物に。 煮物、浅漬け、サラダ、 何にでも使える白菜。
柿の木に遊ぶカラスや冬夕焼け(長谷川作) 近所の農家に大きな柿の木が立っている。 地主さんもいつごろから立っているのか知らないという。 柿の木は枝を大きく四方に広げ、たわわに実をつけている。 庭の植物は人間に管理され育てられているのに 柿の木は野生のまま、 勝手に生きている。 地主さんは柿の木を伐採はしない。 昔、旅人が自由に食べられるように柿は 実を取らず、そのままにしていたと言い伝えられている。 人は柿を大切にしてきたのだ。 この辺りには古くからの農家が多く、
英会話学校のすぐそばに易者のコーナーがある。 ウィリアムの授業まで時間があったのでふと立ち寄った。 「千円分占ってください」 優しい顔立ちの易者さん、 「何を占いましょうか」 「異性運。恋愛とかなんとかではなくて 私に関わる異性運を知りたいので」 「タロットで占ってみましょう」 彼は様々な絵のカードをずらりと並べ、 「こんなに良いカードがそろって出ることはめったにありません。 素晴らしい男性があなたを遠くで見守っています」 なんて素敵な運勢……。 「崖っぷちにぶら下がっ
秋うららおしろい花のみ繁き庭 (長谷川作) 子供のころ、 大勢でにぎやかに遊ぶのが 苦手だった。 あまりにおとなしかったので そこに居ることさえ 忘れられた。 そんな子供。 おしろい花で 爪を染め 一人で遊んでいる そんな子供。 そのころは、 朝鮮朝顔と呼んでいた 記憶がある。 きっと朝鮮由来の花なんだ。 そんな花。 今、庭はおしろい花の天下。 たくましい 短い命が 露に濡れ輝いている。 おわり
あわただしく訪れ あわただしく帰る娘と 駅前のファミレスで朝食。 旅行でもないのに 外での朝食は 初めての経験。 10時半までの朝食はサービス価格。 トッピングにあんこを乗せたパンは 美味しかった。 私の青春時代の話、 就職氷河期世代の娘の決心など 話題は尽きない。 ハンサムなウィリアムに英語を習っている話をすると 娘は目を輝かせ、 「お母さん、ずっと習い続けたら?ジェームスに」 「ジェームスじゃない。ウィリアム」 「ジェ……ウィリアムは見てくれだけでも価値ある先生?
冬瓜や畑に横たふ小六月(長谷川作) 冬瓜が近所の空き地に転がっていた。 乾ききって 石のような姿で。 「お好きな方、どうぞ」 と書いた張り紙が 遠くに吹き飛ばされていた。 冬瓜を食べたかすかな記憶がよみがえる。 大きく輪切りにして砂糖醤油で似た。 おしゃれな料理とは似ても似つかない 田舎料理。 はっきり言うと あまり好きではなかった。 冬瓜は 石のように ただ横たわっていた。 戦い終えた戦士のように。 おわり
近所の友人にドライブに連れていってもらいました。 車を手放し、ドライブとは縁のない(車があるころも近所しか運転できませんでしたが)生活をしている私。 免許はあるけれどもう長らく運転していないので、代わることもできず、寝そべっているだけ、 関東平野を ただただ走り 着いたは栃木の益子。 道の駅でレモン牛乳、 人気のない静かな境内で 大きな不動明王を拝顔。 レモンかりんとうとバナナかりんとうを お土産にゲット。 ああ、腹が空いた……! お寿司屋を捜せで捜せど、お寿司屋はな
生きることは食べること。 面倒でも食べなければならない。 今、食欲旺盛。モリモリ食べている。 トップ写真のようなごはんが定番。 健康とかなんとか考えることなく ご飯を食べていた子供時代。 茹で卵がご馳走だったあのころ。 終戦っ子が何とか生き延びて 「子ども」になったあのころ 「ご飯を残すとバチが当たる」 と言われていたあのころ。 今、戦乱の地の人たちは 三度の食事にも事欠いている。 健康に良いと言われるご飯を食べるたびに 思う。 贅沢すぎか……と。 健康食選
冬うらら空き地の主はまんじゅしゃげ 長谷川作 空き地に曼珠沙華の群。 庭の花にはない 野生の猛々しさ。 曼珠沙華は嫌われる。 庭に咲かせてはいけないと言われる。 観光公園は別にして。 そんな人間たちの思惑など知らぬと 空き地を占拠、 堂々と咲いている。 天に向かって伸びている。 、
朝寒しカボチャだけ居る台所 「南瓜」と書くのと「かぼちゃ」「カボチャ」と書くのでは イメージが違う。 「かぼちゃ」「カボチャ」は あ、そうだね、 としか感じないが、 「南瓜」と書くと、 南瓜の孤独が伝わってくる、 ような気がする。 私の持っていた『俳句歳時記』には 「かぼちゃ」は出ていなかった。 古語辞典の『季語一覧表』にもなかった。 昭和34年発行の国語辞典には、ああ、出ていた! 『うり科の一年生植物で唐なすと呼び、ポルトガル語の『カンボジア』からカボチャとなったと
冬日向カラスは護る己の陣 カラスは己の陣を守る。 生きることは陣取り合戦。 敗けたら生きてゆけぬ。 陣を取ったら動いてはならぬ。 カラスは己の陣を決して動かない。 ヒトも己の陣を守る。 生きることは陣取り合戦。 カラスもヒトも 成りをひそめ 逆らわず 主張せず 己の存在を消した者が 生き延びる。 地球はすべてガラパコス。