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阿蘇大宮司家元服の社 男成神社のヤマブキソウ

こんにちは。昨日はずっと見たいと思っていた男成神社(熊本県山都町)のヤマブキソウが見頃を迎えたとの情報を得たので、早速行ってきました!宇城市散策シリーズが途中で止まったまま脱線しまくってますが、お花の記事は鮮度が命なので、今回はヤマブキソウ(山吹草)メインでレポート記事を書きたいと思います。

今日の散策地はここ!

とは言っても、やはりヤマブキソウだけでなく、史跡(神社)や郷土史についても少し書きたいので、まずは男成神社と阿蘇氏(阿蘇大宮司家)について軽く説明したあと、男成神社レポート→最後にヤマブキソウレポートという構成にしたいと思います💡ヤマブキソウのみ見たいよ、という方は目次からヤマブキソウの項に飛んで頂ければと思います。

男成神社と阿蘇大宮司家について


男成神社は阿蘇山の南方・熊本県上益城郡山都町に鎮座しています。舒明天皇の12年(640年)、阿蘇大宮司によって阿蘇神社の分社として造られた神社で、主祭神は天照皇大神 神武天皇 神八井耳命(カミヤイミミノミコト)。男成という社名の由来は、貞応元年(1222年)当時の当主・阿蘇惟次が、長男の惟義の加冠元服の式をこの神社の神前で行い、以来、代々阿蘇氏がここで元服の式を行っていたことによります。

男成神社を造った阿蘇氏(大宮司)は、中世肥後において菊池氏と並ぶ雄族で、南北朝時代、九州に下向した南朝の征西将軍宮(懐良親王)一行は最初は菊池氏よりも阿蘇氏を頼りにしていたほどです。阿蘇氏は南北朝時代に南朝方と北朝方に分裂し、その後も北朝系大宮司と南朝系大宮司の対立が長く続くことになりますが、男成神社のある山都町一帯は北朝系大宮司が本拠としていたようです。なので、男成神社で代々元服の儀を執り行っていたのは北朝系の当主のみかもしれません。(阿蘇氏についてはまだ詳しく調べきれてないので、はっきりとは分かりませんが。。阿蘇氏についてはいずれ九州南北朝の史跡巡りシリーズで取り上げてまとめたいと思っています。)

それにしても、神官豪族・阿蘇氏歴代の当主が元服の儀式をしていた神社なんて、カッコいいですよね💓因みに男成神社の歴史的エピソードはそれだけではなく、熊本県公式観光サイトによると、西南戦争の際には、政府軍に敗れた薩摩軍が山都町に撤退してきた時、男成神社で戦争犠牲者の招魂祭が行われたそうです。(神社のある山都町は、熊本市から宮崎県延岡市に通じる日向往還の途中に位置しています。)またここで薩摩軍の隊の編成が行われ、千人近くが集まっていたとのこと。男成神社境内で酒を酌み交わし、士気を高めて一夜の野宿をしたと推測され、薩摩軍に呼応して戦った熊本隊隊士の日記に以下の歌が残っているそうです。

駒とめて拂うも惜しく散る花に
桜織りなすしたたれの袖

熊本県公式観光サイト ふるさと寺子屋 No.58 「男成神社」より

退却する薩摩軍が山都町に本営を移したのは、1877年4月20日だったので、丁度桜花爛漫の時期だったんでしょうね🌸(温暖化が進んだ現在では、熊本の桜の満開時期は3月末ですが。)

さて今回も前置きが長くなってしまいましたが、早速散策レポートに移ります🏃‍♀️

男成神社

熊本から宮崎県延岡市に通じる国道218号を走っていると、左手に男成神社の大きな鳥居が見えてきますのでここから車で登ります↓

暫く茶畑→杉の山道へ続く細い一本道を進むと、杜の中に佇む男成神社に到着します↓

因みに、画像の左手前に5台程停められる駐車場あります。そして画像左手の杉の巨木群の下に、ヤマブキソウは自生しているのですが、項を改めて後ほどご紹介しますね。まずは鳥居をくぐり神社境内をレポートします。境内に続く石段手前の木製の鳥居をくぐろうとすると、風格のある扁額に目が止まります↓

