ネガティヴな気持ちを言葉にした時に、内から言葉になって離れていくイメージで、とりあえず言葉にしてみたり、とりあえず気持ちを書き殴ることは心を客観視できるから、見えないものを見えるものにしてみる事って、よくある手法ではあるけれど、日記ってやっぱり大切だなあと思う。今更って感じだけど
願いにはそもそもポジもネガもなくてニュートラル。心から自然に出てきただけなのに、そこに思考が意味付けをして「難しい」「叶いにくい」などややこしくしているのではないか。今日また何気ない思いが当たり前のように現実化して、そう思いました。 不足感からの目標とか願望は話が違うのかも。