セルフ認知行動療法と努力未遂

今日は2人早起きしたので、朝からファミレスに来ています。
9時半からは近くのプールに行くので時間つぶしも兼ねていますが、早起きしたら朝の清々しい空と風に当たれてとても気持ちがいいし明日は早起きしてファミレスに行こうねと昨日パートナーと話していたので、ちゃんと実現できてうれしいです。

さて、私は今もまだまだ人生の迷子です。
自分がどうしたいのか、何をしたいのか、目的が自分でさっぱりわかりません。

認知行動療法という治療法があるらしいので、紙に向かう時間があればセルフでなんとなくですがやってみています。
黒字でまずは思いのままに考えていることを書きなぐって、赤字や青字でなるべく客観的な意見を書き込みます。
今日のセルフ認知行動療法の様子はこちらです。

画像でかくて恥ずかしいな

今日はネガティブなことをよく書いたので、「そんなことないよ」とばかりにちょっとポジティブなことを赤字で書いていますね。
自分ではネガティブなほうが自然なので、赤字のポジティブっぽい言葉がちょっとあまりしっくりこないというか、こそばゆい感じがします。

ですが、ネガティブな気持ちを思いのままに書いている時は気持ちが沈んでしまっていたのですが、赤字で「そんなことないでしょ」と自分に語りかけると、不思議とちょっとだけ元気になれました。言葉の力って、きっとあるんだなと思います。言霊っていうのかな。

今日は「努力すること」について主に考えたようです。
頑張っていない自分を愛せないことへの不安感。
もはや努力しないと自分を愛せない、という寂しさ。
でも、努力って結局自分のため、自分を喜ばせるためのものだよね?と。本来は自分を苦しめるためのものではないし、そういう目的で努力がしたいと思っているわけではないよと、そして自分は自分で思っているよりずっと頑張っているんだよとまとめています。(まとまっているのか?)

私の努力は未遂で終わっている、と書いた時、自分ですごくしっくりきてしまいました。
ダイエットに関してならウォーキングが何日も行けていないとか、ジュースをちょっと多く飲んでしまうとか。
勉強に関してならそもそも勉強自体1カ月以上やってないとか。
出来てないことばかりが目について、出来てることは塵のように小さく感じてしまい、「今日も私はダメだった」と自分ですべてを失敗体験にしてしまうんです。
自分にマルをつけるかバツをつけるかの選択肢を用意して、マルをつけれる日はたいてい頑張りすぎているので翌日は死んでます。そしてその日はまたバツがつきます。
といった具合で変に自分に厳しいのかバランスが取れないおバカなのか、自分で自分の調子を上げたり機嫌をとったりということよりも自分をマルかバツかでジャッジすることに専念してきたなと思いました。グレーゾーンの日もあるでしょうし何もかも白か黒で分けれるほど単純ではないのにです。

その無駄にはっきりしたジャッジ癖が「努力未遂」という言葉と一緒にずっと自分にのしかかっていたのかもしれません。
努力の仕方もその成果も、もっと曖昧で、グラデーションのようでいいはずです。何より、そうでないとバツが続いてしまった時に自分が疲れ果ててしまうから。

未遂じゃない、出来ていることもちゃんとある、と認めることは、自分のありのままの姿を認めることにも似ています。
私は努力を通して、自分を愛する術も学んでいるのかもしれません。

また自分を愛するというテーマで記事を書いてみたいです。
それでは今日はこのへんで。
今日からは自分にマルとかバツとかつけないぞ!

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