家族の誰かが大変な時。寄り添うのは大切だし、必要。でも、それは相手の望む形に100%合わせるという事ではない。大変なことは、きっと落ち着くまでには時間を必要とすること。だからこそ、相手の『感情』自分の『感情』に流されず、寄り添いつつ、『自分の今までの生活』を変えすぎない事が大事。
自分に何かがあった時。これから先、歳を重ねた時。 出来るだけ自力でやれる身体と心でありたいし、もしも助けを借りることになったとしても、気持ち良く助けて貰える人間になりたい。 家族だから当たり前、専門職だから当たり前、じゃない。
コミュニケーションにおいて、相手の言葉で嫌な気持ちになった時。その奥にある、本当に伝えたいこと、そんな言い方になってしまった理由に目を向けよう。 でも、嫌な気持ちを無理に消さなくていい。相手に寄り添う事も大切だけど、合わせすぎず、自分の気持ちも伝えていい。自分スタイルでいこう。
何も無いまっさらなのが⭕で、 何かがあるまっさらじゃないのが❌? 違うね。 そもそも、⭕も❌も存在しない。
変な話なんだけど昨日「漠然と嫌なこと」を書き留めてそれを淡々と分析してたら今日は何故かスッキリしてる、根本的な解決はしていないのに。これってつまり自分の中で実は解決しなくてもいい、尚且つ他人に話す必要までも無かったってコト…特に後者の発見には驚き。