読書、時々ガンプラ

note内では記名をしていませんが、歴史講座を担当されている方の、講座内容を代理でアッ…

読書、時々ガンプラ

note内では記名をしていませんが、歴史講座を担当されている方の、講座内容を代理でアップしていきます。 大河ドラマに基本的には合わせている内容と講座になります。

最近の記事

「書道・絵画の歴史」について

第百六十七回 サロン中山「歴史講座」 令和六年8月12日 瀧 義隆 令和六年NHK大河ドラマ「光る君へ」の時代 歴史講座のメインテーマ「王朝文化(平安時代)の探求」 今回のテーマ「書道・絵画の歴史」について はじめにNHK大河ドラマ「光る君へ」では、主人公の「まひろ(紫式部)」が「和歌」を誠に達筆な字で和紙に「書」を認めているが、この裏面には平安時代に急激に広まった「ひらかな」・「カタカナ」の発明が存在している。この事により、宮廷の女性達にも「ひらかな」・「カタカナ」を

    • 歌・舞踊の歴史

      第百六十六回 サロン中山「歴史講座」 令和六年7月8日 瀧 義隆 令和六年NHK大河ドラマ「光る君へ」の時代 歴史講座のメインテーマ「王朝文化(平安時代)の探求」 今回のテーマ「歌・舞踊の歴史」について はじめに大河ドラマ「光る君へ」で、主人公の「まひろ」は、平安の貴族の男性には、目を付けた女性の気を引く手段として、「歌」を贈る習わしであったが、自分で「歌」を造れない男は、誰かに「歌」を造って代筆してもらう他になく、その「歌造り」と代筆を「まひろ」は職業にして代金を稼い

      • 香道・花道の歴史

        第百六十五回 サロン中山「歴史講座」 令和六年6月10日 瀧義 隆 令和六年NHK大河ドラマ「光る君へ」の時代 歴史講座のメインテーマ「王朝文化(平安時代)の探求」 今回のテーマ「香道・花道の歴史」について はじめに大河ドラマ「光る君へ」で、主人公の「まひろ」は、平安の貴族の男性には、目を付けた女性の気を引く手段として、「歌」を贈る習わしであったが、自分で「歌」を造れない男は、誰かに「歌」を造って代筆してもらう他になく、その「歌造り」と代筆を「まひろ」は職業にして代金を

        • 藤原氏の栄枯盛衰

          第百六十四回 サロン中山「歴史講座」 令和六年5月13日 瀧 義隆 令和六年NHK大河ドラマ「光る君へ」の時代 歴史講座のメインテーマ「王朝文化(平安時代)の探求」 今回のテーマ「藤原氏の栄枯盛衰」について はじめに大河ドラマ「光る君へ」では、「まひろ(紫式部)」の恋人であった「藤原道長」は、紫式部の創作する『源氏物語』の主人公である「光源氏」のモデルとなっており、無類のプレイボーイで、次々と女性 を渡り歩く「とんでもない男」である。(一説には、光源氏のモデルは、平安初

        「書道・絵画の歴史」について

          「陰陽道」について

          第百六十三回 サロン中山「歴史講座」 令和六年4月8日 瀧 義隆 令和六年NHK大河ドラマ「光る君へ」の時代 歴史講座のメインテーマ「王朝文化(平安時代)の探求」 今回のテーマ「陰陽道」について はじめに国政を担う政治家は、古代の「帝(みかど)」や公卿達、そして現在の政治家達においても、多くの疑問や「迷い」を抱えて「どうすれば良いか?」と、色々迷ったり悩んだり、また自信喪失に陥ったりして、その不安から脱却する為に、「何か」に縋らざるを得ない事も多くあるのではないだろうか

          「陰陽道」について

          平安京の暮らし

          第百六十一回 サロン中山「歴史講座」 令和六年3月11日 瀧 義隆 令和六年NHK大河ドラマ「光る君へ」の時代 歴史講座のメインテーマ「王朝文化(平安時代)の探求」 今回のテーマ「平安京の暮らし」について はじめに大河ドラマ「光る君へ」で描かれる「平安京」は、男女の煌かな衣装や宮殿の装飾等を見ると、誠に美しい「平安」な絵巻物そのままの「京世界」を想像するが、現在、「平安京」に関する各種の研究書を調べてみると、「平安京」は必ずしも優美な都市社会ではなかった、とされている。

          平安の幕開け

          第百六十回 サロン中山「歴史講座」 令和六年2月12日 瀧 義隆 令和六年NHK大河ドラマ「光る君へ」の時代 歴史講座のメインテーマ「王朝文化(平安時代)の探求」 今回のテーマ「平安の幕開け」 はじめに「平安時代」とは、令和六年の現在からすると、約1,230年以前の時代であり、王朝中心の社会体制下にあって、ごく一部の貴族達が「煌びやか」に暮らす特殊な時代であった、と見ることが出来るのである。 今回の「歴史講座」では、このような「煌びやか」に見える「平安時代」が「どのよ

          「紫式部」について

          第百五十九回 サロン中山「歴史講座」 令和六年1月8日 瀧 義隆 令和六年NHK大河ドラマ「光る君へ」の時代 歴史講座のメインテーマ「王朝文化(平安時代)の探求」 今回のテーマ「紫式部」について はじめに大河ドラマ「光る君へ」の原作者は、脚本家の「大石 静」氏であるが、「主人公」の名前を「まひろ」としており、『源氏物語』を創作した「紫式部」を主人公にして、平安時代の王朝貴族達の宮廷生活をストーリーとする時代小説である。この一年の「歴史講座」では、紫式部の生存していた平安

