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自分の思い出

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弱った時に食べれたもの達

弱った時に食べれたもの達

私は比較的元気な人間だと思う。
食欲が落ちることは稀だ。
自分の人生を振り返って食べることが出来ない状態になった時のことを思い出してみた。

小学生の頃40度を超える熱を出した時、唯一飲めたのは母が作ってくれたすりおろし林檎だった。

55歳、子宮全摘の手術後に食べたいと思った食事は細いうどんだった。そして食べたいと思ったオヤツはおはぎだった。

退院後、夫に「あんみつ姫のおはぎが食べたい」とおね

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故郷

故郷

色々あって1年以上、里帰りしてなかった。
私の故郷は山に囲まれている。
子どもの頃は故郷の美しさを当たり前のように感じていた。特に若い頃は映画館がたくさんある東京に憧れていて、我が故郷の素晴らしさに気づいてなかった。

50歳を超えた頃から故郷に帰る度に、澄んだ空、そびえ立つ山々、気持ち良い風、満天の夜空の星、生き物達の声…大自然に囲まれて深い幸せを感じるようになった。

歳をとる度に幸せは益々深

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父のオートバイ🏍️

父のオートバイ🏍️

父は車の免許を持たずにオートバイに乗っていた。
小さい頃は父のオートバイの後ろに乗せて貰ってよくお出かけしていた。
東映まんがまつりの映画も父のオートバイに乗って観に行った。父はオートバイで送り迎えして、多分自分は違う映画を観に行ってたと思う。
映画を観た後、父の背中にしがみつき、アニメの主題歌を繰り返し歌いながら映画の感動にひたっていたのを鮮明に覚えている。
大学生の頃までは、父のオートバイに乗

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アンパンマンのマーチ

アンパンマンのマーチ

アンパンマンのマーチの歌詞を改めて読んでみた。
一番から三番まで全て感動!!
やなせたかしさんは天才だ。

そうだ うれしいんだ
生きるよろこび
たとえ 胸の傷がいたんでも

なんのために生まれて
なにをして 生きるのか
こたえられないなんて
そんなのは いやだ!
今を生きることで
熱い こころ 燃える
だから 君は いくんだ
ほほえんで
そうだ うれしいんだ
生きるよろこび
たとえ 胸の傷がいた

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走りが軽快になった!

走りが軽快になった!

最近近所のスーパーへ走って行くようにしている。
以前は走る足取りは重く、近所のスーパーまで休まず走り切ることが出来なかった。
今年の春から次男の指導のもと筋トレした成果として、近所のスーパーまでなら軽々走れるようになった。足取りも軽い。

過去に仕事で5kmと10kmマラソン大会に出たことがある。10km走って足の爪が真っ黒になって挫折した。

今ならハーフマラソン位なら出れる気がする。次男が治っ

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山芋アレルギーが完治した!?

山芋アレルギーが完治した!?

私が5歳の頃の話。
母は我が家の畑で収穫された山芋をすりおろし、「山芋は身体に良いよ」と言いながら私の前に置いた。
すりおろした山芋は白くてネバネバしていた。あまり食べたくなかったが食べてみた。全て吐いてしまった。

その日から私と山芋の闘いが始まった。
山芋を避けて生きて来たが、時々私は過ちを犯した。
和菓子や魚のすり身団子に潜む山芋。
ハムに包まれた山芋。
お好み焼きに混ぜられた山芋。
過ちを

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私の背骨を取り戻す!!

私の背骨を取り戻す!!