記事を書こうと神社のHPを見ていたら、この扁額は、細川藩8代藩主重賢公の書と云われているそうです。どうりでオーラを感じたはずだ✨

石段を登ると、
千人の酒盛りができたのも納得な広い境内
拝殿でねんごろにお参りします🙏

因みにこの拝殿は、明治9年に建築されたものだそうです。天井画や絵馬も殆どが明治のものです。西南戦争があった年が明治10年ですから、薩摩軍と熊本隊の兵士がここに集結して酒盛りをやった時はこの拝殿がすでにあったんですね、うわ〜。

神社の東側は石段付きの立派な石垣があります。↓

お城みたいな立派な石垣。
石垣から南側を望む

男成神社は小高い山の上に位置していますし、この石垣、本当にお城みたいに立派だし、中世からいざという時の軍事拠点的な役割もあったのではないかなと妄想します。中世は山城が主流なので中世の石垣ではないでしょうが、西南戦争時にはあったっぽいですよね。敗走途中の薩摩軍がここに集結した際も、いつ政府軍が追撃してくるかわからない状況ですから、防戦態勢を整えるにも適した場所だったと思われます。

因みに東側の神社の入り口は高低差があり橋が架かっていて、切り通しっぽい細い道になっているんですよ↓ 山城の構造っぽいですよね?

それではいよいよ、季節限定の男成神社の見どころ、ヤマブキソウのレポートにうつります❣️
石垣横の道を南に進み、木製鳥居前に戻ります。

杉林の下一面に咲くヤマブキソウ

まず最初にヤマブキソウ(山吹草)の説明から。花の名前は山吹に似ていることが由来ですが、実際は別の種で、ケシ科の多年草。日本では、本州から九州に分布し、山野の明るい樹林地に群生します。花は5センチ前後で、4枚の花弁をつけます。※因みに絶滅の恐れが危惧されている種だそうです。
ヤマブキソウは男成神社の境内にある斜面に昔から群生しているそうですよ。それでは早速行って見ましょう❣️

鳥居向かって左手、人が丁度登ってきているところから杉林の中に降ります。
うわぁ、綺麗!斜面一面に山吹草が群生しています。
ヤマブキソウのアップ
花弁は光沢があってツルツルしている。よく見るとまるでラメを散りばめたようにキラキラしています。
斜面下側を望んだ図。息を呑む美しさ

杉の大木の間から降り注ぐ木漏れ日に輝く一面のヤマブキソウ。言葉に出来ないほど美しく幻想的な世界が広がっています。そして聞こえるのは風に揺れる木々のサワサワという音と、木立にこだまする鳥の鳴き声のみ。私最近、新年度だからというわけではないのですが、これから色々環境が変わるので不安でモヤモヤした気持ちだったのですが、この山吹草の群生地を歩いている間は、まるで異世界に誘われたようで現実を忘れることができました✨そして、杉の巨木の翁達から、「お主の悩みなど大したことないわ、はーっはっは。」と笑われている気分になりました笑 やっぱり、気分が落ち込んだ時は、史跡と自然のある場所で癒されるのが一番ですね!

斜面下側から上方を望んだ図

因みに今思ったんですが、私が今回訪れたのは、4/21‼️なんと、西南戦争時薩摩軍が山都町に本営を設置していた数日間と被っているではありませんか〜😳もしかしたらここに駐屯していた薩摩軍兵士達も、満開の桜とともにこの一面のヤマブキソウを目にしていたかもしれませんね。ジーン。。

あとがき

男成神社のヤマブキソウは是非見たいと前々から思っていたので、今年時期を逃さず見に行けて良かったです。そして、個人的には男成神社周辺は熊本でも有数のパワースポットだと感じました。このパワースポット感は神社の神様の力なのか、周りの自然の力なのか、はたまた歴代ここで元服した阿蘇氏当主の決意と願いがこもっているからなのか。多分すべてひっくるめてのパワー、オーラなんでしょうね✨その証拠に?帰って鏡を見てビックリ❗️10歳くらい若返ったような顔のハリ艶でした😳エステより効果的笑(※個人の感想です。)男成神社は、心身の癒しと若返りのために、1ヶ月に1回くらい通いたいと思う神社さんでした。

【参考文献・HP】
・熊本県公式観光サイト
・男成神社ホームページ
・柳田快明『中世の阿蘇社と阿蘇氏』戎光祥出版 2019年

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