          「紫式部」について

          晩年の家康

          第百五十八回 サロン中山「歴史講座」 令和五年11月13日 瀧 義隆 令和五年NHK大河ドラマ「どうする家康」の時代 歴史講座のメインテーマ「徳川家康の人生模様を考察する。」 今回のテーマ「晩年の家康」 はじめに慶長十年(1605)四月十六日、家康は「征夷大将軍」の地位を、徳川秀忠に譲位して、自らは「大御所」となって、「江戸城」から「駿府城」に移住して隠居生活に入ったが、実際は徳川政権の実権を掌握したままで、勢力的に活動を維持していた。 人間、いかに貴人であっても、名も

          豊臣氏の滅亡

          第百五十七回 サロン中山「歴史講座」 令和五年10月9日 瀧 義隆 令和五年NHK大河ドラマ「どうする家康」の時代 歴史講座のメインテーマ「徳川家康の人生模様を考察する。」 今回のテーマ「豊臣氏の滅亡」について はじめに徳川家康は、「大御所」となって、名目上は隠居生活に入り、日々安楽な生活となっているように見えるが、その実は、「目の上のタンコブ」となる大きな障害物が存在していた。それは、亡き豊臣秀吉の遺児である豊臣秀頼の存在であった。京都の朝廷の「目と鼻の先」に、かつて

          大御所政治の始まり

          第百五十六回 サロン中山「歴史講座」 令和五年9月18日 瀧 義隆 令和五年NHK大河ドラマ「どうする家康」の時代 歴史講座のメインテーマ「徳川家康の人生模様を考察する。」 今回のテーマ「大御所政治の始まり」 はじめに徳川家康は、慶長八年(1603)に「征夷大将軍」に補任されて、正式に天下の権力者となったが、家康には深慮遠望の施策として、徳川氏の「天下の権力者」を独占し続ける為に、僅か二年後の慶長十年(1605)に、「征夷大将軍」を家康の次男の徳川秀忠に譲位して、自らは

          大御所政治の始まり

          徳川家康の外交

          第百五十一回 サロン中山「歴史講座」 令和五年7月10日 瀧 義隆 令和五年NHK大河ドラマ「どうする家康」の時代 歴史講座のメインテーマ「徳川家康の人生模様を考察する。」 今回のテーマ「徳川家康の外交」とは はじめに徳川家康は、織田信長や豊臣秀吉との関係に、苦労の連続の中、「耐えに耐えたうえ」で、ようようにして「天下人」となったが、「天下」を手に入れる事は、その視野を国の内にだけ向けていられるわけではない。日本は周囲を海に囲まれた細長い列島である。周辺には中国や蒙古(

          江戸幕府の成立

          第百五十四回 サロン中山「歴史講座」 令和五年6月5日 瀧 義隆 令和五年NHK大河ドラマ「どうする家康」の時代 メインテーマ「徳川家康の人間模様を考察する。」について 今回のテーマ「江戸幕府の成立」について はじめに江戸時代後期の、平戸藩主であった、松浦静山が著した随筆の『甲子夜話』に書かれた 織田信長・・・「鳴かぬなら、殺してしまへ、ホトトギス。」 豊臣秀吉・・・「鳴かずとも、なかして見せふ、ホトトギス。」 徳川家康・・・「鳴かぬなら、鳴くまで待てよ、ホトトギス。」

          豊臣氏の衰退と家康の台頭

          第百五十一回 サロン中山「歴史講座」 令和五年5月8日 瀧 義隆 令和五年NHK大河ドラマ「どうする家康」の時代 歴史講座のメインテーマ「徳川家康の人生模様を考察する。」 今回のテーマ「豊臣氏の衰退と家康の台頭」については はじめに慶長三年(1598)八月十八日に、豊臣秀吉がこの世を去ると、徳川家康には「天下取り」の最大のチャンスが再来する。本来、織田信長の急死後は天下は家康のものと目論んでいたものを、豊臣秀吉に横取りされてしまい、苦汁の中に豊臣政権を支えていたが、その

          豊臣氏の衰退と家康の台頭

          「豊臣秀吉時代と家康」について

          第百五十二回 サロン中山「歴史講座」 令和五年4月10日 瀧 義隆 令和五年NHK大河ドラマ「どうする家康」の時代 メインテーマ「徳川家康の人間模様を考察する。」について 今回のテーマ「豊臣秀吉時代と家康」について はじめに織田信長の急死によって、次の「天下人」を狙う武将として明智光秀が主導権を握ったかに見えたが、それもつかの間、織田家の後継者争いとも兼ねあって、世情の混乱を巧みに利用し、徳川家康のライバルとして出現したのが、織田信長の一武将にすぎなかった、羽柴秀吉(後

          「豊臣秀吉時代と家康」について

          織田信長時代の家康

          第百五十一回 サロン中山「歴史講座」 令和五年3月13日 瀧 義隆 令和五年NHK大河ドラマ「どうする家康」の時代 歴史講座のメインテーマ「徳川家康の人生模様を考察する。」 今回のテーマ「織田信長時代の家康」について はじめに永禄五年(1562)に「清洲同盟」を締結して後、家康は以後21年間にわたり、織田信長とは主従関係ではないものの、どちらかと言えば「従属(じゅうぞく)的」な関係の仲にあったのではないか?と考えられている。織田信長についての様々な書籍を参考にすると、信

          織田信長時代の家康