小学校の体力測定の項目の中で、私が一番得意な項目は「伏臥上体そらし」だった。
「伏臥上体そらし」はうつ伏せに寝た状態から、上半身をそらし、地面から顎までの長さを計る体力測定の項目のこと。

私が「伏臥上体そらし」をすると、先生や周りの同級生達が『おおお〜』と言うのが快感だった。

若い頃、筋トレする時は「伏臥上体そらし」もしていた。腹筋は弱かったが背筋は強いと密かに自負していた。

歳を重ねるにつ

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義父へのブラボー👏

義父へのブラボー👏

夫の父親(義父)は入院が耐えられない人だった。何回か大病や怪我をして入院した。よくある話だが、入院すると必ず認知症が出た。肋骨を骨折し入院した時は、2日目から帰ろうとしてベッドの柵を乗り越えようとした。危険なので、ベッドに縛りつけられた。その後も様々な抵抗を行った。1ヶ月の入院予定だったが、病院側も嫌になったのか1週間で退院することになった。

認知症のまま家に戻った義父との生活は大変だった。しか

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アスパラガスと絹さやえんどう

アスパラガスと絹さやえんどう

子どもの頃アスパラガスという野菜を食べたことがなかった。初めて食べたのがいつだったか?全く覚えていない。思い出はないが。私はアスパラガスが大好き。好きな理由はよく分からない。強いて言えば〝食感〟だろうか。

思い出と共に大好きな野菜もある。絹さやえんどう、そら豆などは母の思い出がいっぱいだ。子どもの頃、初夏が来ると毎日毎日絹さやえんどうとそら豆を甘辛く煮て卵でとじた料理が出てきた。懐かしい。

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心の翻訳機能

心の翻訳機能

「お子さん達、反抗期大変でしたか?」
若いママさん達に尋ねられることがある。
「反抗期あったかなあ?」と考える。

その話を聞いた長女は呆れて「反抗期むっちゃあっただろ。お母さんに結構ひどいこと言ってたよ。」と言って笑った。

確かに高校生の頃の長女はピリピリしていた。しかし、長女が私に対してひどい発言を言ったという記憶はない。

人は心とは違う言葉を発することがある。
私は長女がひどいと思う言葉

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私の色の恩人〝ろうそく夜のともちゃん〟

私の色の恩人〝ろうそく夜のともちゃん〟

2年前位、大好きな喫茶店ろうそく夜のともちゃんが「何故明るい性格なのに暗い色の服ばかり着てるの?」と私に尋ねてきた。

帰宅しクローゼットを開けた。黒、灰色、白、茶色…確かに暗い。

数日後、私はとにかく派手色のファッションで、ろうそく夜のともちゃんと会うことになった。箪笥の奥を探して黄色のパーカーを引っ張り出した。オバQに出てくるオージローの絵が可愛く買ったパーカーだ。

オージローの黄色のパー

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幻の夢のパフェ

幻の夢のパフェ

私はパフェが大好きだ。

小学生の頃、姉が連れて行ってくれた喫茶店。私はそこで初めてパフェというものを食べた。様々な味のアイスに生クリームと果物!まさに乙女の夢のような食べ物だった。

高校生になり、友達と一緒に喫茶店へ行くようになった。プリンパフェ、苺パフェ、チョコレートパフェ…夢の食べ物だったパフェがだんだんと身近な食べ物になってきた。

大人になった私は喫茶店でパフェを食べると不満を言うよう

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父と私のあたたかい思い出

父と私のあたたかい思い出

父が行っていた散髪屋さんには漫画がたくさんあった。
父「典子、散髪行くか」
私「行く!」
私が父と一緒に散髪屋に行くのは漫画を読むためだった。

夏休みが来ると我が家には従姉妹達がたくさん遊びに来た。従姉妹達と遊ぶのは最高に楽しかった。

従姉妹達と楽しく遊んでいた夏休みのある日
父「典子、散髪に行くか」
私「行かん!」
父ひとりで寂しく散髪へ・・・

その日の夜
父「今日は典子と一回も話しとらん

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みどりちゃん

みどりちゃん

大学時代ひとりぼっちで映画ばかり観ていた私に声をかけてくれたみどりちゃん。可愛くて魅力的な女の子だった。私の話をよく笑いながら聞いてくれた。大学卒業後、みどりちゃんは結婚して県外へ行ってしまった。お互いに結婚し子どもができて、その後会ったことはない。唯一1年に1回年賀状のやりとりをするだけだ。みどりちゃんは毎年懐かしい綺麗な手書きで近況を教えてくれる。

昨年末に我が家のプリンターが壊れた。大幅に

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